男女共同参画局によると、令和2年の調査で、婚姻届を提出した夫婦のうち全体の約95%は女性が改姓したのだという。
わずか5%しか存在しない女性姓に合わせた男性たちは、姓を変更したことにより不自由を感じているのかどうか気になるところではあるが、いずれにしても「嫁」だの「婿」だのという意識は、いつまでも人類に付きまとう概念なのだろう。
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小出南(仮名)は、自身ではなく夫が改姓した少数組。結婚6年目、まもなく41歳になる社会保険労務士だ。いかにも仕事ができそうなはきはきとした口調で、南は夫と実母とのエピソードを語り始めた。彼女の夫は、地元で有名な人気鶏料理店の店主だという。
「うちの夫は私の母のことを、顔も見たくないほどに憎んでいました。まさに犬猿の仲ですね」
もともと夫の会社は私の顧客だった、と南は言う。交際のきっかけは、夫が経営する焼き鳥会社の社会保険の相談に乗ったことだったと照れながら語った。
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「初対面の彼は汗まみれでした。人事を担当している社員さんが、社長は焼き場にいますと紹介してくれたんですが、彼は誰よりも汗を流して仕事していたんです。人見知りでお愛想は上手じゃないんだけど、後日食事にお邪魔した時のお料理の美味しさにまずやられました。
常連になって話をすると、料理や商売に対する哲学がしっかりあって、でも発想が柔軟で自由で…私の周りにはいないタイプなんですね」
付き合って1年ほどした時、2人はお互いの実家に挨拶に出かけた。結婚を前提に交際していると告げると、南の母以外は皆賛成してくれたという。
「大学を出て大きな事務所に入ったのに、なぜ焼き鳥屋なんかとつき合うのかと母は言っていました。ひどい差別ですし、社労士は働く人や経営者のために尽くす仕事なので、偉い人か何かと勘違いしないでほしいんです。社労士の親のくせに、コンプラ意識ゼロですよ。母の誤りを正したくて、しょっちゅう言い合いしてましたね。母は当時、偏見の塊でした」
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そんな母親に意見し、南たちの結婚を後押ししてくれたのが南の実父だったという。
「父は夫のお店のことを気に入って通ってくれましたし、本当に旨いと褒めてもくれました。いい男じゃないかと言ってくれましたね。嬉しかったです。本人は公務員でしたが、自分の親が商売人だったこともあり、父は商売人が好きなんです。
お見合いで結婚した母とは価値観の違いに苦労したこともあったと思いますが、父は自分と違う価値観を尊重できる人。根気強く母を説き伏せてくれたんです。父のお陰で結婚までこぎつけることができました」
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しかし、母親は結婚を認める代わりに条件を出してきたのだとか。
「私が一人っ子なので、夫がうちの籍に入るならという条件で結婚を承諾すると言い出しました。私はそんなものどっちでもいいし、そもそも別姓希望です。夫はというと、オレは兄弟4人もいるし何とも思わんと言っていましたね。
まあ、母が折れないので、先々まで親と同居しないことを条件に合意しました。彼に改姓してもらうけれど、この先も2人で住むよと。うちの親はお金をしっかり貯めていて老後計画も綿密でしたので、そこは安心してました」
母親とは険悪なままだったものの、夫は南との生活を大事にしてくれた。父親は夫の店に変わらず通ってくれたが、それが南の親と夫とのほぼ唯一の交流だったという。
忙しい毎日ではありながら、結婚生活は穏やかだった。しかし、結婚後わずか3年ほどで父が他界したことにより、穏やかな結婚生活にもにわかに暗雲が垂れ込んでいった。
「父の他界は本当にショックでした。体調を崩して受診した時には、すでに末期のガンだったようです。診断から半年ほどで逝ってしまいました。夫も父を慕っていたので、2人で抱き合って泣きましたよ。ですが、一番見ていられなかったのは母です。
常日頃、お父さんは世界で一番いい夫と言っていたほど父を好きでしたから……。父が亡くなる少し前から、母は食事が咽喉を通らなくなってしまったんです」
葬儀の日、南と夫は母親に寄り添ったが、葬儀後に親戚だけが残った席で、あろうことか母は酒をあおり、したたかに酔っ払ってしまった。
頼りにしていた夫を亡くして、どう生きればいいのかと泣き叫んだそうだ。
「酔っ払った母は、その場にいた私の夫を罵倒し始めたんです。あなたが南に手を出してうちに入ってきてから悪いことばかりが起きると、言いがかりをつけ出したんですね。言っちゃ悪いけど、焼き鳥屋にはうちの南は釣り合わない、今も本音では全く納得していないと、親戚が居並ぶ前で言い出しました……。何度も焼き鳥屋と連呼して……」