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FASHION 百“靴”争鳴

松田笑子さんがフォスター&サンを抜け、独立を選んだ理由は? 最終回

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百靴争鳴。日夜美しい靴作りに情熱を燃やし合う、異色の靴職人たちへのインタビュー集。

満を持して立ち上げたエミコ マツダ

フォスター&サンは日本の商社の双日が出資して2018年にノーサンプトンに既製靴工場をつくりました。しかし残念ながら工場は閉鎖、ジャーミンストリートにあった店もたたみ、いまは別の場所で細々と注文をとっています。ウエストエンドのものづくりを継承するために松田さんが選んだのは独立、という道でした――

イギリスに留まったわけ

事の顛末は勘弁してください。

ひとついえるのは、このままフォスターにいても わたしはわたしらしい靴がつくれないだろうということでした。何日も眠れない日々を過ごして、独立を決意しました。

よそからも声がかかりました。しかしよそに移る、という選択肢は はなからなかった。テリーにも申し訳が立たないし、フォスターは いまなお愛する工房ですから。

フォスターはウエストエンドを代表する まごうことなきビスポーク工房です。伝統を脈々と受け継ぎ、そして奇を衒わない。こんな工房はない。

イギリスに残ったのは靴がつくれる環境が整っているからです。日本に帰ったら これをいちから構築していく必要がある。むしろ現実的ではありません。

まずは 材料調達の利があります。アッパーレザーはワインハイマーやゾンタをメインにヴィンテージを揃えています。現行のものは日本でも手に入るかも知れませんが、ヴィンテージは そうはいきません。

これはカールフロイデンベルグのモロッコ。ウェリントンブーツに使われていた革です。呆れるくらいに肌理が細かい。その差は磨けば一目瞭然です。

革屋さんには声をかけていて、出物があれば取るものも取らず買い付けに行きます。

環境も異ります。水ひとつとってもそう。イギリスは硬水ですが、日本は軟水。当然、革を浸す工程も変わってくるでしょう。

しかし なによりも譲れないのはウエストエンドという空間です。多分に感覚的なものですが、この環境に身を置いたものづくりとそうでないものづくりは まるで違ってしまうと思う。

スリッパだったり、ライディングブーツだったり……。その街に暮らす人々の、生活に根づいたところで求められる靴づくりは、職人としてとても大切なものです。

わたしが独立することを知ったテリーは諸手を挙げて賛成してくれました。貴重な革も譲ってもらいました。

脂が乗っている

注文はお客さんが指定する自宅、オフィス、ホテルに赴くか、トランクショーでとっています。

ロンドンで店を持つのは現実的ではありません。もともと(家賃が)高いところに来て、日本のような雑居ビルの2階とか、そういう物件はありませんからね。

おかげさまで現在は いまあるお客さんの注文で手一杯の状況ですし、しばらくはこのスタイルを続けていくつもりです。

自分でいうのもなんですが、脂が乗っているのを感じます。すべての作業が滞りなく進む。悩む、ということがない。靴づくりが楽しくて仕方がない。だからいまは、靴づくりにだけ集中したい。

テリーの教えは十分吸収できたか、ですか。それはどうでしょう……。ただ、フォスターの社長がわたしのサンプルを店に並べようとしたときには難色を示したテリーが近ごろは「なんの問題もないよ」というようになりました。テリーもすでに88(歳)。少々甘くなっているのかも(笑)。

靴づくりのなにが面白いのか。かならず聞かれる質問で、とっても難しい質問です。

膝の上ですべてが完結する。この事実にはやっぱり えもいわれぬ感動を覚えます。つくっているときは ほかのことを考えられない。自分のうちに入っていくこの感覚も好き。そして靴づくりを通して得られる感動は、ちっとも色褪せることがないんです。

ウエストエンドの継承を掲げる以上、後継者の育成もわたしに課せられた課題ですが、そんなわけで、まだ先でいいかなって思っています。テリーがわたしの面倒を見てくれたのも60(歳)を過ぎてからですしね。

おおらかな国民性が心地よい

住めば都といいますが、ロンドンは居心地がよかった。いい意味で、いい加減なんです。

わたしはジムオタクで週に2〜3回は通っているんですが、ジムに向かうわたしはお世辞にもきれいとはいえない格好で、子どもの小さな自転車にまたがってかっ飛ばしています。でも、だれにもなんにもいわれません。

なにがいいたいかというと、イギリス人は個々の意見を尊重してくれるということです。同意しないにせよ、君の考えはそうなんだね、と異なる意見を持っていることを認めてくれるんです。

ジムは もはや生活の一部。靴づくりはたいへんです。女性なら、なおさら。男性なら100の力を出せばいいところ、女のわたしなら150、200の力が必要になってくる。体が衰えて靴がつくれなくなるのだけは避けたい。だから、メンテナンスは なおざりにできません。

永住権を取得し、マイホームも手に入れた

身なりには寛容なイギリス人もクリスマスの過ごし方だけは許してくれませんでした。わたしはホリデーになると俄然、気合が入ります。「さぁ、靴をつくるぞ」って。自分にとっては有意義な時間の過ごし方ですから、「昨日のクリスマスはどうだった?」と尋ねられたら、「靴をつくっていたよ!」と答えるわけです。そうすると例外なく、「みなで楽しく過ごさなければならないクリスマスにひとりで靴をつくっているなんて どういうことなんだ」って とっても悲しそうな顔をするんです。それからは“なにが”の部分を省いて「楽しかったよ」と答えるようになりました(笑)。

いまは子どももいるのでディナーの準備からなにから きちんとやっていますけれどね。

ぼくのことには触れないでくれといわれているので割愛しますが、主人は日本人です。テリーの紹介で知り合いました。靴が好きで、テリーのお客さんだったんです。

子どもが生まれる1年前にロンドンの郊外に家も買いました。アトリエを兼ねた住まいです。

それまではハックニーに住んでいました。いまでこそオシャレタウンですが、そのころはニューヨークのハーレムに匹敵するといわれたダウンダウン(笑)。けれど わたしにとっては住み心地のいい街でした。結婚するまで ずっと暮らしました。

永住権はすでに取得しています。就労ビザのようにたいへんな思いはしたくなかったから、きちんと弁護士を雇って申請しました。おかげで すんなり審査を通りました。ちょうど日本向けのトランクショーを任されるようになったころのことです。

子どもは12歳と7歳。どちらも男の子です。長男は糸づくりに興味津々でしたが、靴職人にはなりたくないそうです。イギリスの子育てには反抗期がないといわれます。実際、うちの子どもにも反抗期らしい反抗期はありません。だから それは反抗していっているのではなくて本音でしょうね。もちろん、息子の意見は尊重します。

イギリスにわたって四半世紀。すっかりイギリス人のような振る舞いが身につきました。ところが面白いことに日本人のお客さんが来られると ついぺこぺこ(とお辞儀を)しちゃうんです。お客さんのお見送りを終えるや否やイギリス人のそれに戻るものだからフォスターの同僚にはよく笑われたものです。

松田笑子(まつだ えみこ)
1976年東京生まれ。1997年、コードウェイナーズ・カレッジ(現ロンドン・カレッジ・オブ・ファッション)に入学。同年、フォスター&サンの見習いに。2001年、社員として登用される。05年、日本のトランクショーの責任者になる。10年あたりから師匠のテリー・ムーアに代わり、工房を牽引する存在に。20年に独立、ビスポークシューメーカー、エミコ マツダを創業。


【問い合わせ】
EMIKO MATSUDA Bespoke Shoemaker
+44(0)7796-315-067
info@emikomatsuda.co.uk
@emiko.matsuda
 

Photo:Shimpei Suzuki
Text:Kei Takegawa
Edit:Ryutaro Yanaka



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