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BUSINESS 高橋龍太郎の一匹狼宣言

Vol.10「あなたの魂に あなたの魂に あなたの魂に」高橋龍太郎

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―2016年6月18日 田町の都市伝説が終わった―

6月から7月にかけてアートシーンではいくつかの興味をひく出来事があった。カイカイキキでは村上隆主催の日本酒パーティが有り、京浜島では「バックル工房」の主催するクラウドファウンダーのためのお食事会とお茶席があった。小柳ギャラリーでは移転のためのお別れ蚤の市。

特に村上の日本酒パーティは大盛況で、東北の5つの革新的酒造メーカーNEXT5の酒と村上隆のプライベートブランドの日本酒が振舞われ、極上の夜となった。

村上隆氏主催の日本酒パーティーにて

ワシントンからスミソニアン・ハーシュホーン美術館館長のメリッサ・チューも来場し(2017年予定している草間彌生回顧展「ヤヨイクサマ:インフィニティ・ミラーズ」のあいさつに草間スタジオに寄った帰りだが)華やかさが増した。

3月にオープンした京浜島の「バックル工房」は城南島のプロジェクトと相まってオリンピックに向けて大田区のなかで点在するアート拠点が点から線、線から面へと広がる予感さえある。(各所に巡回バスがまわれば大田区は都内最大のアート立地になるのだが。行政当局に考えてもらいたいところだ。)

TENGA壁画(バックル工房)

なにしろ現在の現代アートシーンは、大田区にあった「レントゲン藝術研究所」から始まったのは皆衆知の事実であるから。そこには村上も会田も小沢も小谷もみんないたのだ。

さて、始まることは嬉しいこと。しかし始まりがあれば終わりがあるのはこの世の常。

15年続いて、この6月に終わった私の身辺雑事に今回は触れておこうと思う。前回の天皇制と東京大空襲の問題があまりにシリアス過ぎたらしく、いつもはわりと好意的な反響を多数頂いていたのに、一同シーンとしてしまって殆ど反響がなかったので、今回は本当に気楽なお話を書かせて頂く。

会田誠や草間彌生のコレクションを始めるのとほぼ同じ頃、私にはもうひとつ熱中していることがあった。アルゼンチンタンゴがそれである。クリニックのデイケアスタッフが習い始めたと聞きつけて、見学に行ってすぐはまり込んでしまったのだ。

もともと私は大学入試のとき最後の旧課程の世代で、大学に入学したときは文化サークルの英国文化研究会(あるびよん・くらぶ)に所属していた。活動資金のために各サークルは皆秋にダンスパーティを用意しており、赤坂プリンスや横浜のシルクホテルなどのボールルームを借り切って、ソーシャルダンスパーティーをやっていた。1回に20-30万ぐらいの(60年代のことであるから今ならその10倍か)利益が上がる様になっていた。そのためフレッシュマンの男性はダンスをリードできるように、最低でもジルバとルンバ、マンボ、ブルースくらいを夏休み中にマスターしておくようにと課題を与えられた。

人気大学だと参加する女子学生も多く、ひとりでも「壁の花」をつくることが無いように、どんどん声をかけるよう言われたものだった。女子はみな着飾った落下傘のようなスカート。今から思うと夢としか言いようのない光景だった。しかしホールドダンスパーティの歴史は、その1965年のみで、その翌年からは、離れて踊るモンキーやサーフィンに取って代わられ(ツィストだったか?あまりよく覚えていない。笑)。私も学生運動の只中に突入していってしまったので、その後どうなったのか。

いずれにせよホールドダンスはどんどん下火になっていたことは間違いない。その18才~19才の青春という甘酸っぱい思い出があったのだろう、それで30年後タンゴダンスにはまり込んでしまった。

カウンターカルチャーの闘いに敗れて復讐しているのが、今の高橋コレクション。失われた青春を復習しているのがアルゼンチンタンゴだったというわけだ。

すっかり熱中し、連日診察の終わった夜ともなれば、ワイングラス一杯だけを飲み食事も取らず、1時間のレッスンと2時間のミロンガ(タンゴダンスパーティ)に明け暮れ、3ヶ月で体重が10kg痩せた位だった。

あろうことか、レッスンを1年しかしてないのに、NYで、世界一のタンゴダンサー、ガビートとパートナーのマルセラに個人レッスンを受け、そのあと、ブエノスアイレスのメリーナに個人レッスンを受ける10日間の旅などを決行した。

タンゴの熱はその後も5年くらい続いたが、老いの背柱管狭作症とともに冷めていき、今日に至る。2004年神楽坂に設けた高橋コレクションルームの1回目は「レトロスペクティブ」と題した小谷元彦展だったが、そのオープニングでタンゴを踊ったのも今は懐かしい思い出である。

カルロス・ガビート、マルセラ・デュランとともに。

印象に残る言葉をいくつかガビートからはもらった。ひとつは「タンゴは人生の思い出を踊るものだ」という言葉。3分の踊りの中に人生の思い出、特に女たちとの思い出をすべて込めることが出来たら、それが最上のタンゴになるということだ。なかなかできないがそんな一瞬が降りてくることがある。タンゴの醍醐味と言えるだろう。(ガビートとマルセラの世界一セクシーで美しいダンスは今はYouTube で見ることができるので是非に!)

もうひとつはガビートが最後の来日だったと思う。そのときも何回かレッスンを受けてミロンガが終わり、ガビートが最後にスピーチをした。「この5年間レッスンを続けて全く上手くならなくてこの人はもうタンゴをやめた方がいいと思った人がいるが、今日その人は素晴らしい踊りを踊っていた。信じられないことが人生には起きるものだ。みんなも一生懸命練習を積んでタンゴを愛して下さい。」どうみても私のことだったので真底感激したことを覚えている。私が人生の中で受けた誉め言葉の中でもっとも心揺さぶられたもののうちのひとつだ。

さて、その折に知り合った「ペロ」と呼ばれるタンゴダンサーに、あるお願いをしたのが今から15年程前のことだった。田町駅前の小さいビルの3階にクリニックがあり、4階にカウンセリングルームを兼ねたカウンターバーを2000年につくって(昼間はカウンセリングルーム夜はバー。どちらもやることは同じと)、1年くらい診療が終わってから友人達を招いて、酒をのんでいたのだったが、(辰野登恵子さんの人生相談にのったのも今は懐かしい思い出である。)クリニックを近くに移転するにあたって、バーを撤去するのはもったいないと、彼女に本物のバーをやることをお願いした。 

5Fの小さい倉庫部屋を黄金色にしてコタツを入れて、秀吉ルーム(※TOP画像をご参照ください)と名付けて関根伸夫の金色の位相絵画や靉嘔Ay-Oの虹色のオブジェなども置いたりした。

当時彼女が銀座でアルバイトをしており、そのバーはそのお客さんを連れてくることで細々と続けられた。というより一切看板も揚げず、ビルの4階にひっそり開けられたため、誰にも気付かれないままだった。勿論持ち出しだが、その秘密のバーという仕掛けが気に入ったため結局15年も続けたことになる。 

田町の行きつけのレストランの店主に「田町のビルのどこかに誰も行けない、行くと何万も取られる、でも秘密の蠱惑的なバーがあるのを知ってますか?」と聞かれたこともある。何万円はないよと思いながらも「知り合いがやってるらしいから紹介する」と答えたこともあるし、「都市伝説じゃないの」と答えたこともある。

彼女はタンゴダンサーであると同時にフリージャズと前衛舞踊、演劇等が混然一体となった「渋さ知らズ」のメインダンサーでもあったので、欧米公演のときなど1ヶ月休業。休みを淋しがる客同士がカウンターに立ちながら自主営業もしたりした。

田町倶楽部、最後の夜

勿論保健所には登録済だが、私は「田町倶楽部」と名付けた、どこにあるか分からない秘密のバーという都市伝説を楽しんでいた。

しかし田町駅前芝浦口の大規模開発で「田町倶楽部」は「田町クリニック」とともに閉めざるを得なくなった。新しいビルへ移る可能性もあるが、今の賃料の倍を出して、同じような都市伝説を維持するのは難しいだろう。普通のバーをやってもしょうがないし、わたしのタンゴから生まれたひとつの遊びも終焉せざるを得ないようだ。

最後に「渋さ知らズ」の有名なテーマ曲「本多工務店のテーマ」からの一節をひいて終わりにしようと思う。末尾に「渋さ知らズ」のコンサート風景を貼り付けて置くので堪能して頂けたら幸いである。

「渋さ知らズ」ダンサー、右がペロ

渋さ知らズ、いい言葉の響きだ。又血が騒ぎ始めている。タンゴを再開するしかないかな。

「本多工務店のテーマ」
龍のかたちの天使が降りてくる
地図の無い街に
流浪の民の幌馬車に
果てしない旅路に
・・・・・・・・・・・・・・・
天使の口から草笛の囁きが降りてくる
黒と白と赤い肌に
天使たちの悲しみの銃口に
あなたの日記の空白のページに
天使の翼から透き通った風が降りてくる
・・・・・・・・・・・・・
龍のかたちの天使が降りてくる
天使が降りてくる
福島の熱い夜に
暴動という名の音の坩堝に
あなたの魂に
龍のかたちの天使が降りてくる
福島の燃える夜
自由という名の音の泉に
我ら渋さ知らズと
あなたの魂に
あなたの魂に
あなたの魂に
・・・・・・

 

書き手:高橋 龍太郎

 

精神科医、医療法人社団こころの会理事長。 1946年生まれ。東邦大学医学部卒、慶応大学精神神経科入局。国際協力事業団の医療専門家としてのペルー派遣、都立荏原病院勤務などを経て、1990年東京蒲田に、タカハシクリニックを開設。 専攻は社会精神医学。デイ・ケア、訪問看護を中心に地域精神医療に取り組むとともに、15年以上ニッポン放送のテレフォン人生相談の回答者をつとめるなど、心理相談、ビジネスマンのメンタルヘルス・ケアにも力を入れている。現代美術のコレクターでもあり、所蔵作品は2000点以上にもおよぶ。

 



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