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LIFESTYLE 高橋龍太郎の一匹狼宣言

アートとは何か?「この世界の片隅に」に見る失われた右手の物語

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アートとアニメをつなぐもの

このところアニメ映画の話題作が続く。

新海誠監督によるアニメ『君の名は。』が興行収入240億を超えて話題となった。互いのスマホを媒介として二人の愛が片田舎の町を甦らせる。と聞けば、いかにも今日版「とりかえばや物語」スマホによるセカイ系! で評価が終わってしまいそうだが、私は感動した。

何故ならそこにはアート愛があったからだ。コンビニもカフェも無い片田舎に住む女子高生が都会の高校生と入れ替わる。その彼の先輩の美女とのデートのために用意した彼女のプランは、国立新美のレストランの食事と森美の展望台と写真展。おいおい、そんな絵に描いたような情報どこから手に入れたんだと聞きたくもなるが、多分スマホからだろう。

『君の名は。』大ヒット上映中! (C) 2016「君の名は。」製作委員会

でも、そんな田舎の女子高生のデートプランが2つの美術館を巡るというアート愛が嬉しい。しかも男子高校生が彼女を探しに飛騨地方を訪ねる旅行で、スマホでググってもその町は現れない。しかし彼が写真展で見た町の風景をドローイングで描くと食堂の夫婦が、町の名前を教えてくれる。スマホよりアートの力だ。

この物語は男女の入れ替わり二人の愛が世界を救うという、一見安易なセカイ系に見えるかもしれないがそれを安易なものとしていないのは、二人のアートへの愛が本物だからだ。その愛が二人を運命的に出会わせたのだ。

高橋コレクション展が全国に15ヶ所も巡回することで、そこで出会った高校生同士に、世界を変えるような愛が生れなかったろうか? そうあって欲しいとこの映画を見て切実に願った。「君の名は? それは高橋コレクション」と呼びたい位の気分だ(笑)。

『君の名は。』に遅れて上映された片渕須直監督による『この世界の片隅に』も素晴らしいアニメ映画だった。

太平洋戦争下、軍港呉に嫁いだ主人公すずは右手で様々なものを描く。まるで描かれた世界が彼女によって生を吹き込まれたように輝きだす。彼女にとって右手は自分の夢を語り、物語を紡ぎ、他人とのコミュニケーションの手段となる。言葉足らずの彼女の代わりに社会と交流してくれるのだ。

物質乏しいなかで出会った娼婦リンとの間に描かれたすいか、はっか糖、わらび餅、あいすくりいむは、まるでそこだけが甘やかな空気に包まれる。夢になる。

中学の時に描いた軍港の波は、うさぎの群れに形をかえてお伽の国になる。

大空襲さえも大量の投下爆弾の煙が色とりどりの花火にかわる。

太平洋戦争時の呉の軍港を空からのぞんで

しかしその空襲で彼女の右手は失われた。彼女は右手で描くことができなくなる。

彼女にとって右手は言葉では上手くつながることができなかった自分と現実を結ぶ大切な手段だった。しかしそれは失われた。

以降はつたない左手の表現(でも中々味はあるのだが)と少しずつ理解されるようになった言葉で向き合うしかなくなる。そこに太平洋戦争の敗戦が突然伝えられる。

戦争の勝利を信じて生きてきたすずは、それを平静な気持ちで受け止める他の家族たちののなかで、一人大声をあげ、土を叩きながら慟哭する。

その時呉の家並みのひとつに大極旗が上がるシーンがあった(それは史実らしいが)。それを指してこの慟哭のシーンを日本の植民地主義の罪に目覚めたからだと、オールド左翼的な批評もあったが、いくらなんでもそれはないだろう。

彼女の慟哭はもっと根源的な、実存的なものだ。彼女はいわれるままに戦争の勝利を信じてきて、その生きて来た存在の証が、すべて消え、虚構だったことに気付いて怒っているのだ。

勝利を信じさせた自分を含めたすべてのものに怒り、大地を叩くのだ。言葉以上に大切だった右手を失いながらも信じ続けた世界が崩壊していくのを、残った左手で大地を叩きながら抗議しているのだ。

いや正確に言うなら失われた右手が言葉の虚構に対して怒り、叩いているのだ。右手が言葉の嘘を暴いている。

ここでは右手は彼女の子供時代あるいは思春期の象徴と言ってもいい。彼女は子供の時代の象徴である右手を失うことで言葉の虚構に直面する。それでも生きて行かねばならないことに初めて気付いたのだ。

『この世界の片隅に』パンフレットより(撮影: 高橋龍太郎)

しかしそれは彼女だけの物語だろうか。私たちは誰でも子供時代の全能感が全く虚構だったとある日気付く。そのとき何でもなれると思っていた私たちの存在は、ほんの芥子粒ほどの存在にしか過ぎないと受け止める。生きていけるのか。生きるとは何か。と自問する。その時の寄る辺のなさ、恐怖感。それこそが彼女の慟哭が根源的だといった謂なのだ。彼女の右手は子供時代、思春期の全能感の象徴なのだ。

こうして誰でもが存在し続けることの恐怖を感じながら慟哭し大人になっていく。 

右手はすずにとってそうであったように子供にとってのアートと置き換えてもいいかもしれない。言葉を充分に獲得できていない子供たちは、自分たちの夢の王国を絵を描くことで表現する。そしてそのなかで万能感に包まれた世界に浸るのだが、言葉を獲得にするにつれ描かれた絵の世界は失われていく。しかし何ものにも囚われない子供たちの描く絵はアートといってもいい位、自由な豊かさに満ち満ちている。

子供たちはアートとともにある右手を失うことで成熟する。その右手を失わない人たちのことを私たちはアーチストと呼ぶ。

すずは焼け野原になった広島の地で母親と死に別れた女児を引き取る。虱だらけのおずおずしたこの女児は、すずに又自分の輝かしい少女時代を甦らせてくれるだろう。人間はこうして失われた幼児期を子供達を育てることで甦らせていくのだ。

しかしこの映画では、右手はもうひとつの役割を担っている。クラウドファウンディグに参加してパイロットフィルム制作に協力してくれた人々の名前が延々と映し出される暗いエンドロールで、最後に右手だけが飛び出してきてお礼の挨拶をする。

人々が協力をしてひとつの映画を作り上げることもアートであり、こうして人々が失った右手を取り戻しているのだと、画面に甦った右手は語っているようだった。

人は映画というアートを一緒に作る事で、あるいは観客として観ることで、失われた右手を甦らせている。右手は映画やアートを愛する行為の象徴なのだ。

この1月佐賀県立美術館で開かれた池田学展『The Pen』がとんでもないことになっている。最終的に動員数9万6000人となり、カタログも展覧会期間に3刷にもなった。地方の現代美術展ではありえない記録だ。

この池田学展にオープニングの最初の日曜日日帰りで出かけた。池田氏とは久し振りだった。2011年3月N.Y.のジャパンソサイエティ『バイバイキティ展』の展示のために創作していたバンクーバーからN.Y.に池田氏は来ていた。三潴氏の知り合いの家に泊まっていた池田氏とそこで食事をしたのだった。

その時池田氏は東北大震災について深刻に受け止めていて、何かやることはないだろうかと深刻に悩んでいた。その時私は不遜にも「悩んでるのは凄くよく分るけど、絵描きは絵を描くことでしか報いることはできないんだよ」
と答えた気がする。(なんて偉そうな! 笑)。

2011年3月、池田氏(左から2番目)と高橋氏(左)

久し振りに会った池田氏はその時のことを覚えていて、高橋さんに言われた解答がこの『誕生』なんですよと教えてくれた。

今回のメイン展示は3×4メートルの巨大作品『誕生』だ。足かけ3年かけたこの『誕生』は圧倒的な迫力に満ちている。

画面下部左手には細密に描き込まれた災害の瓦礫、下部右手には大津波。そしてその波のひとつひとつは人々の亡骸でできている。苦難を乗り越えて画面上部に咲き誇る花々の花弁のひとつひとつは復興のテントだったり、失われた遊園地のコーヒーカップだったりしている。

この作品の製作中作家はスキーで右肩を脱臼し、一時的に右手を失う。ギャラリストの三潴氏は「それなら左手で描け」と促したというが、それが暴論にならないのがこの作家の凄まじいところ。


 この写真にあるキリンの絵はその右手が効かないときに初めて左手だけで描かれた作品である。この作品を見ていたら多くのアーティストは落胆するのではないか。左手でこれだけ描けるなら俺の右手は何なんだよと。

ただ一時的に右手を失うことはこの作家に大きな危機をもたらした

「力なく震える線
 意思(ママ)とは裏腹に右往左往するストローク。
 指先に感じるどうしようもない違和感。」

「目からの情報を脳が取り込み空間上のイメージとして再構築、そえを信号に変えて送ればほぼ無意識に右手がそれを再現する。同じことが左手になると回路が充分繋がっておらず、コントロールできないし、それより動かし方がわからない。」

しかし作家は再生していく右手の神経組織と災害によって傾いた樹がそれでも枝を伸ばし、満開の花を咲かせていく姿と重ねることで最後の完成に至る。

「考えてみればこの2年半、作品と向き合ううちに徐々に災害=復興というありふれたイメージに囚われ、絵がどことなく硬くなっていると感じてました。」

それが怪我によってある意味では吹っ切れて満開の花となって結実している。しかしこの作品にはどこか破調がある。

これまでの池田作品の多くは、大作であってもそのひとつひとつの大きさはほぼ一定していてそこに「細密描写」「超越技巧」といわれる所以もあった。それゆえテーマや画題が流動的なものでも、どこか静溢さが伴っていた。

ところが今回の最後の方に描かれた咲き誇る花々と最初に描かれた瓦礫や波のひとつひとつとは大きさがまるで違う。そこには破調がある。けれどその破調が池田作品のなかにこれまでにない躍動を生み出している。迫力が違うのだ。

池田学『誕生』


「どことなく硬くなっていた」絵が動き出しているのを感じるのだ。これは池田の新境地と言っていいだろう。しかもそれは右手を失うことによって生み出された新境地だったのではないだろうか。

池田は右手を失うことで新たな地平に到達した。どこまでも細密に向かう一方の視座と新たに獲得して外部に向かう躍動する視座。これからの池田には、日本という空間は少し狭すぎるかもしれない。超越技巧を復活させながらコンセプチュアルという武器をひっさげて、是非世界のアートシーンの先頭に立ってもらいたいものだ。

アートもアニメも実のところ幼年期という右手でつながっている。しかし、人は幼年期という右手を失うことで大人になる。そしてアートの世界に再びふれることで失われた子供の王国を取り戻している。そこには海があり、樹木があり、花が咲き、私たちは一日じゅう遊び続けていられる。アートの世界とは、生きながら死につつある私たちの生を、逆戻りさせる数少ない現代の魔法なのだ。

書き手:高橋 龍太郎

精神科医、医療法人社団こころの会理事長。 1946年生まれ。東邦大学医学部卒、慶応大学精神神経科入局。国際協力事業団の医療専門家としてのペルー派遣、都立荏原病院勤務などを経て、1990年東京蒲田に、タカハシクリニックを開設。 専攻は社会精神医学。デイ・ケア、訪問看護を中心に地域精神医療に取り組むとともに、15年以上ニッポン放送のテレフォン人生相談の回答者をつとめるなど、心理相談、ビジネスマンのメンタルヘルス・ケアにも力を入れている。現代美術のコレクターでもあり、所蔵作品は2000点以上にもおよぶ。

 

 



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