今年も早いもので1月が終わろうとしている。年末年始、帰省する人がいる一方で帰省しない人もいる。ライフスタイルの多様化は、こんなところにも表れている。
危機管理コンサルタントの平塚俊樹氏はこう話す。
「JR東海とJR西日本がのぞみの自由席をなくすことを発表して、話題になりましたね。確かに正月の乗車率が、100%超えになることも少なくありません。すると自由席だけでなく、指定席の通路にも人がひしめくことになり、トイレにいくのもやっと…ということも。自由席を待つために並ぶ人でホームがごった返す映像もよくみますが、そういったシーンを少しでも減らすための策でしょう」。
しかし、今回話を聞いた女性は実家に帰省を10年以上していないと話す。
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小高景子さん(仮名・46歳)は、実家を離れてはや27年。ここ10年ほどは、帰省をやめていると話す。
「義理の実家には毎年帰省しています。帰省していないのは自分の実家です。両親ともに健在ですが、帰省はしたくありません」。
景子さんは頑なだ。なぜ、帰省をしたくないのだろう?
「理由は兄に会いたくないから」。
血を分けた唯一の兄弟である兄とそんなに会いたくないのだろうか?
「はい。会いたくない、というよりは会うのが怖いんです」。
景子さんはこれまで、人にはあまり話してこなかったという苦悩を話してくれた。
「兄は3歳年上で、幼い頃はとても活発で人気者。サッカーを習っていて、地元のチームではキャプテンも務めていました。対する私は漫画が好きな地味な子供。まるで正反対の兄妹だったんです」。
兄は景子さんをいつでも気遣ってくれたという。
「とても優しくしてもらいました。たぶん兄の妹だったから、さほどいじめられたりすることもなく生きていられたんだと思います。高校を出て、兄は大学で上京しました。私も後を追うように、上京して、大学時代は食事をすることもありましたね」。
そんな仲の良かった兄弟に一体、何があったというのだろう。
「兄が就職してからは、あまり会うチャンスがありませんでした。とにかく忙しい部署だったようで、年末年始の帰省も難しいと話していたほど。そんなある日、母から電話がかかってきたんです」。
ーお兄ちゃん結婚するってよ!
「晴天の霹靂とはこのこと。あんなに忙しいって言ってたのは、仕事だけじゃなかったんだなと少し安心もしましたけど。兄が28歳のときのことです。お相手が8歳も年上で、それに関しては驚きましたけど、兄が決めた人ですからね。新しい家族ができる!と家族みんなで喜んでいたんですが…」。
都内のおしゃれなマンションで悠々自適に暮らす2人のもとを景子さんはしばしば訪れて、その幸せそうな姿を羨ましく思っていたという。
「やっぱり兄はすごいとも思いました。きちんと働いて、素敵なパートナーを見つけ、地に足をつけて暮らしていて…。私の目にはうまくいっているようにしか見えませんでした。でも実情は違ったみたいで…」。
1年ほどしたある日突然、兄が実家に帰ってきたという。
「離婚をしたと。その一言だけであとは何も言わなくなってしまいました。そして引きこもるようになってしまったんです」。
想像していなかった出来事に両親はひどく動揺していたと話す。
「離婚だけでなく、仕事も辞めてしまったみたいだと母は話していました。私は驚くばかりで…。もう実家を出ていましたし、何をどうしたらいいのかわからない、そんな感じでした。さらに言えば、兄のことだから、すぐに元通りに戻るとも思っていたんです」。
しかし、景子さんの期待は無残にも崩れ落ちる。
「当初は部屋から出て食事を取ることもあったようなんですが、だんだん部屋に篭りきりになっていったみたいです。出てくるのはトイレと1週間に数回のお風呂だけ。食事は母が部屋に運んでいたようです」。
景子さんがこの事実を聞いたのは、兄が実家に帰ってきてから半年以上経ってからのことだった。
「両親もどうしたらいいのか、分からなかったんじゃないかな。母は詳しくは言わないけれど、父が兄にかなり強く言い寄ったというか怒ったこともあったようなんです。結局、どうにもならず時間をかけるしかないと諦めたからこそ、私に事情を話したんだと思います」。
【後編】では、景子さん家族の深すぎる闇について、さらに話を聞いていく。
取材・文/悠木 律