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FASHION 赤峰塾!間違いだらけの洋服選び

【かつての部下であり戦友】ドクトル赤峰とデザイナー中村三加子さんの「青春ファッション」談義

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ジェントルマン道を極めるドクトル赤峰とファッション界のレジェンドたちが、イマドキファッションの風潮やヤワな着こなし、ガッカリスタイルなどをスパッと一刀両断! 男として、あるいは女として、「清く、正しく、美しく」生きるために必要な服装術や、服を着ることの意味・意義をストレートに語り尽くします。

出会いはもう33~34年前。面接は、13時から19時まで!?

今回は、1980年代前半から90年代中盤にかけて私が精魂込めて育て上げたブランド『GLENOVER(グレンオーヴァー)』時代の部下であり戦友でもあったファッションデザイナーの中村三加子さんに登場していただきます。

彼女はグレンオーヴァーのレディースのチーフデザイナーで私が採用しました。お父様は友禅作家、お祖父様は山岳画家で、グレンオーヴァーの面接時からクラシックが好きで共に服作りをしてきました。彼女が手がけるブランド『MIKAKO NAKAMURA(ミカコ ナカムラ)』の南青山サロンからお届けします。

グレンオーヴァーというより赤峰さんと仕事をしたい

赤峰 今日は中村さんと昔話をしに来ました(笑)。

中村 赤峰さんとの出会いはもう33~34年前になりますね。私はテキスタイルデザイナーを目指していて、当時の着物の第一人者がやっていた専門学校で勉強して、生地屋に就職しました。就職してから「洋服の勉強をし直そう」と思い、学校でパターンなどを学んでアパレル会社に勤めました。

赤峰 それで面接で会うんだよね。

中村 そうです。女性向けの就職雑誌で「レディースデザイナー募集」を見て、秋葉原の万世橋のたもとにあったグレンオーヴァーのショウルームで面接を受けました。13時から面接が始まったんですが、ショウルームを出たのは19時だったんですよ(笑)。そんな面接ありますか?(笑)。

赤峰 何の話をしたんだろう。ちょうどラルフ ローレンが日本でデビューしたばかりの頃で、そのショーを観た感想などを話したのかもね。

中村 面接で社長、事業部長の後に赤峰さんが参加して話が盛り上がったんですよ。

――その時に赤峰さんと初対面だったのですか?

中村 そうです。グレンオーヴァーのショウルームはイギリスのアンティークで埋め尽くされて、白いテラスもあって、20代の私にはまるで別世界でした。「なんてステキな会社だろう」と思いましたが、それより赤峰さんと初めてお会いして、「こういう人の会社で働きたい!」と思いました。「グレンオーヴァーというより赤峰さんと仕事をしたい」と。

赤峰 それで中村が入社してグレンオーヴァーのレディースが本格化して、ちょうどバブル景気と重なってよく売れました。


『MIKAKO NAKAMURA(ミカコ ナカムラ)』2019年春夏コレクション

グレンオーヴァー時代の赤峰さんは本当に怖かった

中村 グレンオーヴァーでは3年ほど赤峰さんと働きましたが、本当に怖かったです。私も30年ほどデザイナー人生を歩んでいますが、過去の楽しかったことより、怖かったり、怒られたり、大変だったことをいっぱい覚えています。さすがに手は上がらなかったけど、すごく厳しかった。特にモノに対しての向き合い方に厳しかったですね。

――何か当時のことで覚えていることはありますか?

中村 当時、イタリアでも生産をしていたので、一緒に出張に行きました。打ち合わせをしてホテルに帰って、翌日に商社や工場に渡す仕様書の変更があって、私は部屋にこもって仕事をしたいのに、赤峰さんは「イタリアに来たら食事は文化だ。食事もせずに何を言っているんだ!」と怒るわけです。

赤峰 当然のことを言っているだけだけどね。

中村 それで仕方なく参加するんですが、イタリア人は食事時間が長くて……(笑)。夜中にホテルに帰って仕様書を修正して、朝食のときに赤峰さんに見てもらって、それを持って工場へ行ったり。

赤峰 よく働いたねぇ。

中村 本当に厳しかったですが、イタリアへ行ったら「ここでこの絵画を見ろ」とか「休みはここへ行ってこい」など たくさんのアドバイスとチャンスを一杯与えてくれました。赤峰さんからは影響を受けましたね。知らないことを教えてくれました。

赤峰 中村さんは可愛かったよね。クラシックなものが好きで、テキスタイルをよく知っていて、自分の細胞と近いなという感じがあった。一緒に仕事をしていて「どう育っていくのか」とても興味があった。


『MIKAKO NAKAMURA(ミカコ ナカムラ)』2019年春夏コレクション

「服も一つの文化」であると言う考え方に共感

――中村さんは赤峰さんのどういうところに惹かれたのですか?

中村 私も赤峰さんと同じで、モードを追究してクリエイションをしていくより、昔のいいものを大切にしていきながら、新しいモノを生んでいく感覚が好きです。たまたま服の仕事をしていますが、赤峰さんの「服も一つの文化」であるという考え方にとても共感しました。

赤峰 僕は今もよく言っているけど、「ファッションは やっていない」んですよ。暮らしの中で先人たちが築いてきたクラシックなものを自分なりにどう咀嚼して何を作るかを、彼女は理解してくれた。中村さんは「芸術家系」で、僕は「学者家系」だから、そういうところがわかる。

――メンズから影響を受けた部分もありますよね?

中村 はい、特に素材の使い方は学びましたね。赤峰さんのところから巣立って、今は『ミカコ ナカムラ』を手がけていますが、原点は素材作りです。

赤峰 服作りは料理と同じですよ。産地に入って材料を吟味し、包丁を持って調理する人の腕で味が変わる。中村さんの服は実に美しいよね。50~60年代のクチュールの精神がある。「美しい」とはなんだろうということを自分の感性の胃袋の中にちゃんと落とし込めている。

中村 ありがとうございます。奇をてらったデザインよりも、自分たちが選んだ良い素材とシンプルな形でお客さまに喜んでいただければと思って服作りをしています。

赤峰 中村さんのコレクションには、ブランド立ち上げから変えないものと、今の時代を捉えたものが共存していて、色に対する考え方などもよくわかります。

「一点も売れなくていい」と言われて始めた自分のブランド

赤峰 中村さんと、その相棒の堀越(重弘)君が『ミカコ ナカムラ』を始めたきっかけの話もフォルツァの読者の皆さんに知っておいてほしいね。

中村 赤峰さんと働いていた20代はトラッド全盛でした。1993年に堀越さんと株式会社オールウェイズを作ってから10年間はファッションデザインの企画会社として、数々のブランドの企画や海外デザイナーのコンサルティングを行っていました。当時は十数社と取引があって、ドレスからカジュアル、スポーツまで何でも手がけていました。

赤峰 それで10年後にオートクチュールとセミオーダーをメインとした『ミカコ ナカムラ』を立ち上げるわけだね。

中村 10年間、企画会社をやってきて、あるとき「自分はこれ以上やったら、デザイナーとしてダメになるかも」と堀越さんに相談したんです。

赤峰 そうしたら堀越君がカッコイイことを言うんだよ。

中村 「一点も売れなくていいけど、絶対に人真似ではない服、本当に作りたい服を作って」と言われました。そう言われると苦しいんです。逆に「売れるモノを作って」と言われた方が言い訳ができます(笑)。そう言われてから何を作ればいいのか本当に考えました。

赤峰 俗に言う「産みの苦しみ」だね。

中村 それで素材を一から作ることから始めて、最初にサンプルを5着作りました。

赤峰 それからどうなったかは、ぜひ対談の後編で!

『MIKAKO NAKAMURA』南青山サロン
東京都港区南青山5-5-25 T-Place(南青山郵船ビル)A棟203
03-6427-2435
11:30~20:00
定休:月曜(月曜日が祝日の場合は、翌火曜休)、年末年始

ミカコ ナカムラ
http://mikakonakamura.com/

 

「ドクトル質問箱」では、赤峰さんへの質問をお待ちしています。こちらforzastyle@kodansha.co.jpまで質問をお送りください。

ジャパン・ジャントルマンズ・ラウンジ
http://j-gentlemanslounge.com

Photo:Riki Kashiwabara
Writer:Makoto Kajii



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