「超」がつくほどの高齢化社会となった日本。"きょうだい"間で助け合いながら親の介護を頑張っているという方もさぞかし多いことだろう。
危機管理コンサルタントの平塚俊樹氏は、きょうだい間の介護協力についてこう忠告する。
「”きょうだい”といえどもそれぞれ異なる生活を送っている人がほとんど。不公平感を抑えて介護を協力し続けていくことは容易ではありません。
できるだけ不公平感なく親を看るには、事態が深刻になる前に、親も交えて本音で介護について相談し合っておくことが肝心なのではないでしょうか」
今回は、以前から憧れていた「自分の夢」を実現しようと計画していたところ、実の姉に猛反対され、姉妹関係が崩壊しつつある、とのお悩みを寄せてくれた女性を取材した。
「若い頃はよく食事したりショッピングに出かけたりして、本当に仲が良い姉妹でしたが、最近では姉から恨まれて、関係はすっかりこじれてしまいました」
こう話すのは39歳で独身の緒方紀美恵さん(仮名)。
「姉は6歳年上で45歳です。離婚歴があり、子供はいません。私は大学入学と同時に家を出たあと就職で実家のある県に戻りましたが、実家には戻らず1人暮らしを続けてきました」
18歳で家を出て以来一度も実家に戻っていない紀美恵さんに対し、姉が実家を出たのは、結婚してから離婚するまでのわずか4年間だけである。
「かつての姉は私が実家に帰らないことを好意的に受け止めていたんです。それなのに、大好きだった母が3年前に亡くなり父と2人になったことで、なぜか自分だけが父を押しつけられていると被害者意識を持つようになりました」
紀美恵さんはただそれまでと変わらない生活を、姉妹それぞれに続けてきただけだと思っていた。しかし、いつのまにか、姉は被害妄想を膨らませていたようだ。
「母は父より7歳年下でとても元気な人でした。不摂生ばかりの父とは違って、水泳に通ったり食事に気を遣ったり…。昔からヘビースモーカーの父よりも母が先に亡くなるなんて、姉は夢にも思っていなかったんだと思います」
父を看取ったら、2人で温泉旅行三昧をしようね、と母と2人で相談していたという姉。紀美恵さん一家はもともと旅行が好きだった。
「私が中学生の時には家族でハワイに行きましたし、高校生の時は台湾にも連れていってもらいました。両親ともに元気だった頃は、姉と両親の3人で旅行することも……。私抜きでズルい、なんて若い頃はよく言っていましたね」
紀美恵さんの「夢」とは20代の頃に憧れ始めた「沖縄移住」だ。
「家族では行ったことがなかった沖縄に、大学生の頃から通い始めました。恩納村で初めてダイビングをした時は、人生観が変わるほどの衝撃を受けましたね」
紀美恵さんは就職してからも、大型連休などにはダイビングを主な目的として沖縄や周辺の離島に通った。
「沖縄料理も、自宅でも作るほどハマりました。行きつけのご飯屋さんや飲み屋さんもでき、現地の知り合いが少しずつ増えていくうち、自然に『将来住みたいな』と思うように…」
新卒で就職したのは食品メーカーだったが、そこで広報所属となってWebサイト制作に関わったことが、紀美恵さんの運命を変えた。
「Webサイト制作を仕事にすれば、やり方によっては全てリモートワークで完結できるのではないかと思い、修行するために制作会社に転職しました。もちろん、沖縄移住を見据えてのことです」
このような思いや計画を、紀美恵さんは折りに触れて姉に報告してきたという。
「いいじゃない!と姉はいつも言ってくれました。妹が沖縄に住むなんて素敵、私も時々遊びに行けるじゃん、と笑って言っていたんです。こんな反応されたら、普通は移住を応援してくれていると思うじゃないですか」
ところが、母の三回忌が終わり、紀美恵さんが沖縄にいい物件を見つけたという話をすると、姉は思いもよらない反応を見せた。
「ちょっと待ちなさいよ。私にお父さんを押しつけて、あんたはのんきに沖縄でダイビング三昧の暮らしをしようっていうの?と開口一番に言われました。物凄く驚きました」
以前のノリで会話を切り出した紀美恵さんに対し、明らかにトーンに変化が見られた姉。しかしそれは激しい姉妹げんかの序章に過ぎなかったのである。
後編では、昔とは真逆の態度で紀美恵さんを責め始めた姉の変わりようと姉妹の激しいバトルの様子をお伝えする。
取材/文 中小林亜紀
Photo:Getty Images