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【岸田総理に爆発物】テロや暴力を賞賛するSNS投稿…“同情的なお花畑ヒューマニズム”の恐ろしさ

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講演、メディア出演、執筆などを通じて、炎上の「火消し」からフェイクニュース対策まで幅広く発信している小木曽健氏によるネットニュース分析、推察コラム。

テロを称賛する人たち

ビックリしましたね、岸田総理に対するテロ未遂事件。第一報を聞いた瞬間、胃にドス黒い塊が放り込まれたような、何とも言えない感覚に襲われ……幸い犯行は未遂に終わりましたが、だからと言って「未遂で良かった」で終わる話ではありません。

実は事件後、ネット上では「犯人グッジョブ!」とか「失敗しやがって」といった投稿が、僅かながら見られたんですよ。冗談ではなく、どうやら本気のようで。投稿主がどんな気持ちでコメントし、そこにどんな思想背景があるのかは知りませんが、いかなる状況にあっても、テロや暴力で「物事が進んだり、変わったりすること」は絶対に許容してはダメです。これに関しては一切の例外ナシ、絶対にナシ。

1、○○を解決したいと主張する
2、○○を解決したいから殺す

この2つ、「1」が言論の自由で、「2」がテロリズムです。議論して互いに意見を戦わせるのが「1」、暴力で互いに殺し合うのが「2」。テロを称賛する人々って、本当に「2」で良いんですかね?

今後、容疑者の人物像や犯行に至った背景が報道されるでしょう。複雑な家庭環境や同情を呼ぶエピソードが報じられるかもしれません。ですが私は絶対に共感しないし、容疑者の行動に理解を示すよう言説には全力で反論します。今回の犯行を称賛する記事や主張も、心底軽蔑する予定です。もう決まっています。

なぜなら私たちが自由にモノを言い、自由に振舞えることは何よりも尊く、守るべきものであり、それを踏みにじる行為はいかなる理由があっても許されないからです。これまで日本で言論の自由が維持されてきたのは、テロや暴力による現状変更を絶対に許さないという「社会としての矜持」を、私たちが持ってきたからでしょう。

お花畑ヒューマニズム

世界的に見ても、日本はかなり自由な言論空間が維持されている国です。ネットで、メディアで、権力者への批判だろうが皇族への罵詈雑言だろうが、自由気ままに好き放題、思う存分発信できる。誰が何と言おうとこれは事実。もちろんその内容によっては民事で訴えられたり、法に触れれば逮捕されるかもしれませんが、それは決められたルールを破ったからに過ぎません。

少なくとも今の日本は、発言内容「そのもの」で投獄されたり、殺されたりする国ではないのです(諸外国の中には、発言内容そのものが「ケシカラン」というだけで……という国もありますからね)。

日本は謎の「反ワク」デモですら警察の警備付きで自由にやれる国。党名がコロコロ変わる冗談みたいな政党だって、陰謀論にドはまりしている政党だって、民主主義に伴うコストとして存在し、主張することが許される懐の深さ。それが日本における言論の自由です。

もちろんその分だけ、余計な遠回りをしたり、壮大な無駄が生まれたり、まあイライラすることも多いですが、それで良いのだと思います。それらが言論の自由によってもたらされたモノならば……。

あまり安全じゃなくなった日本で、大切な財産である言論の自由をどうやって守っていくか。これまでの日本が安全過ぎたのかもしれませんが、手製の銃で安倍さんを殺害した、たった一人のテロリストがすべてを変えてしまった気がします。

私たちにできることは、今回のようなテロに対して「彼を追い込んだ私たち社会にも原因があるのでは?」とか「背後に何か深い事情があるのでは?」なんていう同情的なお花畑ヒューマニズムを捨て去ることです。どんな背景、どんな事情があろうが、自分の主張の為に相手をぶん殴ったり殺したりする人間を許さない。それが当たり前、という社会にすることです。

メディアの片隅でフラフラしてる私みたいな人間だって、殺されるかもしれないから黙っておこう、なんて社会は絶対にカンベンです。黙るつもりもありません。


Text:小木曽健(国際大学GLOCOM客員研究員)
※本記事のタイトルはFORZA STYLE編集部によるものです。



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