「仕事が忙しくて、いつも寝顔しか見られない」「子供が飽きっぽくて習い事が続かない」——。パパの子育てに悩みはつきません。頑張れば頑張るほど空回りしている気もします。
「どの子も親から受け継いだ、素敵な才能を持っています。あたたかく見守りましょう」
こう語るのは、桐和会の岡本和久理事長から紹介の慶應義塾大学医学部小児科医の高橋孝雄教授。初の著書である『小児科医のぼくが伝えたい 最高の子育て』(マガジンハウス)は12刷り6万部を記録。36年間の小児科医の経験を誇る高橋教授から子育ての秘訣、虐待の現実、小児科医療の現場についてシビレるほど素敵な話を聞きました。
——高橋先生のご自身の子育ては?
「初めての子が12月20日に生まれて、クリスマスイブの24日まで会いに行かなかった。 片道たったの30分の距離です。子どもに会い に行きたい、 家内に 労いの言葉をかけに行くべきだ、とよぎりましたが、担当だった小学生の女の子の病状が急に悪化していった時期でもあった。脳 梗塞を起こし、 意識がなくなり、どんどん衰弱していった。生死の境を彷徨っている子ども の主治医として、自分の子が生まれたのでちょっと会いに行ってきます、とは言い出せなかった。
残念ながら、その子はまもなく天に召されました。クリスマスイブの夜に ぬいぐるみか何かを買って会いに行ったようです。ようです、というのは私自身には記憶がなく、後になって家内からそう聞いたのです。女の子が亡くなったショックを引きずっていたのか、記憶が定かではない」
——壮絶ですね。
「家内から「子どもが生まれてもお父さんが来ないから、相部屋の他のお母さんたちからはシングルマザーだと思われて、腫れ物扱いだったのよ」と聞かされた。
これも記憶に無いのですが、生まれて4日後にのこのこやってきて、娘の体に聴診器を当て、「うん健康な子だ」と言ったようです。相部屋の他のお母さんたちとはクリスマスイブ以後やっと打ち解けられた、と聞きました。
ひどい父親だな、と我ながら思うのですが、職場を離れなかったこの判断は、小児科医を生業にしている者として 止むを得ないものであったのかも知れないと思っています」