執着と変わってしまう「愛」
また、愛と憎しみは表裏一体で、嫌ったり恨んだりという感情は、愛情の裏返しとも言われます。
ただ一つ引っ掛かるのは、愛から憎しみへと変わる瞬間、それは単純な愛ではなくて、「愛」が対象物への「執着」へと変わり「憎しみ」へと豹変してしまった様に思えます。
本来、愛というのは、山から湧き出る源流の様に一方的に流れ続ける想いですが、何かに執着してしまった愛というのは「所有欲」や「嫉妬」のような感情と結びつきやすく、冷静さを失い、悲劇を生む事が多い気がするのです(気絶)。
カップルや親子でも、関係がおかしくなるのは、そのせいです。
気を晴らすこと
気を晴らすという意味では、平安中期〜江戸前期の「後妻打ち(うわなり打ち)」という慣習があった時代の方が、まだ健康的かもしれません(気絶)。
「後妻打ち」とは、男性がサレ妻と離別して1ヶ月以内に、新しい妻を迎えたときに行われる襲撃です。
サレ妻は20〜100名の相当な人数の女性を呼び集めて、夫を奪った後妻の家を襲来し、 台所を中心に家財を徹底的に破壊し、竹刀や棒で打ち合ったとのこと(ホラー気絶)。
サレ妻の憎しみ・憤りを発散させる儀式とされてきました。
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