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FASHION 百“靴”争鳴

【ブーツブランド、ホワイトクラウド 後藤庄一】富士山の麓にある村で、やんちゃな大人に囲まれて育った話 Vol.2

百靴争鳴。日夜美しい靴作りに情熱を燃やし合う、異色の靴職人たちへのインタビュー集。

第2回は、後藤さんが社会に出るまでの話です。

やんちゃだった叔父さんやお兄さんにはついていけなかった温厚な後藤さんも、彼らが愛する世界には抗えなかったそうです。それがバイクであり、ブーツでした――

抗えなかったバイクの魅力

あぁ、そのハーレー、いまは動かないんです。直したいんですけどね。ひとりで靴をつくっているから修理する時間がないんです。おかげさまで注文は順調で、納期は1年半から2年。

もとは叔父貴のバイクでした。欲しくて欲しくて、スナックのバイトで100万貯めて、これで譲ってくれってお願いしたんです。いろいろいじっているから叔父貴がつぎ込んだ金は300はくだらないでしょう。でも二つ返事でいいよって。

この叔父貴がちょっとほんとうにやんちゃな人で、「息子が逃げている」って、うちのばあちゃんが叫んでいるから なにごとかと思ったら警察に追われていました。

そんな感じだから、兄貴も悪かった。小学校のことです。見るからに悪そうなお兄さんがわたしを弟と知ると、直立不動でお辞儀しましたからね。

反面教師っていうんでしょうか。ああいう風にはなりたくないと思って自分は距離をおきました。距離はおいたけれど、彼らが愛する世界の魅力には抗えなかった。それがバイクであり、ブーツでした。

ハーレーのほかには、高校でスズキのRGVガンマ、ヤマハのFZR、社会人になってカワサキのゼファーを乗り継ぎました。

テレビでは深夜にMotoGP(ロードレース世界選手権)がやっていたし、当時 色気づいた子どもがこぞって飛びつくのがバイクでした。純粋に、バイクに乗りたかったんです。

学校ではバイクは禁止されていました。校則違反ではあったけれど、兄貴たちのような悪さをするわけじゃない。自分のなかではバランスがとれているつもりでした。

でも、自分ではまともと思っているこのバランス感覚はちょっとおかしいのかも知れない。

就職した会社では入って1年かそこらで髭を生やして 色つきのシャツを着て出社していました。身なりはそんなでも、仕事には精を出して取り組んでいましたからね。自分なりにすっかり会社に染まっていると思っていました。上の人間には新人のくせに いい度胸をしているなといわれましたが、わたしにいわせればまったく意味がわからなかった。

そういえばハーレーを手に入れたときは、まだ大型の免許をもっていませんでしたね。

叔母さんのいい人

スナックは母の姉が竹の塚で営んでいました。

(親指を立てて)叔母さんのいい人。この人には影響を受けました。大手新聞社で記者をやっていた人です。当時の記者は裏の裏まで通じています。ちょっと普通の人とは違う雰囲気を漂わせていてたまらなかった。海外の事情にも明るい人でした。(ジョン)ロブのことを教えてくれたのもこの人だったし、ジャガーはジャガーじゃなくて、ジャグワーっていうんだって教えてくれたのもこの人でした。

でね、この人がいうんです。バイトをするなら目的を決めたほうがいいって。で、叔父貴のハーレーに狙いを定めたというわけです。亡くなったときは葬儀にも顔を出しました。形見分けっていうんですかね。叔母さんがこの靴いるかっていうから見たら小笠原シューズでつくられた靴でした。小笠原シューズといえば知る人ぞ知る日本が誇る工房です。“いい人”の目利きぶりにいまさらながら舌を巻きつつ、わたしはその偶然に驚きを隠せませんでした。

小笠原シューズはかけがえのない盟友、根岸(貴之)くんが代表を務める工房だったんです。そうです。ハンマリングを教えてくれた職人仲間というのは根岸くんのことでした。

藁葺き屋根、囲炉裏、五右衛門風呂

生まれ育ったのは山梨県の忍野村。藁葺き屋根、囲炉裏、五右衛門風呂。古き良き日本の三点セットが揃った家で育ちました。近所の軒先には仕留めた熊や兎が吊るされていました。

我が家は板金業を営む兼業農家でした。これが大所帯で、祖父母に親父の兄弟が8人、そして住み込みの職人がともに暮らしていました。母親はまかないづくりで毎朝のように髪を振り乱していました。

祖父は子どもの自分が見ても惚れ惚れするくらい腕利きの職人だった。一枚の銅板を叩いて鬼飾りをつくっていましたからね。ほら、神社仏閣の屋根の先っちょに飾られているでしょ。あれです。

よくある親子喧嘩で、親父は家族を連れて埼玉に出てきました。自分が小学校にあがるまえの話です。親父は板金屋として子どもたちを育ててくれました。

自宅兼工房のこの建物は親父がリフォーム工事をやってくれました。すべてお任せで。いい歳だし、これが最後の仕事になるかも知れないなぁ。

Vol.3へ続く。Vol.1はコチラ

後藤庄一(ごとう しょういち)
1972年山梨生まれ。高校卒業後、ビジネス英会話スクールを経て1993年、イタリアのレーシングブーツ・ブランド、シディを扱う輸入代理店の岡田商事に就職。1998年、接骨院に転職。2001年、ハーレーダビッドソンジャパンに転職。2003年、サルワカフットウェアカレッジに入校。2005年、ホワイトクラウドを立ち上げる。屋号には空に浮かぶ雲のように自由でありたいという思いが込められている。

【問い合わせ】
WHITE KLOUD CUSTOM BOOTS
埼玉県越谷市蒲生東町5-38
048-985-9816
info@88.whitekloud.jp
https://whitekloud.com

Photo:Shimpei Suzuki
Text:Kei Takegawa
Edit:Ryutaro Yanaka



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