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FASHION 百“靴”争鳴

【三長、ボールバンド】紳士靴界を率いた男の伝説的活躍とこれからについて。

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百靴争鳴。日夜美しい靴作りに情熱を燃やし合う、異色の靴職人たちへのインタビュー集。

日本の地力をみせつけたい。その思いが三陽山長、そしてボールバンドを生んだ (最終回)

アメリカやヨーロッパの靴を日本に広めた立役者、長嶋さんは あるときからあることが頭から離れなくなります。たしかに欧米の靴は格好いいけれど、日本だって負けていない。同胞として、これは悔しい──。

ヤハズの復活

世界中の靴を見てきて思ったことがあります。それは、日本の職人は けして引けをとっていないということです。にもかかわらず、仕上がった靴は残念ながら後塵を拝している。なにがいけないんだろう。さんざん考えてたどり着いたのが、革じゃないか、というものでした。

そこでぼくはアレン・エドモンズの日本担当、ジャッキー・クレスさんに頼んでコステルの革を調達した。コステルは、いまはなき名門タンナーです。付き合いのあったセントラル靴に持ち込んで、サンプルをつくってもらいました。

オーセンティックなドレスシューズにスキンステッチやヤハズという職人技をまぶしました。ヤハズは高円寺で働いていたころの思い出が かたちになったものです。

昭和の時代には杉並や中野にも注文靴の職人がいっぱいいました。チヨダは場を提供し、注文をとらせていました。彼らの靴はソールを斜めに削ぎ落としていた。理由を尋ねると、底まわりが華奢に見えて上品だろうって。業界を見渡してもそんなことをやっている職人は もはやひとりとしていませんでした。これは武器になると踏んで採り入れることにしました。

ぼくは彼らがつくる靴をしみじみ格好いいなと思っていました。腕もよかったけれど、考えてみれば革もよかった。ぼくらは舶来と呼んでいましたが、アッパーにはドイツボックスという重厚かつ肌理の細かな革を使っていました。

注文靴には注文流れ、という靴がありました。つくったはいいが なんらかの事情があって納品できなかった靴のこと。注文客の手には渡らなかったが、ものはいい。チヨダは注文流れも売り場に並べました。ぼくは これを熱心に売りました。サイズはひとつしかないから なかなかハードルが高いんですが、ハードルが高いから賞金がつくんです。俄然、燃えました。

上得意客は女親分が取り仕切る組の代貸(※貸元<親分>の補佐役)でした。ずいぶんとかわいがられましたね。その組はもとは親分の旦那さんが組長だったんですが、旦那さんがひとり浅草に殴り込んで散って、跡目を継いだそうです。

伊勢丹で50足を超えるオーダーが

話が逸れました。ヤハズを復活させたその靴は伊勢丹の目にとまってトランクショーを開催してもらうことに。これが売れに売れた。一足5万円を超えていたのに ゆうに50足はオーダーが入りました。

ブランド名は山長印靴本舗に。日本のブランドだから むかしながらの名前でいこうって決めて、マル、カネ、キッコー……記号と文字を組み合わせた屋号をいろいろ試して、ヤマがもっとも収まりがよかったので山長としました。“長”はもちろん長嶋の“長”です。

よく年、三陽商会からラブコールがあって三陽山長に。ポール・スチュアートの仕事などで付き合いがあって、仲良くしていたんです。

日本が誇る靴産地、浅草を歩けば若者がうじゃうじゃいます。ぼくは日本の靴業界の栄枯盛衰を見てきた人間です。昨今の賑わいは目を疑うばかりでした。右肩上がりの経済成長神話に疑問を感じた彼らは手に職をつける道を模索し、そしてこの業界を選んだんです。世界広しといえどもこんなに人材豊富な国はそうはありません。いまなら日本はまだなんとかなる。アメリカのようになって欲しくない。そんな気持ちもどこかにありました。

プラットグッドイヤー

また昔話をしますけれどね、チヨダの社員だったころは大量生産への転換期であり、あっという間にセメント製法が広まった時代でした。いまはともかく、当時の接着剤は弱かった。ぼくはパンタロンシューズのソールの修理ばかりやっていました。

夜な夜なパンタロンシューズにソールを貼り付ける仕事に嫌気が差したからでしょうか。ぼくは靴はいいものじゃないと、と思うようになった。そんなこともあって、グッド(イヤーウェルト)を偏愛してきました。

靴というものは良し悪しが はっきりと現れるプロダクトです。素材選びや つくりのどこかで手を抜いた途端に安っぽくなってしまう。この点でグッドの優位性は揺るがない。甲の立ち上がりの美しさは なにものにも代え難いものがあります。

グッド至上主義のぼくに疑問が芽生えたのは、ペダラの商品開発に取り組んでいるときのことでした。ベースはアメリカントラッドだからグッドのサンプルをずらりと揃えました。ただ一足の例外を除いて。それがアメリカで見つけたカリフォルニアプラットフォームの靴でした。100年以上前にカリフォルニアで生まれたカジュアルな靴にポピュラーな製法です。

並べたときのバランスも悪いし どうしたもんかと最後まで悩みましたが、蓋を開けてみればプラットの反応はとてもよかった。そして商品化されて、評判になりました。

グッドは たしかに格好いいし、修理して履き続けることができるけれど、履き馴染むまでに苦労する。翻ってプラットは履きおろしから すこぶる快適です。

そこでぼくは型紙と製甲で その名を知られた佐藤親一さんに相談しました。プラットの履き心地とグッドのツラを一足の靴のなかで表現することはできないかって。そうして誕生したのがのちに特許を取得したプラットグッドイヤーでした。

プラットグッドイヤーは いわゆる袋物の構造となっていて、底面にU字状に縫い代が走ります。これをグッドで言うところのリブがわりにして すくい縫いをし、出し縫いをかけました。

ただ これには難があって、縫い代が不安定でコバが張り出してしまうんです。それに釣り込んでいないからどうしてものっぺりしてしまう。

根本から見直して08年に完成させたのが 現行のプラットグッドイヤーです。

前身のプラットグッドイヤーとの違いは釣り込んでいること、中底のベースを薄い革を巻きつけたスポンジとしたこと、このふたつです。リブの役割を果たすのは中底に巻きつけた革。これをすくうのではなく、貫通させています。

変則的な構造ゆえ、縫える機械はありません。つまり このすくい縫いは一点一点手縫いです。これが可能となったのは旧知のベトナム人が協力してくれているからです。

靴の勉強で来日した彼と知り合ったぼくは なんやかんやと世話してやりました。彼は帰国すると、念願だった靴工場を建てた。そして長嶋さんなら一足からでもつくりますよって言ってくれました。

アメリカを愛した男の集大成

その靴につけた名前は マークブラドッグ。愛犬が黒のラブラドールだったから、ブラックドッグ=ブラドッグというわけです。頭のマークは ぼくのアメリカでの愛称です。

むかしはさほど好きではなかったんですけどね。縁あって飼ってみたら これがかわいくてかわいくて。犬のために海の見える三浦(神奈川)に引っ越して、車も乗り換えました。

犬の名前はアイビーと言いました。残念ながら虹の橋を渡ってしまって、いま一緒に暮らしているのはハーシーです。チョコレート色をしているので、アメリカのチョコレートの名前をいただきました。ハーシーもラブラドールです。

靴のほうはマークブラドッグ改め、ボールバンドに。ボールバンドはアメリカの伝説のスニーカーブランドです。時代の波に抗えず、姿を消していました。ぼくはこれを復活させました。ボールバンドの店を出すにあたり、マークブラドッグのコレクションもボールバンドに合流させたのです。

パートナーの岩山(雅洋)はシーカンパニーのメンバーで何十年と一緒に仕事をしてきました。この物件はもとは床屋さんだった岩山の奥さんの実家です。外壁のレンガは床屋時代の名残りです。

すでに後期高齢者と言われる歳になりました。田舎に引っ込んだし、もう少しゆっくりしようと思っていたのに そうは問屋が卸しませんでした。

とはいえ現状に不満のあろうはずがありません。だっていまだに靴もアメリカも面白いんですから。

飽きませんねぇ。

え、(あなたのつくる靴は)往年のアメリカの靴を超えたかって。さてさて。それはどうでしょう。

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長嶋正樹(ながしま まさき)
1945年12月28日栃木・宇都宮市生まれ。1966年、チヨダ靴店(現・チヨダ)入社。1975年、京都河原町にトムマッキャンをオープン。1983年、ペダラ(アシックス)の企画開発に参画。同年、トレーディングポストを創業。1999年、プラットグッドイヤー製法の特許を取得。2000年、山長印靴本舗(現・三陽山長)をローンチ。2005年、マークブラドッグを創業。2008年、新生プラットグッドイヤーの特許を取得。2010年、アメリカのスニーカーブランド、ボールバンドの商標を取得。2020年、BALL BAND YUKIGAYA STOREをオープン、オリジナルブランドをボールバンドに一本化。

【問い合わせ】
BALL BAND YUKIGAYA STORE
東京都大田区南雪谷1-4-10レオノーレ雪谷1F
03-6425-8154
営業:11:00~19:00
定休:月火(祝日の場合は営業)
https://www.ballband-jp.com

Photo:Shimpei Suzuki
Text:Kei Takegawa
Edit:Ryutaro Yanaka



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