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FASHION 百“靴”争鳴

イッセイ ミヤケのショップのに並んだスニーカー「ワクワ」誕生秘話。

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百靴争鳴。日夜美しい靴作りに情熱を燃やし合う、異色の靴職人たちへのインタビュー集。

スペーリーをベースに数々の意匠を詰め込んだ、ワクワのスニーカー

アナトミカはフランスと日本に店を構えるコンセプトショップ。古き良き服や靴を現代によみがえらせるその店のシューコーナーにオールデンとともに並んでいるスニーカー、それがワクワです。アナトミカの総帥、ピエール・フルニエが全幅の信頼を置く寺本欣児がつくりあげました。

その誕生秘話を寺本さんが語ります。

イッセイ ミヤケのショップに並んだ

幸甚の至りだけれど、イッセイ ミヤケのショップに並んだ。これが粋でね、万葉集で詠まれた四季折々の色がテーマになっているんだ。キャンバスを染めたのは鼠、桃、山吹、松、縹、桑の6色。オム プリッセ イッセイ ミヤケとの共同企画で2020秋冬シーズンのランウェイも闊歩した。第二弾もこの春にリリースされて好評だよ。

イッセイ ミヤケといえば世界に冠たるブランドだ。ピエールに報告したらぼくよりも驚いていたよ。

その名は、ワクワ。ピエールの代名詞的存在であるオールデンと並んでパリのアナトミカにも飾られている。

来る日も来る日も木型を修正した

ぼくは おもむろに口を開いた。「ところでスニーカーは なにが好きなんだ」って。パリへ打ち合わせにいった折のことだ。

(欣児さんはデニムづくりが認められてピエールのパートナーになった。その顛末は追って語られるが、欣児さんはデニムにつづくアイテムとしてスニーカーをコレクションに加えようと目論んでいた)

ピエールはひと言、スペリーといった。彼がかつて扱っていた唯一のアメリカのスニーカーだったとはいえ、予想どおりの答えを聞いて心のなかで思わずニンマリしたものだった。

おんなじ質問をされたらやっぱりぼくもスペリーと答えただろう。

スニーカーと名のつくものならなんでも好きだが、男前なスニーカーってお題だったらスペリーに軍配があがる。だって内羽根だよ。革靴ならオックスフォードといわれるデザインだ。スペリーほどスマートでエレガントなスニーカーはない。

そうしてつくったのが U.S.Navy 1938 by SPERRY TOPSIDERをベースとしたワクワだ。

 

 

つくることが決まってからの日々は下駄を履かせることなく投げ出したくなるような毎日だった。木型の修正だけで8回。ピエールを口説いて完成するまでに要した期間は30ヵ月。我ながらよく乗り切ったもんだよ。

 

ピエールが唱える“SCIENTIFIC SHOE FITTING”、すなわちアナトミカル(解剖学的)な構造をかたちにしようと思えばどうしたって時間がかかる。

なぜなら左右非対称な甲の峰といい、オブリークなシェイプといい、アーチサポートといい、アナトミカルな構造を構成するもろもろは大量生産の時代がやってきてスポイルされていったからね。いまの木型職人につくれっていったって そうかんたんに事は運ばない。

アナトミカの“A”のロゴにはモチーフになっているものがある。わかるかい。正解は、歩いている人。よくみてごらん。その男は大股で歩いている。大股で歩こうと思えば履きよくなければならない。

妥協しちゃいけない部分だってことは重々承知していたよ。それにしたってピエールの細かさったらなかった。“デビル・オブ・ディテール”とみずから名乗るピエールをそのときばかりは本当に悪魔だと思った(笑)。一歩進んで二歩下がるを地でいく進行っぷりに業を煮やしたぼくは しまいにはピエールを工場に送り込んだ。職人と直接やりとりさせたんだ。

欣児さんの本領発揮

苦労に苦労を重ねたワクワは ぼくのこだわりも詰まっている。

1938年製の海軍用のボートシューズを再現したブラウン×ブラックのカラーパレット。1960年代後半〜70年代中盤のモデルから取り込んだ意匠の数々。型から起こしたスペリーソール。君(インタビュアー)がスニーカー好きならよだれが出ちゃうだろ(笑)。ぼくは世界でもちょっとは知られたヴィンテージ・コレクターだ。そこは自信をもってつくり込んでいるよ。

底付けはもちろんヴァルカナイズド製法。ソールの強度や弾性が遺憾なく発揮され、アッパーとの一体感が増し、型崩れがしにくいといわれる製法だ。それはたしかにそうかも知れないが、セメント(製法)だって悪いことはない。そこはノスタルジックな気分ってやつだね。なんたってスニーカーのオリジンといわれる製法だからね。

いまは生産を日本から台湾に移し、アッパーを日本製の9号帆布に、ソールをドイツ製のラテックスソールに変更した。木型もちょいちょい見直した。すべてがバージョンアップしたね。

肉球をヒントにしたソールだから、ワクワ

ワクワはスイスのおもちゃの名前だった。5歳のピエールがクリスマスのプレゼントに願って手に入らなかったおもちゃだ。動物を模した木製のそのおもちゃはボン・マルシェ(パリ7区にあるデパートメントストア)のショーウインドウに飾られていた。猫やシマウマ、キリンもあったけれど、有名なのは犬だね。冬のある日、ワクワをみつけたピエール少年は鼻がつぶれるくらいウィンドーに顔を押しつけた。

ピエールはワクワへの恋心を甘酸っぱい思い出に終わらせなかった。その後何年も飽きることなくおもちゃ屋や蚤の市を探して回ってひとつ、ふたつと手に入れてきたんだ。その執念にサンタもきっとおののいたのだろう(笑)。大人になったピエールは商標をもっている人間を突きとめてついに買いとった。

甲板でも滑らないってのが売り文句のスペリーソールは犬の肉球がヒントになって生まれた。大切にとっておいた商標はこのスニーカーにうってつけだったというわけだ。

なんともロマンティックな話じゃないか。さすがパリの男だね。

ピエールのこれまでもかんたんに話しておこう。フルネームは、ピエール・フルニエ。1975年にパリ・レアール地区にグローブを、1979年にパリ16区にエミスフェールをオープンするも、共同創立者の死去に伴い、クローズする。いずれもセレクトショップの先駆けといわれた店だね。そして心機一転、1994年にパリ4区にオープンしたのがアナトミカだ。失われつつあったヨーロッパの感性、技術をベースとしたアナトミカルなコレクションは好事家をうならせた。かくいうぼくもそのひとりだった。

Vol.2に続く。毎週金曜公開予定。

寺本欣児(てらもと きんじ)
1964年兵庫県生まれ。金万などでキャリアを積んだのち、1989年の夏に35 SUMMERSを創業。ロッキーマウンテンフェザーベッド、マイティーマック、ビッグヤンク、ブランギン・ドラゴンを復刻する。2008年にパリのコンセプトショップ、アナトミカのオリジナルレーベルの共同開発をスタート。2009年にスニーカーブランド、ワクワをローンチ。2011年、アナトミカの日本初のフラッグシップストアを東京・東日本橋にオープン。現在はアナトミカ(札幌、名古屋、神戸、青山、福岡)とアール(東日本橋、鎌倉、吉祥寺)の2業態を展開する。

【問い合わせ】

アナトミカ 東京
東京都中央区東日本橋2-27-19 S-building
03-5823-6186
営業:13:00~20:00
定休:火
http://anatomica.jp/stockist.html#tokyo

Photo:Shimpei Suzuki
Text:Kei Takegawa
Edit:Ryutaro Yanaka



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