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FASHION 僕が捨てなかった服

ホーウィコのクルーネックニットはビームスのレジェンドの「絶対に手放せない服」

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人生には、どうしても手放せなかった服、そう「捨てなかった服」があります。そんな服にこそ、真の価値を見出せるものではないでしょうか。そこで、この連載では、ファッション業界の先人たちが、人生に於いて「捨てなかった服」を紹介。その人なりのこだわりや良いものを詳らかにし、スタイルのある人物のファッション観に迫ることにします。

貰ったのが嬉しくて、当時は頻繁に袖を通していました

編集長干場が、お洒落だけにとどまらず、どんな所作が美しいのか、色気とは何か、男の美学とは何かなどについて教えを乞い、"人生の師匠"と公言するビームスの無藤和彦さん。

現在は、ブリッラ ペル イル グストのディレクターを務め、50歳を過ぎても「モテるためにはどうすべきか」をテーマに、自然体でカッコ良いスタイリングを意識しながら商品ディレクションに携わる無藤さんが、思い入れが強くて捨てられなかった服をご紹介する企画の第5回目は、ホーウィコ(HAWICO)のクルーネックニットです。

入社して間もない頃、先輩に譲って頂いたシェットランドニット。スコットランド南部の町ホーウィック(HAWICK)の老舗ニットファクトリーブランドが展開していて、いまはカシミアに特化しています。

頂いた当時は、多摩センターの方に住んでいたので、飲みに連れて行って貰った帰りに終電がなくなり、よく先輩の家に泊めて貰っていました。

そのときに「もう着ないからあげるよ」と頂いたのが、このニットです。

それが嬉しくて、よく着ていたのを覚えています。

今のようにクルーネック一枚にジャケットを着るようなスタイルは、当時のビームスのスタッフはしていなかったので、どちらかというと下にシャンブレーやタータンのシャツを着て、ネイビーのジャケットを羽織る、小綺麗で正統派な着こなしをしていました。

タグのマジック文字は、昔クリーニング屋で書かれたものです。当時住んでた多摩センターの無藤だから、「タ」「ムトー」です。

今やったらクレームになりますよね(笑)。

身幅が大きくて全然着られませんが、これは頂いたものなので決して捨てることはできません。

ブリッラ ペル イル グスト(Brilla per il gusto) レーベルディレクター
無藤和彦

21歳でビームス入社。渋谷の店舗でキャリアをスタートし、1992年にドレス部門のバイヤー、2003年には遊び心のある大人に向けたレーベル「ブリッラ ペル イル グスト」のディレクターに就任。50歳を過ぎても「モテるためにはどうすべきか」をテーマに、自然体でかっこ良いスタイリングを意識しながら、商品ディレクションに生かす。1965年東京生まれ。

Photo:Shimpei Suzuki

Edit:Ryutaro Yanaka



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