鎌本さんが独立を決めたときには出資したい、という人が何人もあらわれたそう。
それは ひとえに誰にも負けないスニーカー愛とその愛が生んだ圧倒的な知識量の賜物です。いまやブランドからも頼りにされるスニーカー業界を代表するひとりになりました。
店のテコ入れ
2020年を経験して、インバウンド需要がいかに大きかったかを痛感しました。もっとも落ち込んだときで3割(減)。中野でブロードウェイ、吉祥寺でジブリとスキットという中央線沿線のルートができていたんですが、これがさっぱりなくなった。
あらためてテコ入れしたのが店でした。これまでは楽天の通販が大きな比重を占めていた。結果、店のほうは仕入れたブツが週末にハケけてしまい、平日に来店されたお客さんをがっかりさせることが多くなっていた。
ネットを優先したばっかりに、店頭の品揃えがおざなりになっていたんです。ひどいときで2000(足)くらいまで減っていたんじゃないでしょうか。巻き返して、いまは常時3500から4000(足)に。
ネットに出品すれば労せずして売れていきます。つい、そこに頼っていました。でもね、今週の3万円の売り上げが来週にずれ込んだところで大した問題ではない。だったら店の品揃えを厚くして、わざわざ足を運んでくれるユーザーに喜んでもらおうべきだと考えました。
おかげさまで、いままた新規客が増えています。
誰かに買い取ってもらいたい
2001年に吉祥寺、07年に大阪・堀江、09年に仙台、12年に福岡・大名にオープンしました。それぞれ吉祥寺で一緒に汗を流したスタッフに任せています。
まだまだ店を増やしていきたいと思っています。それには資本がいるし、スタッフも育てないといけない。
スタッフには真贋を見分ける力が求められます。買取をやる以上、それは生命線です。私物のフェイクを並べて違いを指導しますが、実際の現場では比べなければならないようではダメです。カウンターに置かれた瞬間に本物かどうか わからなければならない。これは一朝一夕にはいかない。
ぼくは数え切れないほどのスニーカーをみてきました。いまなお休みの日は古着屋を巡ったりしています。それができるのは、この商売を仕事とは思っていないから。それくらいやらないと目利きにはなれません。
いま狙っているのは名古屋。店を出して欲しい、という声が多いんです。売上げデータをみると、名古屋のお客さんが通販で買われていることがわかります。
店をひとつ出そうと思えば 2000万円からかかる。人材育成はなんとかなっても、こっちは限界があります。大手がうちを買ってくれないかなと本気で思いますよ。デッドストックは減るいっぽうだし、並行輸入が厳しくなっている現状もある。このままでは、スニーカー・カルチャーは終わってしまう。
スニーカー好きな人のために
委託にももう一度、力を入れたい。じつは かつては売り上げの40%を占めたのが委託でした。
スニーカー好きって際限なくニューモデルが欲しくなるもので、放っておけば資金繰りは苦しくなります。ぼくらはこんなときどうするか。ワードローブのスニーカーを放出して あらたなモデルを手に入れるんです。それなりの軍資金が必要なときにメルカリで ちまちま売るなんて大変じゃないですか。悩めるスニーカーヘッズにとって委託は大切なサービスなんです。
ところが うちの委託を商売につかう輩があらわれた。忘れもしない2010年。発売日にエア ジョーダン 10が200足持ち込まれたときに、これは違うんじゃないかと思った。このお客さんはネットで売りつつ スキットにも並べようとしていたんです。
一週間後にやっぱり引き上げたい、というお客さんには そのままお返ししています。本来は手数料をとるものです。いってみれば倉庫に預けたのと おんなじですからね。しかしそれは店の言い分。ぼくが客なら、そこで財布を開くのは腑に落ちない。それにね、一度は手放しても どうしても履きたくなっちゃうのがスニーカーなんです。
あくまで委託はスニーカーが好きで しょうがない人のためのサービスだと割り切っていたからこそのスタイルでした。そこを逆手にとられたわけです。
ここのところは発売3ヵ月以上経ったモデルに限定し、おもに常連客のサービスとしてやっていましたが、この間口を広げる工夫を考えたいと思っています。
あっという間の20年
雇われのときは いろんな人に声をかけられました。「店を出さないか」って。多くは出資するというスタンスだったけれど、ひとりだけ違った。お客さんだったその人は一緒にやろうっていって、こう続けました。「10万円でもいいからお金を出してください。そうすれば共同経営ってことになりますから」。勤めていた会社を辞めると、起業からこっち、ずっとぼくを支えてくれました。
一国一城の主になって20年。振り返ってみれば あっという間でした。
スキットの名前の由来ですか。“SNEAKER DIGGIN' 365 DAYS!”、“KEEP”、“IT”、“TIGHT”の頭文字をとっています。気を緩めることなく、365日スニーカーを掘り続けろ、といった意味になります。いまなお敬愛してやまないMUROさん(日本のヒップホップシーンの先駆者)が掲げた “KEEP ON DIGGIN' 365 DAYS.”をいただきました。
スニーカーは ただの履き物です。だけど、この歳になっても あたらしいジョーダンが出れば子どものように興奮しますからね。カッケーって。そしてそのスニーカーを履けば、まえよりも高く飛べるかもって、ワクワクするんです。
今週の“鎌本さんがいま履きたい”スニーカー
AIR JORDAN 10 KENDALL GILL PE #13
1995年に発売されたシアトルスーパーソニックスの都市限定カラー。ベースはケンドール・ギル選手のプレイヤーズエクスクルーシブ・モデル。「ブラウン管の向こうで指をくわえてみていたモデル。市販されないモデルがあるということをこのモデルではじめて知った。スニーカーヘッズが掘るべきモデルはこういうモデルだと思う」。私物
鎌本勝茂(かまもと かつしげ)
1978年青森県生まれ。高校卒業と同時に上京、いくつかの店でスニーカー販売を手がけ、2001年、吉祥寺に一号店をオープン。そのたしかな見識眼で多くのスニーカー・ファンを虜に。映画『スニーカーヘッズ』にも出演した。現在は大阪、仙台、福岡にも出店。
【問い合わせ】
スニーカーショップSkit 東京・吉祥寺店
東京都武蔵野市吉祥寺南町1-18-1 D-ASSET吉祥寺1F
0422-47-6671
営業:11:00~20:00
https://www.k-skit.com
Photo:Shimpei Suzuki
Text:Kei Takegawa
Edit:Ryutaro Yanaka