皆さんこんにちは。中年B、ノリシゲセイイチ(56)です。
今回のスーパーカーはエキゾチックなイタリアンボディにフォード製V8エンジンを搭載した『デ・トマソ パンテーラ』です。伊米合作スーパーカーなんて呼ばれますが、デ・トマソとフォードの利害が一致したから誕生したワケで、パフォーマンス的には十分にスーパーカーの基準に達していました。
このパンテーラ、当時の記憶を辿るのですが、どうにもピンとこない存在(漫画では四国の獅子の愛機)というか、実車版の映画『サーキットの狼』の残念な思い出が蘇ってしまうのです。
映画のロケ地は鈴鹿サーキット。パンテーラは結構いいポジションを走っていたかと思うのですが、スーパーカーイベントでの相乗りロケのために、なぜか途中から一般道の山道を走り出します。
飛んだり跳ねたり派手なアクションシーンで壊れるのはなぜかアメ車という方程式がいただけません。おまけにラストシーンがスポンサーの企業案件で締められるというオトナの事情を見せられてしまうのです(子供でもわかるレベル)。
さて、そんなパンテーラですが、どんなスーパーカーなんでしょう。
創業者のアレッサンドロ・デ・トマソは政治的理由から故郷であるアルゼンチンを離れ、イタリアにやってきました。当初はマセラティやOSCAでレース活動を行っていましたが、やがて自動車ビジネスへと転身。1959年にデ・トマソ社を立ち上げます。ちなみにパンテーラは、バレルンガ、マングスタに続く3番目のミッドシップカーです。
デザイナーはカロッツェリア・ギア在職時のオランダ系アメリカ人のトム・チャーダ。ミシガン大学卒業後、24歳でイタリアに渡ってきた彼は、カロッツェリア・ギアからキャリアをスタートし、ピニンファリーナでフェラーリ365GTカリフォルニアスパイダー、フィアット124を手掛け、イタルデザインの立ち上げではジウジアーロと共に尽力。そして1968年、再びカロッツェリア・ギアに戻りデザインしたのがパンテーラでした。
野心家といわれるデ・トマソは1967年にカロッツェリア・ギアを傘下に収め着々と歩みを進めていました。1970年代にはイタリア政府の管理下にあったマセラティを買収しています。ハナシは前後しますが、デ・トマソがレースをしていたOSCAはマセラティ3兄弟が立ち上げた自動車メーカーですから、創業家への思いが彼の行動を生んだのかもしれません。
パンテーラのタイムラインは1971年から1992年と長期に及びます。エンジンはフォードがクリーブランド工場で生産するV8エンジンの351ユニットを供給。排気量は5.8リッターで最高出力は335~350hpありました。最終モデルとなる1991年登場のパンテーラSIはインジェクション仕様となり247hpほどしかありませんが、マルチェロ・ガンディーニによるリデザインにより通称ガンディーニ・パンテーラといわれます。
さて、スーパーカー少年としてはイマイチ記憶に薄いパンテーラでしたが、ワタシが高校生になった頃、衝撃的な事件が起きました。なんとチューンド・パンテーラが谷田部のテストコースで最高速度300km/hオーバーのレコードを叩き出すのです!
それまでは実際に走らせるとフェラーリ様のBBは280kmそこそこ、猛牛カウンタックに至っては完調ではないといいながら260m/hすら超えず、夢が尽きかけていた頃にパンテーラという使途がやってきて子供心にトドメを刺したのです。ああ、無情!
こうしてスーパーカー少年の夢をブチ壊したパンテーラですが、決して嫌いではありません。初期モデルはプレーンで美しく、パリの路上で見たバーガンディのSIはオトナのエレガンスを放ちまくっていました。個人的にはド派手なオーバーフェンダーを装着したホモロゲーションモデルのGT4、続くGT5やGT5Sより好ましく感じます。
このチューンド・パンテーラはNASCAR仕込みのシボレーエンジンだったという現実は別としても、アメリカンV8のポテンシャルを知る機会となりました。レース馬鹿は万国共通。ああ、ジドウシャってスバラシイですね。
Text:Seiichi Norishige