CAR ― 中年Bのスーパーカー回顧録

【フェラーリ・ディーノ206 / 246 GT】スーパーカー少年は東の聖地“田園調布”を目指す!

2021.1.25 2021.1.25
2021.1.25

皆さんこんにちは。中年B、ノリシゲセイイチ(56)です。

カウンタックだ! いやいやBBだ! と少年たちが日々激論を交わす教室の傍らで、机上を舞台に、淡々とスーパーカー消しゴムをボールペンのノックで弾く集団ココにあり。

狙いを定めてポチッとな。バネの戻り反動をエネルギーに互いの手ゴマをぶつけます。机から転落すれば万事休す。落とされたスーパーカーらしきカタチの消しゴムは(その実、鉛筆跡すら消せずヨゴレ拡大)、押し出した勝者に問答無用で没収されます。滑り過ぎれば弱く、しかし、適度に滑らせないと勝負になりません。

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©︎Getty Images

適度に皆が楽しんだ頃、鉄道大好き少年がふと口火を切ります。「ねえ、田園調布行かね?」。「まあ素敵。ワタクシもご一緒できますのね!」。 実際には少女漫画のようなセリフを吐きませんが、田園調布には東のスーパーカーの聖地『オートロマン』があるのです! 

オートロマンは高級輸入中古車店のひとつなのですが、経営者がやり手だったのでしょう、フェラーリやランボルギーニ、ポルシェが必ず展示してあるというテッパンの撮影ポイント。 週末は全国のスーパーカー少年たちが押し寄せお店を包囲します。

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1976年某月某日日曜日。3人のスーパーカー少年は高級住宅街がある田園調布駅に降り立ちます。この3人は下町育ちのハナタレですから、お洒落さんではありませんしお小遣いも少額です。到着早々、駅前のパン屋さんで1本のフランスパンを買い3人でシェアします。もぐもぐテクテク……。

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どこをどう歩いたのか記憶にありませんが、瀟洒なレンガ造りの豪邸風の建物が交差点の角に見えてきました。すでにアチコチから来た少年が群がり、オートロマンを包囲しています。いざ突入!

もう大サービスなんでしょうね。敷地の中央にネ申であるBBが、前後カウルと両ドアを開けた状態でドーンと置いてあります。みんなお行儀よく、エントランスからパシャパシャとシャッターを切ります。

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しかし、ワタシのカメラは悲しいかな固定へなちょこレンズの上、おまけにフィルムは一眼レフの半分しか使わない“ハーフ”タイプです。BBがマメ程度にしか写せません。でも悲しくなんかありません。連れである第3の男はカメラ小僧であり、自慢のキャノンで仕留めてくれるのです!

あとは任せたとばかりにワタシは目を細めガレージ内を物色。そこに発見したのは鮮やかなイエローに輝く『DINO』(以下、ディーノ)であります。おお~初めて見たぜ! 隣に停車するカエル号が霞んで見えます。

どうしても車高が高く見える911は、当時のワタシにとってやはりスーパーカーらしきモノ。並べてみれば一目瞭然。Gボディの911の全高はおよそ1,350mm。ディーノは246でもおよそ1,115mm。やはり低いはエライ。よってフェラーリ様の大勝利なのであります。

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さて、ディーノの生い立ちです。エンツォ・フェラーリは12気筒こそフェラーリという考えでしたので、V6エンジン(横置き搭載)のディーノには馬のマークのエンブレムを与えず、サブブランド的扱いでディーノを発表しました(定説)。現在でいうところのブランディングですね。

しかし、思い入れは強かったようで一粒種だった息子、『Alfredo Ferrari』の名を由来とする車名、『DINO』と名付けます。アルフレードとはエンツォの父親の名前であり、息子の方のアルフレードはアルフレディーノ(イタリア語で小さなアルフレッドという意味)、愛称でディーノと親しみを込めて呼んでいたそうです。

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息子のアルフレードは大学を卒業後、フェラーリに入社。エンツォはアルファロメオ時代から共に戦ってきたエンジニア、ヴィットリオ・ヤーノに託し修業させます。その時に誕生したのがバンク角65度の1.5リッターV6エンジン(F2のレギュレーションで6気筒に制限)。市販車のディーノに搭載されたV6エンジンはフランコ・ロッキが設計したものですが、その原点はヤーノとディーノが作り上げたエンジンといわれます(ややこしいですね)。

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時系列でディーノを整理すると、初期モデルの2リッターV6搭載車『206GT』が1968年から1969年でアルミボディを採用し総生産台数152台。1970年から排気量を2.4リッターに拡大し量産化を図るためスティールボディを採用した『246GT』となり、1972年にタルガボディの『246GTS』を加え、1974年の最終モデルまでGTが2,295台、GTSが1,274台生産されたといいます。

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ちなみに、アルフレード・フェラーリ(ディーノ)は1956年6月30日、筋ジストロフィー症により24歳の若さで生涯を終えます。実際にはヤーノと開発していたレース用エンジンの完成を見ることはなく、また、市販車であるディーノの誕生を知りません。

ただ漏れ伝わるところによると、当時のフェラーリの市販車は12気筒エンジンだったので、もう少し小さなエンジンを搭載するスポーツカーを作ることが夢だったそうです。表向きは12気筒じゃないから……といいつつ、エンツォは『DINO』の4文字を刻みたかったのかもしれません。そして実際にディーノは12気筒搭載車より数多く売れたのです。

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そんなことなどつゆ知らず、スーパーカー少年の脳内は『サーキットの狼』の登場キャラクターである沖田の愛車がディーノであるという程度の認識です。そんな沖田ですが、劇中では新撰組の沖田総司よろしく、公道レースの最終コーナーで結核により吐血&絶命。天才レーサーの卵は失速して2位ゴールという悲しい運命を辿ります(沖田よぉぉぉ~!)。

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時は流れて2009年。スーパーカー少年から立派な中年になったワタシは、風の知らせでパチンコ台に“サーキットの狼”ができたことを知ります。早速、会社に電話し直帰することをお局様に上申。脳内には軍艦マーチが響き渡ります。

パチンコのストーリーは主人公の風吹裕矢がバトル(レース)を繰り広げるのですが、ワタシはこの時、驚愕の事実を知るのです。「沖田よ。キミの下の名前は大治郎だったか!」と……。

少々マニアックなハナシですが、絶命キャラの沖田は最初から最後まで『沖田』であり、フルネームは出てきません。1979年の連載終了から30年後の出来事であります。

Text:Seiichi Norishige

Author profile

教重 誠一
教重 誠一
Norishige Seiichi

自動車雑誌の編集者を経てモータージャーナリストへ。駆け出しの頃からサラリーマンの限界に挑戦し数々の輸入車を乗りまわす。印象深かった愛車はポルシェ911(930)、Ruf CRo
コンバージョン(964)、メルセデス・ベンツ500E、フェラーリ412、BMW6シリーズ、RG500Γ(バイク)。趣味はシガーとパイプとすし屋巡り。ジャンルを問わず酒好きだが、一定以上飲むと睡魔が襲い銘柄を失念する。1964年、北海道生まれ。

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