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FASHION 百“靴”争鳴

【ビスポークシューメーカー 島本亘】
師匠が自慢する靴職人になりたい〜後編〜

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百靴争鳴。日夜美しい靴作りに情熱を燃やし合う、異色の靴職人たちへのインタビュー集。

指折りのシューメーカーである深谷さんのもとで研鑽を積み、世界的なコンクールで認められた島本さん。後編は靴職人を志すまでとフィレンツェでの修業時代、そしてこれからについて。

見よう見まねで靴をつくる

子どものころから ものづくりが好きでした。高校では美術部に入りましたが、これが厳しい先生で、みなすぐに辞めてしまう。気づけば部長になっていました。いま考えてみれば、異国の地の弟子生活に耐えられたのは美術部時代に鍛えられたおかげかも知れません。

先生には かわいがっていただきました。折に触れて、愛用の品を譲り受けました。そのひとつが、惜しまれつつ看板を下ろした平和堂靴店のチャッカブーツ。シームレスのヒールに美しいカーブを描いていました。そのときには わからなかったけれど、直感的にすごい靴だと感じ入ったものです。折しも高級靴ブームの時代。なけなしのアルバイト代をつぎ込んでジョンロブやエドワード グリーン、チャーチを買うようになりました。

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大学2年のころでしょうか。自分でつくってみようと思った。

美術部ではおもに平面作品を制作していたんですが(油彩では大きな賞もとったという)、デッサン力を養うために立体作品もやったほうがいいと先生にすすめられて、次第にその面白さに魅了されていきます。モチーフはアメリカのレイ・ハリーハウゼンやチェコのシュバンクマイエルを中心としたパペットアニメ、ストップモーション、1930年ごろのユニバーサル映画のモンスターでした。立体物の制作には親しんでいたので、靴をつくることにも抵抗がありませんでした。

浅草に材料を仕入れにいって……木型は中古で買ったんじゃないかな。ミシンは母親の家庭用ミシン。針は何度も折れたけれど、うちの親はとっても寛容な人々で、まったく怒られませんでした。底付けは専門書を読み込んで、見よう見まねで。

最初の一足は1ヵ月くらいかかりましたかね。それ以外はなんにもしない毎日でした。

つくりあげた自分の胸に去来したのは、満足感よりも、次はもっとうまくできるはず、という悔しいようなうれしいような気持ちでした。そうして靴づくりにどんどんはまっていきます。

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なんといっても面白かった。平面の革が立体になるプロセスには心踊りましたし、木型を削って、デザインを描いて、型紙をおこして、製甲して、底付けして、という具合にプロセスが無数にあるのもよかった。飽きることがないだろうなって思いました。

腕を磨いたのは、靴修理店

ひと通りのことを理解した自分は靴学校をスキップして、いまはなき靴修理専門店、レザー・ドクターでアルバイトをすることにしました。大学3年生のころです。靴づくりの要である底付けを徹底してやろうと思ったんです。数をこなすことは職人にとって大切なことですから。目論見どおり、みるみる手がこなれていくのがわかりました。大学を卒業するとそのまま就職、仕事終わりと日曜日は まるまる自分の靴づくりにあてる毎日でした。

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父は大手家電メーカーに勤めていました。よかったらうちのデザイン部を紹介するぞといわれたけれど、まったく食指が動かなかった。会社という組織のなかでデザインすることの面白さが想像できなかったんです。そもそも家電に興味がなかったというのもあるんですけどね。

3年勤めてフィレンツェにわたりました。レザー・ドクターにはヨーロッパ帰りの職人が何人もいて、その街には手製靴の文化が色濃く残っていると聞かされていたからです。

事前にコンタクトをとらない、行き当たりばったりの片道切符でした。すでにそれなりの数をつくってきましたから、そこそこ通用する自信があった。フィレンツェは ものづくりの街です。どこかしら つかってもらえるだろうと呑気に構えていました。

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自分は勇ましくステファノ・ベーメルの門を叩きました。ところがイタリア語が話せないと うちでは無理だよと、けんもほろろ。取りつく島もないとはこのことです。がっかりする自分にベーメルはいいました。ヒデ(深谷秀隆)はどうだって。

深谷さんは憧れの人。もちろん知っていましたが、弟子はとっていないと聞いていました。いずれにせよ挨拶にはいくつもりでしたから、その足で弟子にしてくれって頼み込んだ。

雲の上のような存在です。まさか弟子になれるなんて思いもよりませんでした。じっさいに働かせていただくようになって、畏怖の念はいっそう強くなりました。すべてが圧倒的な美意識に貫かれているんです。引く線が美しいのはいわずもがな、ペンを走らせるその所作さえ美しい。深谷さんのところで働けたのは幸せなことでした。

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10年が長い? いわれてみれば そうですね。けれど、自分にしてみれば一瞬でした。とにかく日々、課題が生まれるんです。どうしたらこの課題を克服することができるのか。答えを出そうと もがいているうちに時は流れました。

辞めるか辞めないか、明日までに決めろと突き放されたこともあります。辞める選択肢はありません。だから、必死で食らいつきました。ここまできたら おめおめ日本に帰れない。意地だけでした。

深谷さんっぽいのは当たり前です

ワールドチャンピオンシップ イン シューメイキングのスタッフが後から教えてくれましたが、ぼくが出品した靴を一目みて深谷さんのところにいる人間だろうと感づいたそうです。審査は出品者の名を伏せて行われます。余計な先入観が入ってはいけない、というのがその理由です。

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自分がつくる靴がイル・ミーチョに似るのは仕方がないことと思っています。だって自分の美意識はイル・ミーチョで育まれたんですから。そしてそれを、誇りに思います。自分がすべきはそこからどうやって一歩進めるか、ということです。

紳士靴は元来、制約の多いプロダクトです。そこにさらに師匠のカラーもつきまとうわけですが、制約が多いほうが自分はやりがいを感じます。

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イル・ミーチョに比べれば、全体に柔らかい印象です。ノーズは5ミリほど短い。それから意図的にカーブを採り入れるようにしています。横からみたときの稜線のピークをやや後方にずらしているのもポイントですね。ヒールにもこだわっています。サイドビューはすとんとまっすぐに落ちますが、バックシャンは微妙にテーパーさせています。

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念頭にあったのは、アルファロメオ・ティーポ33/2ストラダーレ。数台しか現存しないといわれる名車中の名車です。3年くらい前だと思うんですが、世界の名車を紹介する特集で知って、きれいだなって。流線の美しさがあって、そしてそれは手でなければ出せないもの。67年製ですが、いまも見ても ちっとも古びていない。

細部のこだわりも大切です。紳士靴は小さな工夫を積み重ねることで あたらしいものが生まれると思っています。たとえば自分は、レースステイの切り替えからはじまるステッチを数ミリ離しています。この余白がほどよい抜け感を生む。それと、メダリオンなどに潜ませた、ひし形のパンチング。専用のポンチもつくりました。この靴のアイコンです。

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いつの日か、深谷さんがあいつは おれの弟子だったんだって、うれしそうにいってくれるその日までがんばりたいですね。アトリエもどうやらかたちになりましたし、そろそろサンプルづくりに とりかかろうと思っています。

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ブランド名はオルマといいます。イタリア語で足あと、という意味です。これまでの職人としての足あと、これから相棒となるオーナーの足あと……。そんな思いを込めました。足あとをデザインしたロゴにはフィレンツェで幸せの象徴であるイノシシとその足あとも あしらいました。イノシシなら猫に勝てるんじゃないかって。どうでしょう(師匠のブランド、イル・ミーチョはイタリア語で子猫の意味となる)。

Photo: Shimpei Suzuki
Text:Kei Takegawa
Edit:Ryutaro Yanaka

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島本亘(しまもと わたる)

大学在学中より靴づくりを始める。アルバイトとして働き始めた靴修理店、レザー・ドクターにそのまま就職。3年勤めたのち、渡伊。ビスポークシューメーカー、イル・ミーチョの深谷秀隆に師事。10年にわたってキャリアを積み、2020年7月、独立。鎌倉にアトリエを構える。37歳。

【問い合わせ】
ORMA
神奈川県鎌倉市西鎌倉1-20-10
https://orma-shoemaker.com

 


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