「ドクトル赤峰のファッション哲学とスタイルはよく分かったが、ドクトルを形成している“栄養分”を知りたい」──という声に応えて、赤峰幸生の衣食住に迫る連載をスタート。
第2回で訪れたのは、「大好きなジャズ、大好きな映画のポスター、自分が大好きなものが詰まっている店」というジャズ喫茶「映画館」。ジャズ喫茶なのに映画館とは これいかに!?
(※こちらは3月後半に取材したものです。新型コロナ感染拡大防止のため、不要不急の外出はお控えください)
将来を嘱望されるベーシスト瀬尾高志の曲が流れる中……
前回の人形町「㐂寿司」に登場した、ドクトル赤峰の事務所「インコントロ」の新人アシスタント田代一輝さんと、今年1月からアシスタントを務める渡邉耕希さんの2人を伴ってドクトルが訪れたのは、都営三田線・白山駅のA-3出口からほど近く、「映画館」という看板横の階段を下りたところにあるジャズ喫茶「映画館」。
扉を開けると聞こえてきたのは、マスターの吉田昌弘さんが、「将来必ず伸びるベーシスト」と期待を寄せる瀬尾高志さんの曲で、奥さんのタップダンサー・レオナさんとの共演というフリージャズが大音量で流れています。
先客に20代のカップルがいて、前衛的なフリージャズが流れる中、彼はスマホをいじり、彼女は単行本を黙々と読んで、お互いの時間を共有しているという、確かに21世紀なのに、どこか異世界のよう。
左手前が渡邉耕希さん、奥が田代一輝さん、その奥にあるのがマスター自作のステレオセット
日本のヌーベルバーグ映画は全部上映しました
──いかにも赤峰さん好みの空間ですね。
赤峰 なかなかいいでしょ。目の前にあるのが映画『Hiroshima Mon Amour』(邦題:二十四時間の情事/1959年公開)のポスターで、エマニュエル・リヴァと岡田英次の表情がいいねぇ。あと『去年マリエンバードで』や『大人は判ってくれない』のポスターもあって、単なるジャズ喫茶とは違う雰囲気があるよね。もともとはマスターの吉田さんが映画上映のために開いた店なんですよね。
吉田 オープンしたのは1976年で、当時コーヒーが250円、映画は木戸銭込みで500円でした。プリント16ミリの映画のレンタル料が3万円で、土曜の朝に借りて、月曜の朝に返して、土日で5~6回上映していました。大島渚、今村昌平、羽仁進など日本のヌーベルバーグ映画は全部上映しましたね。
赤峰 何年ぐらい映画を上映していたのですか。
吉田 正直、木戸銭込みの料金では赤字でしたが、ドキュメンタリーと劇映画を半々で、5年ほどやっていました。その建物を壊すことになって、白山下から現在の場所へ移転しました。
赤峰 当時はお客さんが入ったでしょうね。
吉田 映画上映の実績を積んだら、黒澤明の初期の『わが青春に悔いなし』や『素晴らしき日曜日』を借りられるようになって、遠方からも観に来てくれましたね。
外の看板の下にある映写機は昔使われていた本物!
マスター自作の真空管アンプとスピーカーでジャズを聴く
赤峰 自分が大好きな映画ポスターに囲まれながら、ジャズを聴くのは最高ですよ。このスピーカーやアンプは吉田さんの自作だそうですね。
吉田 真空管アンプもスピーカーも全部作りました。ターンテーブルは、60年代に作られた電音製アイドラードライブのターンテーブルを改造したものと、80年代のマイクロ製糸ドライブの吸着式ターンテーブルの2台を使い分けています。
赤峰 今レコードは何枚ぐらいあるんですか。
吉田 枚数はちょっと分かりませんね。レコードの3分の1はフリージャズです。
赤峰 マスターはどんなミュージシャンが好きなんですか。
吉田 基本的にはフリージャズが好きで、チャールズ・ミンガスやエリック・ドルフィーなどが好きですね。
赤峰 自分はジャズが大好きで、昔はよく通ったんですよ。渋谷の道玄坂を上がった百軒店のところに「DIG」があって、突き当たりを右に行くと「ありんこ」で、「オスカー」や「ジニアス」とかありましたね。「スイング」はオヤジと仲良くさせてもらいました。
吉田 ジニアスは中野新橋に移りましたね。
赤峰 吉祥寺にあるジャズ喫茶や新宿の「渚」とかも行きましたねぇ。「映画館」は 今どんなお客さんが多いんですか。
吉田 昔は若い人が多かったですが、そういう人が歳を重ねて常連になるという感じで、下は30代から上は60代ぐらいですね。
赤峰 マスターにとって“ジャズの魅力”とは何ですか。
吉田 言葉ではなかなか言い表せないですが、ジャズそのものが自由で、反骨精神があって、皮肉やユーモアもあり、今、日本人に一番欠けているものがみんなあると思いますね。
赤峰 なるほど。さすがですね。
3月に発刊されたばかりの『日本ジャズ地図』。日本にしかないといわれる、音楽を聴くことを目的とした喫茶空間=ジャズ喫茶を69軒網羅
世の中に1枚しかないコルトレーンのライブのアセテート盤!
赤峰 今も定期的にイベントなどは開催しているんですか。
吉田 イベントではないですが、奇数の土曜日に、オリジナル盤のコレクターたちが集まってきます。彼らはすごいものを持っているんですよ。
赤峰 お宝級のレコードですか。
吉田 国内盤の複刻を出すとき、音源はアメリカからテープをもらえるのですが、ジャケットは彼らのレコードを借りて複刻するんですよ。
赤峰 そんなコンディションの良いものをお持ちなんですか。
吉田 それはびっくりするコンディションのレコードを持っています。うちからもジョン・コルトレーンのジャケットを貸したことがありますよ。
赤峰 吉田さんも貴重なレコードをお持ちなんでしょうね。
吉田 これはコルトレーンの61年のニューポートジャズフェスティバルのアセテート盤(アナログ盤の生産の前段階に使用された参照用のオーディオディスク)ですね。世の中に1枚しかなくて、これをかけると溝が減るので保存しています。このまま工場に渡せばプレスできるんですよ。
赤峰 それは貴重品ですね。自分は専門学校でグラフィックを専攻していたんですが、当時、レコードジャケットのデザインがアルバイトでしたよ。
馬革A-1、初めて穿いたリーバイス、慶應義塾を語り合う
吉田 今日、あなたがいらっしゃるので、家にあった馬革の古いジャンパーを持って来ました。
赤峰 ボタン留めのフライトジャケットの馬革A-1ですか。よく着込んでいますね。
吉田 買ったのは20~30年前で、袖口がボロボロになったので替えちゃったんですが。マッカーサーが着ていましたよね。
赤峰 ヘミングウェイも着ていましたよ。
吉田 自分が初めてジーパンを買ったのは東京オリンピックの前で、戦争未亡人が公民館でバザーを開いていて、そこで米軍放出の中古のジーパンを買いました。
赤峰 あぁ、そういう時代でしたね。当時、いくらぐらいでしたか。
吉田 10代半ばに1000円ぐらいは高かったと記憶しています。それから何年か経って、上野のアメ横でリーバイスの新品を買いましたが、2500円ぐらいと高かったですねぇ。
赤峰 そういえば、この映画『Hiroshima Mon Amour』のポスターは入口正面の良い場所に貼ってありますね。
吉田 実はうちの父親と岡田英次が学生時代に同じクラスで、岡田さんは芥川比呂志さんと慶應法学部で同級だったんですよ。芥川さんの父親の芥川龍之介さんは、この近くに住んでいました。
赤峰 そうなんですか。自分の伯父が清水幾太郎で、伯父が学習院大学を退職後、新宿区大京町の野口英世記念館の一室を購入して清水研究室を設けるんですが、そこに遊びに行くと、芥川比呂志さんが来られていたのを覚えています。慶應といえば、去年、三田で「服に対する基本的な考え方」の講義をしましたが、学生の反応は面白かったですね。
吉田 昔は慶應はファッショナブルな印象がありましたね。
赤峰 そうですね。山本耀司も出ていますしね。
<<<つづく>>>
ジャズ喫茶 映画館
東京都文京区白山5-33-19
03-3811-8932
営業時間:16:00(目標)~23:00
※5月連休明けまで、時短営業で16:00~20:00
定休日:日曜、祭日
Photo:Riki Kashiwabara
Text:Makoto Kajii