CAR ― Dr.ノリシゲの妄想ドライブ

妄想は続くよ、どこまでも!

360°どこからみても隙ナシの美しさ!ベントレーの俊足サルーンに気絶!

2019.6.16 2019.6.16
2019.6.16
説明しよう!妄想ドライブとはヴェテラン モータージャーナリスト・ノリシゲセイイチが「このクルマにのったら、こんなことをしたい。こんなところに行きたい。この街道でぶっ飛ばしてチャンネーとこんなことがしたい!」と妄想の世界に遊ぶ気絶コラムである!

気絶級に格上げ確定。ベントレー新型フライング・スパー

英国ベントレーからコンチネンタルGTの4ドア版、新型「フライング・スパー」が発表されました。今後のスケジュールは年内に受注を開始。そして、実際の納車は2020年に入ってからというのがおおよそのスケジュールです。

ローンチモデルは6リッターW12ターボエンジン搭載の標準車から。パフォーマンススペックは、最高出力635ps(467kW)、最大トル900Nm、最高速度333km/h、0-100km/h 3.8秒という公表値。同社の表現を借りれば「ラグジュアリー・グランド・ツアラー」というのが「フライング・スパー」というモデルですが、まあバカッ速なスポーツサルーンです。

ご参考までにボディサイズは、全長5,316×全幅1,978×全高1,484mm。ホイールベースは現行型の3,065mmからぐっと延長されて3,194mmとなりますが、後輪をステアする4WS機構を装備しフットワークに抜かりなし。ただし、試乗前なのでわかりませんが、4WSもセッティング次第で後席乗員がクルマ酔いしやすくなります(個人差はありますが・・・)ので、この点は今後注視していきたいと思います。

さらなる新型のトピックは、アクティブAWDを採用することで通常は後輪駆動、必要に応じて前輪に駆動力を配分するあらたな駆動系の採用です。つまり、フツウに走っていればFR車という具合。ちなみに現行型は前輪40%、後輪60%という固定のトルク配分でした。また、48V電源を最大限に活用したサスペンション制御もスポーツブランドらしい進化といえる部分でしょうか。

新型「フライング・スパー」最大の魅力は、やはりデザインです。どの角度から眺めても破綻がない。そして、フロントグリルは押し出しが強くなり、また、全体から受ける印象が2ドアのコンチネンタルGTとの違いが顕著となり、存在感が増しました。一言でいえば「フライング・スパー」でなければ得られないデザイン的魅力があるということ。

価格発表はおそらく9月以降となるでしょうが、現行型の日本価格が2,435万円であることと新型の完成度を考慮すると、やや値上げと予想します。とはいえ、キラー通貨として名高いポンドなので、まったく見通すことができないというのが正直なところ。

さて、今回は少しベントレーを乗る(所有する)ことの意味を考えてみたいと思います。例えば今回取り上げた「フライング・スパー」も、オプションを追加すれば(12気筒モデルで)実質的な乗り出し価格は3,000万円近くなります。いかにセレブといえども、その意義を見いだせなければ1円だって払いませんよね。

ワタシのような庶民には肌感覚で理解できませんが、一言でいえばベントレーは英国人の誇りです。蒸気機関の発明により発展したいわゆる産業革命も、英国が躍進したのは前半の序章のみ。こと自動車に関してはフランスが先駆け、これにドイツ、イタリアが続き躍進します。つまり西高東低の構図が時代とともに逆転してしまったのです。

1923年。フランスは大々的に24時間レースの開催を宣言し、挑戦者を募ります。そのレースとは後にル・マン24時間耐久レース(以下、ル・マン)となる大会です。そして、優勝車は台本通りフランスのシュナール・エ・ワルケル。ドライバーも無論フランス人コンビでした。


ル・マン優勝車の前に立つW.O.ベントレー(中央)、ジョン・ダフ大尉(右)、フランク・クレメント(左)拡大画像表示

ベントレーのル・マン挑戦は初開催となる1923年から始まりました。マシンはベントレー3リッター、ドライバーはベントレー・ディーラーを営むジョン・ダフ大尉とベントレー実験部のフランク・クレメントでした。レース展開はスタートから序盤はトップを快走するも、夜間のヘッドライト破損や燃料系のトラブルで徐々に後退。最終的にレースは33台中4位という結果となります。

ル・マン参戦2年目となる1924年は本格的にワークス参戦(前年はディーラーチーム)。ドライバーは前年同様、ジョン・ダフ大尉とフランク・クレメントのコンビで雪辱を果たし見事ル・マンを制します。しかし、1925年と1926年大会はフランスのシュナール・エ・ワルケルが2連覇を飾り後塵を拝しますが、ベントレーは1927年から1930年まで、なんと4連覇という偉業を成し遂げるのです。


ベントレーの偉業と創業100年を記念して“ベントレー・ボーイズ通り”がル・マン市に誕生
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当時は職業ドライバーがいないに等しい時代でしたから、ベントレーのドライバーも、軍人、学者、ジャーナリストなど様々です。時代が時代だけに、その多くは富裕層には違いなく、創業者のW.O.ベントレー自身も貴族階級の家系でしたが、ノーブレスオブリージュを地でゆく活躍に国民的喝采を浴びます。そして彼らドライバーたちは敬意をもって“ベントレー・ボーイス”と呼ばれたのです。

ブランドには様々な背景があります。なかには日本人としてピンとこないエピソードもあるでしょう。所詮、自動車は工業製品かも知れませんが、単なる機械以上の存在であることは確かなのです。

Text:Seiichi Norishige

ベントレー モーターズ ジャパン

■Introducing New Flying Spur | Bentley Motors

 

Author profile

教重 誠一
教重 誠一
Seiichi Norishige

自動車雑誌の編集者を経てモータージャーナリストへ。駆け出しの頃からサラリーマンの限界に挑戦し数々の輸入車を乗りまわす。印象深かった愛車はポルシェ911(930)、Ruf CRo
コンバージョン(964)、メルセデス・ベンツ500E、フェラーリ412、BMW6シリーズ、RG500Γ(バイク)。趣味はシガーとパイプとすし屋巡り。ジャンルを問わず酒好きだが、一定以上飲むと睡魔が襲い銘柄を失念する。1964年、北海道生まれ。

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