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CAR Dr.ノリシゲの妄想ドライブ

名女優オードリー・ヘップバーンとクラシックカー、”褪せない美しさ”を考える

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説明しよう! 妄想ドライブとはヴェテラン モータージャーナリスト・ノリシゲセイイチが「このクルマにのったら、こんなことをしたい。こんなところに行きたい。この街道でぶっ飛ばしてチャンネーとこんなことがしたい!」と妄想の世界に遊ぶ気絶コラムである!

クルマは華麗に美しく。

連休の余韻が冷めやらぬ5月の第2週、皆さん無事に社会復帰されていますか? ワタシは引きこもって読書と映画三昧(+お仕事も少々)でしたので、生活サイクルもグルリ一周して、なんとか日常を取り戻せそうです。

この連休中、25年前の忌まわしい出来事、アイルトン・セナを追悼するツイートがTLに溢れました。1994年5月1日、第3戦サンマリノGP(イモラ)の事故映像が蘇ります。

享年34歳。通算成績はポールポジション65回、優勝41回、そして、3度のワールドタイトルを獲得したセナですが、特筆すべきは記憶に残るレーサーだったということ。来日時はバラエティ番組に出演し笑顔を見せてくれましたが、温和な印象のなかにもどこなく哀愁漂う目が印象的でした。

それにしてもひとつ考えさせられるのは、圧倒的に誰もが命日に故人を偲ぶことです。至極まっとうだし、その功績を讃え、また、今を生きる人たちの良き指標のひとつになるとは思います。でも、どうせなら誕生日の3月1日も祝って、何かのキッカケになればと思うのです。

そんなことを思っていたら、5月4日になり、オードリー・ヘップバーンに関するツイートが流れ出します。一瞬、ん? と思いましたが、彼女の誕生日は1929年の5月4日。「永遠の妖精」、あるいは「アミューズ」と称された名女優ですが、引退後は積極的にユニセフ親善大使の活動に従事しました。享年63歳。1993年1月20日にその生涯に幕を閉じます。

数々の名作を残したヘップバーンですが、彼女とスクリーンを彩ったクルマといえば、初のハリウッド映画、1953年公開の『ローマの休日』に登場する「フィアット500 B」です。愛称のトポリーノ(ハツカネズミ)といったほうがわかりやすい大衆車ですが、ライフスパンは1936年から1955年まで。戦前・戦後と多くの人々に愛されました。

Fiat Topolino
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お馴染みのチンクエチェントと呼ばれるようになったのは、じつは1956年登場の2代目から。日本ではルパン三世の愛車として広く認知されるところですが、個人的にはバルタン星人を連想させるフロントグリルのトポリーノがお気に入りです。なんといってもエレガントなデザインですから。

劇中ではアン王女(オードリー・ヘップバーン)、新聞記者のジョー(グレゴリー・ペック)、その相棒カメラマンのアービング(エディ・アルバート)の3名乗車でローマの街を徘徊します。ですが、このトポリーノじつは二人乗り。アン王女がクルマを降りるシーンでは、ラゲッジスペースに立つジョーが後方から手を伸ばしドアを開けるシーンがあるのですが、ローマっ子もこんな乗りこなし方をしていたのでしょうね。

実車のトポリーノは600ccにやや満たない排気量ながら4気筒エンジンを搭載し、フロントサスペンションも独立懸架と、ヘタな上級車以上の技術を惜しげもなく投入したFRのマイクロカーでした。価格的にも手軽な大衆車でしたが、名車の資質を十分に備えています。

今更の感もありますが、オードリー・ヘップバーンのプロフィールに少し触れておきましょう。

彼女を構成する履歴についてよく波乱万丈といわれますが、この表現はゴシップを指すものとは限りません。離婚歴はありますが、1954年に4度の離婚歴をもつ共演者のひとりメル・ファーラーと結婚。離婚するのは1968年です。夫婦期間はおよそ14年。この間に愛息ショーンを設けますが、都合3度の流産を経験しています。

ベルギーの首都イクセルで生まれたヘップバーンですが、16歳の誕生日を過ごした翌日の1945年5月5 日に終戦を迎えます。ドイツ軍占領下ではレジスタンスの活動を手伝いメッセンジャーをしていたとか。また、家族に兄が二人いましたが異父兄弟。仲は良かったそうですが、時代に翻弄されたのでしょう。両親が離婚し生活は苦しかったそうです。

5歳からバレエを習っていたヘップバーンは、1948年に親子で渡英。バレリーナとして舞台をこなしつつ、生活費を稼ぐため映画のちょい役でキャリアを重ねます。1952年のフランス映画「モンテカルロへ行こう」で主役級を努めコレがブロードウェイ進出のキッカケとなり、さらにアン王女役を射止めハリウッドへ進出。当人も予想していなかったアカデミー賞最優秀主演女優賞に輝きます。

ダンスはお手の物だったヘップバーンですが、演技に関しては相当プレッシャーを感じていたそうです。しかし、根っからの努力家だったのでしょう、「カサブランカ」のハンフリー・ボガート、「慕情」のウィリアム・ホールデン、「アラビアのロレンス」のピーター・オトゥールといった名だたる俳優と共演を重ねます。

この3人との共演作でクルマとヘップバーンのイメージが共鳴する作品が1966年公開の「おしゃれ泥棒」です。プライベートでごたついた次期が重なった影響か、ちょっとお疲れ小マダムな印象もありますが、まあ及第点でしょうか。

アウトビアンキ ビアンキーナ カブリオレ
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シーンは冒頭に登場するヘップバーンがドライブする赤いコンバーチブルが「アウトビアンキ ビアンキーナ カブリオレ」です。自転車に詳しい方ならご存知かと思いますが、アウトビアンキはあのイタリアのハイブランド自転車ビアンキの自動車部門です。戦後はフィアットが資本参加し分社・独立。このクルマはチンクエチェントベースのいわばスペシャリティカーなのです。

この作品に登場するもう1台がピーター・オトゥールの愛車「ジャガーEタイプ」です。リアバンパーとコンビネーションレンズからわかるようにコレはシリーズ1でしょうか。EタイプはXJシリーズの後継モデルとして1961年のジュネーブ・モーターショーでデビュー。あのエンツォ・フェラーリさえ❝美しい❞とタメ息を付いたとか。

航空機畑でキャリアを積んだ奇才のエンジニアであるマルコム・セイヤーと、同社を率いたウィリアム・ライオンズのコンビが生み出したEタイプは、ジュネーブに続くニューヨークでも拍手喝采で迎えられます。美しくエレガントなボディ、レースで鍛えられた直列6気筒エンジンに多くのセレブリティが魅了されます。Eタイプは大御所のフランク・シナトラさえウェイティングリストに名を連ねるほどの大人気モデルでした。

劇中ではハチャメチャな運転でコミカルにEタイプを駆るヘップバーン。しかし、Eタイプほど彼女が似合うクルマはないと思えます。プライベートを大切にしていたヘップバーンのリアルな愛車はわかりませんが、フェラーリやポルシェ、ロールスロイスやキャデラックでは、才色兼備でフェアリーな彼女には決してマッチしません。

コレはあくまで主観としますが、いま美しいと真に思えるクルマはこの世に存在しません。まるでマジックの太文字側で絵を書いたとさえ感じるクルマも跡を絶ちません。ギミックで稚拙な造作もしかりです。骨の髄まで美しいクルマ、どなたか作ってくれませんかね?

Text:Seiichi Norishige

■ローマの休日(Roman Holiday, 日本語字幕) part1

 


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