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LIFESTYLE 落語へGO!

玉の輔の「落語へGO!」其の伍 
落語家の日常って?

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落語ブームと言われて久しいが、もうブームではなくすっかり人気は根づいている感がある。若者の街でも落語会が定着してきた。若い男女は「おもしろい」と聞けばどこでも出かけていく。出遅れてしまったあなた、今からでも遅くはない。この奥の深い落語の世界、オトナだからこそ楽しめるんだから。落語協会理事でもある五明樓玉の輔(ごめいろう たまのすけ)師匠に落語の楽しさ、味わい方を案内してもらった。

語家と噺家って違うの?

まず基本的には、噺家は個人事業主です。税金申告もしてますよ(笑)。マネージャーもいないし、スケジュールは自分で管理する。ただ、なかには事務所に所属している人もいますね。寄席以外の仕事をマネージメントしてもらったり、独演会のセッティングを頼んだりしているようです。
そういえば、そもそも……ですが、「噺家」と「落語家」はどう違うのかと訊かれることがあります。内々では、自分たちのことを「落語家」とは言いませんね。外から見たときの職業名が「落語家」なんでしょうか。

ついでに言えば、ふだんは着物を着て生活していません(笑)。スーツも着ていませんが。カジュアルな格好が多いですね、みんな。決まった時間に出社するというわけではないので、噺家仲間には近所で「あのうちのダンナさん、何をしている人かしら」と不審がられるなんていう話もあります。頻繁にテレビに出ている噺家以外は、あまり顔を知られていませんからね。

日常生活は、仕事があれば仕事をして、なければそれなりに……(笑)。たとえばボクの場合、近郊の落語会や地方の仕事がないときは、9時40分に起きて11時からゴルフの練習場に行きます。シミュレーションゴルフにはまってるんですよ。それが終わってから寄席があれば行くし、夜席だったらちょいと昼寝して。というのももともと夜更かしなんですよね。飲みに行くことも多いし、行くと長い時間飲んでるし。帰ってきてからもだらだらしているので、寝るのが3時4時になってしまう。

噺を新たに覚えるときは録音テープを書き起こすんですが、そういうことをするのも夜中。覚えている噺をさらうときは夜中、湯船につかってぶつぶつやっています。
噺の覚え方は人それぞれみたいですね。歩いているときじゃないと覚えられないとか、カラオケボックスでぶつぶつしゃべっているとかいろいろ聞きます。
電車の中で稽古をする噺家もいます。山手線なんかは環状線でグルグル回っていて、いつまでも乗っていられるから都合がいいんですかね。でも隣に座っている方に、「コイツ、ずっとブツブツひとり言を言っていて気持ち悪っ」なんて不気味に思われそうですよね(笑)。

レジェンドの思い出

思い出すのは(古今亭)志ん朝師匠ですねえ。とにかくかっこよかった。
ボクの真打披露のときのこと。上野、新宿、浅草、池袋の順で10日ずつ寄席でお披露目興行をするんですが、その間、ほぼ毎日打ち上げをするんですよ。おめでたい席で、師匠方もたくさん出てくださっているので、お礼の意味をこめて打ち上げをするものなんです。これもそのへんの居酒屋というわけにはいかないので、お店の選定などが大変。

ただ、それぞれの楽日(らくび 最終日のこと)は次の寄席への荷物の移動があるので、打ち上げができない。うちの師匠が楽日前に「明日はどうするんだ」というので、「明日は楽日で引っ越しなので打ち上げできません」と言ったら、何もしないわけにもいかないだろと師匠が香味屋(カミヤ。東京下谷にある老舗の洋食屋)の洋食弁当を用意してくれたんです。それをみなさんにお配りしたんですが、志ん朝師匠は運転手さんに渡してこん平師匠と飲みに行っちゃった。

次の日、新宿の末廣亭初日で、志ん朝師匠に呼ばれて、なんかしくじったかとビビっていたら、
「あの弁当さ、好物なんだよ。うちに帰って一杯やりながら食べようと思って楽しみにしていたんだけど、運転手が自分にもらったものだと思って食べちゃったんだって。残念だったよ、本当に楽しみにしてたんだよ」
そう言ったときの志ん朝師匠の顔が、失礼ながらかわいかった(笑)。いい思い出ですね。

(橘家)圓蔵師匠はとってもかわいがってくれました。真打に昇進して間もなくボクが池袋演芸場でトリをとったとき、打ち上げを楽しみにしてくれて。圓蔵師匠が「焼き肉食わせろ」と言うから、わかりましたと答えたんですが、なんと師匠、自分で予約してくれて、あげく支払いも全部もってくれたんです。打ち上げにかかわる費用はトリをとった真打がもたなければいけないのに。ありがたかったですね。粋な師匠でした。

師匠と弟子ってどんな関係?

よく正月は師匠の家に集まるという話を聞きますが、うちの師匠はそういう形式張ったことを嫌うんですよ。だからボクらは元日に、先代柳朝一門の総領弟子である(春風亭)一朝師匠のお宅へ行きます。

師匠と弟子というのは、不思議な関係だと思いますね。志ん生師匠と志ん朝師匠、先代林家三平さんと正蔵師匠、木久扇師匠と木久蔵さんなど、実際に親子関係にある師弟もいますが、ほとんどは血縁関係がありません。考えてみると、親に逆らうことはあっても師匠に逆らうことはない。「芸」はもちろんのこと、「人間」においても師匠という存在は、いつまでも弟子の憧れであって目標。そんな関係なんじゃないでしょうか。ボクですか? もちろん、師匠のことは尊敬していますよ(笑)。

この羽織も着物も師匠からいただいたものです。師匠が若いころ着ていた着物はけっこういただきましたね。洗い張りして着続けています。真打になるととりあえず一人前ということなので、師匠のお宅に伺うことは前座、二ツ目時代に比べるとかなり少なくなります。ボクの場合は、師匠から「ごはん食べに行かない?」と連絡が来て食事に行くことも多いので、真打にしては師匠と会う機会が多いほうかもしれません。

 

 

舞台からお客さんは見える?

最近、寄席に初めてお見えになるお客さんが増えたなと感じます。反応でわかるんですよ。ボクは高座からお客さんの顔を見たいタイプ。なかには見えないほうが集中してできるから、と言う噺家もいますが。ボクは見えないとできない。最初はそうでもなかったのに、だんだん噺に集中してくるのがわかるときは、本当に楽しいですね。まあ、急にちょっと大きな声を出して、寝ているお客さんを起こすのもおもしろいけど(笑)。

落語ってね、やっぱり泣かせるより笑わせるほうがむずかしいんです。人情噺も好きだけれど、それは噺がよくできているからお客さんが泣いてくれる。むしろ、なんてことのない噺で笑わせるほうが大変。だから「道灌」みたいなシンプルな噺で笑わせることができたらすごいことだと思います。

寄席のあたりでは、噺家がしょっちゅううろうろしていますよ。噺家ってお客さんと近いんです。声かけられればサインもするし、飲みにもいくし(笑)。今、本当にいろいろなところで落語会が開かれていますよね。小料理屋とか蕎麦屋とか。呼ばれれば行くし、そういうところの会だと終わってから噺家とお客さんがゆっくり話すこともできる。そうやって落語好きの裾野が広がっていけばいいなと思っているんです。

まずは寄席へGO! ボクを見かけたら声かけてくださいね。

photos:Shimpei SUZUKI
text:Sanae KAMEYAMA

五明樓 玉の輔(ごめいろう たまのすけ)
1985年4月、春風亭小朝に入門。同年9月、前座となる。前座名は「あさ市」。1989年5月、あさ市のまま二ツ目に昇進。1998年9月、真打昇進。五明樓玉の輔となる。2010年、落語協会理事に就任。サッカー好きで、サッカーイベントや番組司会等でジーコに浴衣をプレゼントしたこともあるが、現在入れ込んでいるのはゴルフ。シミュレーションゴルフには三日にあげず通い、日々スコアアップをしているとかいないとか。業界でも有名な手ぬぐいマニアで、デザインも多数手がけている。1966年横浜市生まれ。五明樓玉の輔の『噺家の手ぬぐい』https://tamanosuke.net/



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