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LIFESTYLE 落語へGO!

玉の輔の「落語へGO!」其の参
古典? 新作? ネタもいろいろ、やり方いろいろ

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落語ブームと言われて久しいが、もうブームではなくすっかり人気は根づいている感がある。若者の街でも落語会が定着してきた。若い男女は「おもしろい」と聞けばどこでも出かけていく。出遅れてしまったあなた、今からでも遅くはない。この奥の深い落語の世界、オトナだからこそ楽しめるんだから。落語協会理事でもある五明樓玉の輔(ごめいろう たまのすけ)師匠に落語の楽しさ、味わい方を案内してもらった。

 古典と新作、どう違うか。これ、微妙なんですよね。ものの本などによれば一応、大正時代以降に作られた噺は新作ということになっているようですが、われわれは大正時代あたりのものは「古典の新作」なんていう言い方をします。すでに古典になっているという認識ですよね。

じゃあ、古典を現代風にアレンジしたものは古典なのか新作なのかという問題もありますしね。本当に微妙な問題(笑)。 古典だってできたときは「新作」だったとも言えるし、一方で中国や日本の説話が基になっているのだから今の古典はできたときから古典だったと言う人もいる。結局、厳密に分けることはできないんじゃないですかねえ。簡単に言ってしまうと、今、現役の噺家が作った噺を「新作」とするのがいちばんわかりやすいんじゃないでしょうか。

 噺家の中には古典しかやらない人もいれば新作しかやらない人もいる。そしてどちらもやる人、いろいろいます。
新作をやる噺家たちがもっとも影響を受けたのは、今も現役の三遊亭圓丈師匠でしょうね。圓丈師匠の『ランボー怒りの脱出』なんておもしろかったですよ。もっと若いところでいうと柳家喬太郎さん。『ハワイの雪』とか『午後の保健室』など有名な噺はたくさんありますが、彼の作品は彼のキャラクターがあるからこそのような気もします。

 ボクも新作をやりますが、新作は何でもありだから工夫のしがいがあって楽しいですね。手ぬぐいや扇子の使い方にも決まりがありません三遊亭白鳥さんの新作は何本かやっています。あいつはすごいですよ。ちゃんとした噺にできあがっているし、きちんとサゲもある。“作るのは”、天才ですね。「任侠流山動物園」など長いシリーズものもあります。

彼は本当におもしろい男でね、たとえばボクだったらいくら新作でもワインボトルを表現するのに手ぬぐいを折ってビンに見立てるんだけど、彼はなぜかわざわざ扇子を手ぬぐいでくるんでボトルに見立てるわけです。古典を習った人の仕草とは思えない〔笑〕。まあ、そこが彼のすごさなのかもしれませんが。

滑稽噺と人情噺、前座噺に大ネタ

 落語は内容的に大きく分けると、「落とし噺(滑稽噺)」と「人情噺」に分かれます。他に芝居噺、怪談噺、音曲噺などがあります。もともとは、オチ(落ち)のある噺を落とし噺と呼んでいて、それが「落語」の本来の呼称でもあるわけですが、次第に人情噺や怪談噺ができてきたので、差別化するために落とし噺を滑稽噺と呼ぶようになってきました。

 人情の機微を中心に描いたものが人情噺。夫婦や親子の情愛が主眼に置かれていますが、長い噺が多いですね。いわゆる「大ネタ」と呼ばれるような。「子別れ」「芝浜」「文七元結(ぶんしち もっとい)」あたりはよく高座にかかる大ネタの人情噺です。「大ネタ」となると、真打ちの中でもトリ(最後の出演する噺家)しか演じられないものもあります。

 歌舞伎をネタにした芝居噺もよく寄席には登場します。「中村仲蔵(なかむら なかぞう)」とか「七段目(しちだんめ)」とか。夏になると「牡丹灯籠」や「真景累ヶ淵(しんけいかさねがふち)」のような怪談噺も聞くことができます。

 内容でなく、噺の難易度によって分けることもできます。前座向けの「前座噺」と呼ばれるもの代表は「道灌(どうかん)」「子ほめ」「手紙無筆(てがみむひつ)」「からぬけ」「転失気(てんしき)」あたりでしょうか。
ボクが好きな噺のベスト3は、「子別れ」「芝浜」「船德」あたりかなあ。「船德」は、うちの師匠(春風亭小朝)がやっているのが好きですね。

落語“お約束”の流れ

 落語は、マクラ、本題、サゲという構成でできています。マクラは本題への導入部。本題に入るための流れを作ったり、本題で出てくる現代人にはわかりにくい言葉や昔の風習などをさらりと解説する場合もあります。

 ネタが決まっていない寄席の場合、まず出ていって軽くいろいろハナシをしながら、やるネタを決めるということもあるんですよ。最近はマクラそれ自体がおもしろくて、本題に入るのが遅い噺家さんもいます(笑)。ボクも本題に入るのは遅いほうかも(笑)。よけいなことをしゃべりすぎて、予定していたネタをやると時間オーバーしてしまうのでネタを変えることもあります。

 滑稽噺の場合は、最後を「オチ」と言います。落とし噺ですから、落として終わる。
滑稽話でない場合、「~という一席でございます」という終わり方をすることもあります。オチがついてない。というよりオチをつけて終わる噺ではない。だから噺家は「サゲ」と言うことが多いですね。

 落語は古典であっても、自分なりの工夫をすることができます。最初は教わった通りにやりますが、どうもこの部分が自分にはしっくりこない、納得できないとなれば、変えてしまってもかまわないんです。それは今で言えば「演出」ですから。原作を変えるわけではない。そもそも古典落語には著作権などもありませんからね。

 実際、ボクが「子別れ」をやったときのこと。別れたおとっつぁんにばったり会った子どもが小遣いをもらってきたのを盗んだものだと母親が誤解して叱るシーンがある。おとっつぁんは大工なので、母親は玄翁(げんのう=金槌)を持ち出して「これはおとっつぁんだよ。嘘をついたらおとっつぁんがこれでぶつよ」と言うんですが、そのセリフがどうも好きになれなかったんです。

 かんかんに怒っている母親がそんなセリフを言うのは説明くさいし不自然でしょ。そう思いながらもやっていたんですが、あるとき、そのシーンを言うのを忘れてしまったんですよ。それであとから子どもに、おとっつぁんに会ったときに「おっかさんにぶたれそうになった」と言わせたんです。
 たまたま間違えてその流れになってしまったんですが、あ、こっちのほうが自分としてはいい感じだなと思ったので、そのままやるようになりました。そういうことはまれにありますね。

 噺そのものにしても、若いときに人情噺は照れくさくてできなかった。「芝浜」だって何年か前からですよ、やるようになったのは。自分にしっくりくるというか、腹に落ちていかないとなかなか高座にかけることはできないものなんです。
 

──つづく──

photos:Shimpei SUZUKI
text:Sanae KAMEYAMA

五明樓 玉の輔(ごめいろう たまのすけ)
1985年4月、春風亭小朝に入門。同年9月、前座となる。前座名は「あさ市」。1989年5月、あさ市のまま二ツ目に昇進。1998年9月、真打昇進。五明樓玉の輔となる。2010年、落語協会理事に就任。サッカー好きで、サッカーイベントや番組司会等でジーコに浴衣をプレゼントしたこともあるが、現在入れ込んでいるのはゴルフ。シミュレーションゴルフには三日にあげず通い、日々スコアアップをしているとかいないとか。業界でも有名な手ぬぐいマニアで、デザインも多数手がけている。1966年横浜市生まれ。五明樓玉の輔の『噺家の手ぬぐい』https://tamanosuke.net/



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