隣はヤクザ、向かいもヤクザ
大学に通うため、ぼくは府中市に引っ越した。そこで借りたアパートの隣の部屋に、ヤクザさんが住んでいたことは、前回お話しした通りである。
とにかく、あの頃の府中にはヤクザさんがたくさんいた。道を歩けばヤクザさんがいた。パチンコ屋にもいたし、喫茶店にもいた。
じつはアパートの向かいにもヤクザさんが住んでいた。彼はとにかく男前だった。休日になると庭に出て、パンツ一丁で庭に水をまき、犬にブラシをかけていた。肩から背中にかけて青い入れ墨が入っていた。たぶん赤や黄色もあったのだろうが、世間知らずのぼくには青に見えた。
そんなオジサンを、ぼくはきっと田舎者丸出しの目つきで見ていたのだろう。顔を合わせるたびに、オジサンは
「困ったことがあればいつでも言ってきなさい」
と言い、隣の人と同様、ぼくのことを気にかけてくれた。今の時代は死語になったが、むかしは「地回り」という役柄の人がいた。その土地の安心材料みたいな人で、少々のいざこざがあっても、その人が丸く収めてくれるような存在だった。
もしかしたら向かいのオジサンも、そんな地回り的な存在だったのかもしれない。もちろん毎日接して暮らすのはそれなりに気を遣ったが、
「お向かいもお隣も怖いけどアパートは安心」
といった感じで、ぼくとしては助かっていた。
ヤクザの愛猫「ラッキー」

向かいのヤクザさんは猫を飼っていた。白と黒の模様をした猫で、名前はラッキーといった。
ラッキーは、オジサンの飼っていた犬より利口だった。
犬は何日たってもぼくを覚えず、アパートに出入りするたびに鼻にシワを寄せて吠えたが、ラッキーはすぐに覚えて懐(なつ)いてきた。
そんなラッキーをぼくはかわいがった。たまにぼくの部屋にも付いてきた。まるでぼくの猫のような気がしていたが、アパートの他の住人もかわいがっていたし、近所の人もかわいがっていた。
ラッキーは近所のアイドルだった。
ところがラッキーは、ある日突然死んでしまった。ラッキーが死んだ夜、向かいのオジサンは大泣きした。
ぼくも大泣きした。しかも飼い主のオジサンより悲しんだくらいだ。まるでお父さんのお葬式にきた女性が、お母さんより大泣きして棺桶にしがみつき、遺族から疑惑の目を向けられた時のような、そんな感じだったかもしれない。
ペット売り場の多岐川裕美

かわいがる猫がいなくなり、物足りない気分で過ごしていた時だった。たまたま買い物にきた近所の西友で、何気なく上の階まであがってみたところ、ペット売場があった。
都心の歓楽街のど真ん中で、キャバクラの同伴やアフターの客を標的に、見たこともないようなバカ高い猫を売りつけているペットショップとは違い、西友のペット売場は近所で生まれた猫を1匹1,000円で斡旋する、里親捜しのボランティアのような店だった。
はじめのうちは猫見たさに通っていたが、じきに目的が変わった。
たいへん美人な店員がいることに気づいたのだ。女優の多岐川裕美にそっくりといってもよいほどの、美しい女だったのだ。
彼女を見てすぐ、映画「聖獣学園」でバラのつるに縛られた彼女の姿が思い浮かんだ。ぼくはこの店員がたちまち気になるようになってしまった。
大家によれば、彼女は35歳くらいの未亡人とのこと。何で大家が知っていたのかはともかく、ぼくにとって、それまでの人生で見たことのないような美人で、自分が20歳であることなど忘れ、かなり本気で惚れ込んでしまった。
ぼくは学校の帰りに毎日ペット売り場に立ち寄るようになった。
ぼくにそんな下心があるとは知らない彼女は、くる度に、
「あら~、また今日もきてくれたの」
と笑顔で迎えてくれた。
「さあ、お兄ちゃんがきてくれたわよ~」
と、籠のなかの猫に語りかけるなど、ぼくを完全に子供扱いし、警戒心はみじんも感じられなかった。
そのお店では、子猫を抱っこするのも可能だった。
近所で生まれた子猫の斡旋という目的もあり、里親として引き取る前に飼い主との相性を確認する必要もあったからだろう。
あの猫を抱っこしたいというと、多岐川裕美が籠から取り出し、
「はい、どうぞ。まだ小さいから爪を出すから気をつけてね~」
渡してくれる際、子猫は彼女から離れるのが恐いのか、彼女の服にツメを立ててしがみついた。それを、服を傷めないように、ゆっくりとやさしくぼくが受け取るのだが、なるべくぼくと彼女が体を近づけ、猫と彼女の体の間にしっかりと手をいれて抱きかかえなければならない。

彼女は猫を落とさせないためにぼくと体を密着させる。じつはその時、子猫を大事に扱うために、堂々と彼女に触ることができたのだ。変態かと思われるかもしれないが、こうして毎日、ぼくは子猫を間に挟んでまるで多岐川裕美と抱きあうようなことを続けていた。
ハレンチな話でじつに申し訳ないが、そんなわけで、この店にくる目的は、猫から多岐川裕美へとすっかりすり替わっていった。
今なら完全にセクハラだが、当時はまだこの世にセクハラという言葉が存在しなかった。それに、最初のうちは完全にぼくを子供扱いしていた彼女が、何となくだが、途中からぼくの目的を薄々わかっていたような気もした。触れても嫌がらず、猫の受け渡しの際、猫を見ないでぼくに目を合わせていたからだ。
やがてぼくは、学業が手につかなくなった。
明けても暮れても、多岐川裕美のことが気になった。学校の帰りだけでなく、行きがけにもお店に寄りたかったが、時間が早すぎてまだ店が開いてなかった。
あんなに美人でスタイル抜群で、しかも未亡人だったのだから、思い切って告白し、同棲でもして熱き青春を過ごせばよかったと今では深く後悔するが、あんなボロアパートでは無理だっただろう。
ラッキーとそっくりな子猫が見つかる
そんな目的で通い始めてひと月ほどしたある日、お店にくると、向かいのオジサンが飼っていた死んだラッキーにそっくりの子猫がいた。顔つきといい、白と黒の模様の感じといい、死んだラッキーに本当にそっくりだった。
「この猫、かわいいね」
「そうでしょう。この子は器量良しだし、それに、しつけもいいんですよ」
この時だけは、彼女のことを忘れ、この猫を飼いたいと思った。しかしぼくのアパートは動物を飼ってはいけない決まりだった。悩んでも仕方がなかった。ダメなものはダメなのだ。
「またきます」
ぼくは家に帰った。
だが、帰ってからも、あの猫の姿が思い出されてならない。アパートの決まりで飼ってはいけないのだから、ダメなものはダメだ。しかし飼いたいものは飼いたい。気が変になりそうになりながら、ぼくはふらりとお店にきた。
「あら~。またきたの」多岐川裕美は笑って、「この子が気に入ったんでしょう?」
「うん。この猫、かわいい」
「里親になってくれます?」
「うん。そうする」

あれほど悩んでいたのに、この瞬間ぼくは後先考えず、1,000円払って子猫を買った。
多岐川裕美はミカン箱に子猫を入れ、
「かわいがってやってくださいね」
あの時、冗談でもいいから、「一緒にきませんか?」と言ってみればよかったと思う。
アパートに帰ってくると、ふだんはいない大家がなぜか偶然きていた。
大家はぼくが抱えたミカン箱を見て、
「それは何だ」
「子猫を買ってきた」
ぼくは正直に言った。
「動物を飼っちゃいけないと契約書に書いてあるじゃないか」
「そうなんですが、ほら、見てくださいよ。こんなにかわいいんですよ! ほら」
ぼくは箱を開けて子猫を見せた。
大家は最初、眉を八の字にしたが、
「これ、ラッキーとそっくりじゃないか!」
「そうでしょ! かわいいでしょう!」
「しょうがねえなあ~。買ってきたものを返せとは言えねえしなぁ~」
おおらかな大家だった。
ラッキーとそっくりな子猫にぼくはラッキーと名付けた。

新しいラッキーはたまに向かいのヤクザさんの庭で遊んでいた。まだ小さいので、遠くには行かなかった。この猫にラッキーと名付けたことはヤクザのオジサンにも話してあった。
オジサンは
「本当にラッキーに似ている」
と喜び、元のラッキーのようにかわいがってくれた。
ラッキーがうちに来てからも、ぼくは毎日のようにペット売場に顔を出し、多岐川裕美に会いにいった。猫なんかそんなに毎日大きくなるわけじゃないのに、昨日はどうした、今朝はどうしたと、いちいち報告しに行っていた。彼女にとって、そんなことはどうでもよかったと思うが、ぼくの話を、ふうん、ふうんと聞いてくれた。
彼女に会うたび、付き合って欲しいと言おうと思っていた。
しかし、何十回通ってもそれが言えなかった。
ぼくにとって、彼女はやはり、高嶺の花過ぎたのだった。
Photo:Getty Images
Text:Masanari Matsui
松井政就(マツイ マサナリ)
作家。1966年、長野県に生まれる。中央大学法学部卒業後ソニーに入社。90年代前半から海外各地のカジノを巡る。2002年ソニー退社後、ビジネスアドバイザーなど務めながら、取材・執筆活動を行う。主な著書に「本物のカジノへ行こう!」(文藝春秋)「賭けに勝つ人嵌る人」(集英社)「ギャンブルにはビジネスの知恵が詰まっている」(講談社)。「カジノジャパン」にドキュメンタリー「神と呼ばれた男たち」を連載
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