あげまんのなつめちゃん
食堂で出会った競馬好きのなつめちゃん。
彼女は「あげまん」を名乗ったが、その力は本物で、一緒に行くと不思議と勝てたのは前回お話しした通りである。
なつめちゃんとはそれからも時々競馬に行くようになった。
あげまんの彼女と知り合ったことは、まるで魔法の杖を手にしたようなものだった。常識的には来るはずがないような馬が、彼女が買うと来ることがたびたびあったからだ。
競馬には中央競馬と地方競馬があり、大きなレースが行われる中央競馬は土日だけしか行われないが、地方競馬は平日にやっているため、仕事が終わった後に行くこともできた。
なつめちゃんとランチで一緒になると、たびたびこんな会話になった。
「松井君、今日は早く帰れそう?」
「多分大丈夫」
「大井競馬行かない?」
「いいねえ」
「じゃあ、6時に京急のコーヒー屋で待ってるね」
残業がない日はこうして大井競馬場に出掛けた。一緒に競馬に行っていることは、まわりの人も知っていた。たかが競馬なのだから隠す必要などなかった。
「松井君と遊ばないほうがいいって言われたの」
ある日、お昼を一緒に食べていると、なつめちゃんが、
「あのね」
と言ったまま、続きを言いづらそうな顔をした。
「どうしたの?」
「松井君と遊ばないほうがいいって言われたの。ギャンブラーに見られるからって」
「誰に言われたの?」
「Hさん」
「彼かぁ。わかる気がするよ。すれ違った時も視線が冷たいし、トイレでぼくと一緒になると、手も洗わないで出て行くほどだから」
「汚いわね~。でも、誤解を解いたほうがいいんじゃない?」
「放っておくよ。相手がどう思うかは変えられないし、嫌われるのはしょうがないさ」
「そうね。逆に、松井君のこと好きな人だっているし」
「誰?」
「村田課長」
「村田さんて、あの愛妻家で有名な?」
「そう。毎日愛妻弁当の村田さんよ」
なつめちゃんの職場の上司だった。
「意外だなぁ。ぼくなんか真っ先に嫌われそうだけど」
「それが大違いなのよ。村田さん、松井君と一緒に競馬行きたいんだって」
「マジで? 彼、競馬なんかやったことないでしょ」
「そうなんだけど、松井君の本も買ったみたいなのよ」
ぼくは味噌汁を吹き出しそうになった。
「世の中、わからないもんだな」
「一緒に連れていってあげてもいいかな?」
「いいに決まってるじゃないか。たくさん軍資金持ってくるように言っておいて」
「それは無理よ。お小遣いが少ないらしいから」
真面目な課長と3人で大井競馬に行く
終業後、待ち合わせ場所に行くと、なつめちゃんと一緒に、本当に村田さんが来ていた。仕事上でしか知らないが、とにかく真面目な印象の彼が競馬に来たのには驚いた。
村田さんは開口一番、
「今日は会社での上下関係など忘れてください」
すると、なつめちゃんが、
「そんなもの、松井君には元からないよ」
このひと言で3人はうち解け、競馬場に向かった。
村田さんは残業しないで競馬に来たことがよほど嬉しいのか、競馬場に着くなり、注文ミスかと思うほど食べ物を買ってきてはぼくらに勧め、ビール飲み競争に出ているかのようにビールを飲み、深夜の年寄りも顔負けなほど、何度も何度もトイレに行った。
「村田さん、楽しそうね。連れてきてあげて良かったね」
「でも、これじゃ、どっちが先輩かわからないな。彼、気を遣い過ぎだよ」
村田さんは終始張り切っていた。楽しんでくれているなら良かったと思ったが、やがておとなしくなった。馬券が全然当たらなかったからだ。
「仕事より競馬の方が疲れますね」
村田さんは苦笑いした。
「あんまりスッちゃうと、奥さんに叱られない?」
「ヘソクリですから大丈夫です」
「村田さん、愛妻家なんですってね~」
「それほどじゃないですよ」
「毎日愛妻弁当なんですよね! 肉そぼろでハートマークが描いてあるやつ」
なつめちゃんがからかうと、村田さんは、
「そんなんじゃないですよー」
と、照れくさそうにした。