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日髙夏子のこじらせ映画評

愛するが故の選択が二極する「たかが世界の終わり」

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何よりも、悲しみ以上に一つの事実が受け入れられなかった。同じ時間を過ごしていた人が亡くなったとしても、何事もなかったかのように時間は過ぎていって、世の中は回っている。なぜだか、その当たり前に過ぎていく時間の渦から、私一人だけ取り残されてしまっているような、そんな気持ちでした。

何があったって時間は過ぎていくし、当たり前のように世の中は動いていく。

それはわかっているのに、

何事も無かったかのように、その中に自分がいることが耐えられなかった。

もしかすると、ルイも同じことを考えていたのかもしれません。

©Shayne Laverdière

愛する家族に自分の残された時間を伝えるべく、そんな時間を有意義に過ごすべく12年ぶりに意を決して帰郷しましたが、なかなか事実を口にすることが出来なかった。それに、自分が戻ってきたことで、それまで穏やかだったであろう家族の日常が少しづつ歪み、壊れていくことを実感してしまった。ルイが家族の中に存在することで、大きな歪みが起きてしまった。

©Shayne Laverdière

むしろ、、自分はこのままいなくなってしまった方が家族にとって幸せなのかもしれない。そんな葛藤が生じてしまったのでしょう。スマフォーの皆さまも、ふと同じようなコトを考えたことがありませんでしたか?

お仕事でもプライベートでも、スマートに過ごすことの出来る皆様は、自分の言動で場を荒げてしまう可能性を感じると、それなら自分が身を引けば、少し我慢をすれば、その場は平和に収まるのだろうと思うことはないでしょうか?

©Shayne Laverdière

ましてや、恋愛でもそう。心から大切に想っていた女性から別れを告げられた時、本当は必死に引き止めたいけれど、大好きだからこそそれが出来なくて、自分の気持ちを押し殺して冷静に受け入れたフリをしてしまったことはありませんか? これが大人の男の対応というヤツなのかもしれませんが。そうやって、押し潰してきた感情がみなさんの心の中にもきっと存在しているのではないでしょうか。

それが、家族であればなおさら。何年も会っていない関係だったとしても、きっと主人公は心から家族を愛していたのでしょう。だってもしも、愛していなければ、想いがなければ、今ここで自分が死ぬという真実をぶちまけてかき乱して、大きな衝撃を与えてしまえばいい。思いっきり歪ませてしまえばいい。でも、愛しているからこそ、それが出来なかった。だからこそ、「愛するが故の選択」を彼は最後に下したのだと思ってしまいました。

彼が選んだ決断を、支持出来ない人も多いと思います。

でもきっと、私がもし同じ立場だったら、私も同じ決断を選ぶと思います。

それが、最大限の愛情表現かもしれないし、逆に、自分がとても弱いからかもしれない。

あなたはこの決断をどう思うのか?

そして、あなただったら、どんな決断を選ぶのか?

作品を見て、是非教えて頂きたいです。

そして、この映画は何よりもタイトルが秀逸。邦題である「たかが世界の終わり」という言葉が素敵すぎます。これは私の解釈ですが、“自分の死”は、たかが自分一人の世界が終わるだけ。たかが、私1人の世界が終わってしまったとしても、きっと世の中にとってはちっぽけなことで、何か変化が起きるようなことではないと思うんです。

身近な人は悲しんでくれるかもしれませんが、それも時間が過ぎればどんどん薄れてしまうもの。そんな刹那的な想いが、この「たかが」という一言に表されているような気がします。

この想いは、冒頭に書いたお知り合いが亡くなった時に私が感じたものと似ている。誰かが突然亡くなったとしても世の中はほとんど変化を見せずに、今まで通りに進んでいく。何事もなかったかのように、時間が、そして人々の生活が進んでいく。それを冷静に受け止めながらも、やっぱり少し寂しく感じてしまうような、そんな言葉に聞こえました。

「愛している人に愛しているというのは、とても難しい。」

こんなセリフが登場しますが、これはまさに私が感じたことです。

NEXT>>>冒頭での質問の私の答え







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