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BUSINESS SONY元社員の艶笑ノート

なぜ下町には靴が落ちているのか?

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ぼくは現場を指さし、
「今、男が車に押し込まれて連れていかれたんだよ。ほら、靴が脱げちゃってる」

「いい靴じゃないか」

「そういう問題じゃなくて、警察に言ったほうがいいんじゃないかな?」

「やめとけ! 届けたって大したお礼なんか貰えねえ」

「お礼の話じゃない。事件を通報するかどうかだよ」

「だったら、なおさらやめとけ。そんなことしても1円も儲からんぞ。聞かれたくもねえこっちの話をほじくられて、運が悪けりゃ犯人扱いだ。お茶も出してくれねえし日当もねえ。時間取られるだけ損だ。しかもその後どうなったか電話しても絶対に教えてくれねえんだ」

「バカに詳しいな」

間もなく店が始まり、結局そのままになってしまった。

その後、残された靴に関しては何かの事件だったという噂は聞かれなかったが、別の大事件が起きた。ケンちゃんが書いた時代小説『本所おけら長屋』(PHP研究所)が38万部を超えるヒット作となったのだ。そう、ケンちゃんとは畠山健二氏のことである。

数日後、今度は子供の靴が落ちていた

その数日後である。
浅草を歩いていると、また靴が一足転がっていた。

先日、男が連れ去られるのを見たばかりである。しかも今回は子供の靴だ。もしかして今度こそヤバい事件が起きたんじゃないかと思って見ていると、そばにいたおばさんが、
「さっき子供が脱いでいったのよ」

何でも、親子連れが人力車に乗る際、子供が靴を脱いでいったのだそうだ。
きっと躾け良い子で、キレイな人力車を見て、家にあがる時のように脱いでしまったのかもしれない。

鬢付け油の香りに誘われていくと……

それからしばらくした冬のある日のこと。下町にも雪が積もった。
歩いていると、北風にのって鬢付け油の匂いがしてきた。相撲取りが前方を歩いていたのだ。つい引き寄せられて後ろを歩いた。
日本の女は鬢付け油の香りがすると、ミツバチが花に吸い寄せられるかのように体が自然について行ってしまうという。相撲取りが女にモテる理由の一つがそれだと言われるが、男が嗅いでもいい匂いだ。

こんな日でも相撲取りは浴衣姿だった。一般人がフラつく中、相撲取りはザク、ザクといった感じで進んでいった。しかも雪駄だ。そんな格好ではしもやけになってしまいそうだが、相撲取りは平然としていた。さすがだと思った。この程度の寒さに音を上げるようでは、とてもじゃないが強い相手に勝てないということなのだろう。

ぼくもミツバチの気分で相撲取りの後ろについていくと、コンビニに着いた。成り行きで一緒に入ると、相撲取りは夕刊紙を買ってそれを懐にしまい、雪道をザクザクと歩いていき、またすぐ後ろをついていったら、何を思ったのか(何か買い忘れたのか?)急に回れ右をした。

あまりに真後ろについていたので、急に反転されて避け切れず、ぼくは相撲取りとぶつかり、大きなお腹に吹っ飛ばされそうになった。
「すみません!」
そういって横にズレた途端、
「うわっ!」
相撲取りの陰から突然、知らないおじさんが現れ、ぼくとぶつかった。二人とも相撲取りの巨体の死角に入っていたのだ。
お互いに謝り、立ち去ろうとすると、おじさんが
「ありゃ!」
と、素っ頓狂な声をあげた。
おじさんの靴の底が取れ、凍った雪にはまり込んでいた。

「底が取れちゃったよ」

「ヘボい靴だなぁ~。中国製じゃないの?」

つい失礼なことを口走ってしまった。
相撲取りが靴底を拾おうとすると、おじさんは恐縮した様子で、

「いいんです、どうせ安物だから」

「でも困るでしょ?」

するとおじさんは、コンビニの袋を靴の上から履き、持ち手を足首に結び、
「昔はみんなこうやっていたんだから」
さも当然であるかのように、おじさんはその格好で去っていった。
その後ろ姿を見送りながら、ぼくは何気なく、
「大丈夫ですかね?」
すると相撲取りは
「本人が決めたことですから」
と言って、靴底を拾って近くのゴミ箱に捨てていた。

Photo:Getty Images
Text:Masanari Matsui

松井政就(マツイ マサナリ)
作家。1966年、長野県に生まれる。中央大学法学部卒業後ソニーに入社。90年代前半から海外各地のカジノを巡る。2002年ソニー退社後、ビジネスアドバイザーなど務めながら、取材・執筆活動を行う。主な著書に「本物のカジノへ行こう!」(文藝春秋)「賭けに勝つ人嵌る人」(集英社)「ギャンブルにはビジネスの知恵が詰まっている」(講談社)。「カジノジャパン」にドキュメンタリー「神と呼ばれた男たち」を連載。「夕刊フジ」にコラム「競馬と国家と恋と嘘」「カジノ式競馬術」「カジノ情報局」を連載のほか、「オールアバウト」にて社会ニュース解説コラムを連載中



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