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BUSINESS SONY元社員の艶笑ノート

【本当にあったドラマのような話】デパート嬢のアパート

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「何?」

「うちに来ない?」

「え?」

「帰れないんでしょ?」

「でも女子寮じゃ…」

「平気よ。みんなやってるから」

タクシーの中で、ぼくはなぜか、竜宮城に連れて行かれるような気分だった。

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彼女の部屋でぼくは一緒に眠った。昨日知り合ったばかりの人とこんなふうになるとは、世の中何が起きるかわからないと思った。

朝になり、
「じゃあ、私、行ってくるから」
という彼女の声で目が覚めた。すっかり寝過ごしてしまったのだ。

「どこに行くの?」

「お店。今日は出勤なんだ」

「休みじゃなかったの?! ごめん! すぐ出るから待ってて」

「いいの。ここで留守番してて。午前中だけで帰ってくるから」

彼女はぼくのことをよっぽど信用してくれたのだと思った。

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夜は気づかなかったが、明るくなってから部屋を見ると意外に質素で殺風景だった。土曜日なのに出勤したように、仕事が忙しいのだろうと思った。
ぼくは留守番している間に何かしてやれることはないかと思った。台所には食材と一緒にカレールーがあった。
勝手なことをするようだが、彼女を驚かせてやろうと思った。ぼくはさっそくカレー作りに取りかかった。
順調に進み、味見もし、これでよしと思った。あとは彼女が帰ってくるのを待つだけだ。

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リビングでくつろいでいると、ちょうどお昼に差し掛かる頃、ドアを叩く音がした。
「ゆり子ちゃん、いないの? お母さんよ」
その声に続けて小さな鈴の音がした。直感的に、カギを開けようとしているとわかった。もはや迷っている暇などなかった。慌ててベッドの下に隠れると、タッチの差で母親が入ってきた。
「誰の靴かしら?」
母親が独り言をいった。

玄関に脱いだままのぼくの靴に気づいたのだ。しまったと思ったがどうしようもない。いくらゆり子ちゃんの許可を得ているとはいえ、この状況で見つかったら一巻の終わりだ。
ベッドの下はホコリっぽく、いかにも咳が出そうで窮したが、吸い込まないよう、まさに虫の息で気配を殺した。

部屋にはカレーの匂いが立ちこめていた。
鍋の蓋を開ける音に続き、
「あら、温かいじゃない」
と独り言が聞こえた。

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しばらくして、
「ゆり子ちゃん? お母さんだけど」
彼女に電話をかけたのだ。
「今どこにいるの? あら、お店なの? カレーが温かいからまだ近くにいると思ったんだけど……。どういうこと? お前が作らなきゃ誰が作るのよ」

電話が終わると、再び鍋の蓋を開ける音がし、それに次いでお皿とスプーンが当たる音がした。
「あら、おいしいじゃない」
母親がカレーをつまみ食いしているようだった。
部屋に置き去りにしてあるぼくの鞄の中で、ケータイがブルブルと振動した。きっとゆり子ちゃんがかけてきたんだろう。どうすることもできないまま、1時間くらいした頃だろうか、ゆり子ちゃんが帰ってきた。

「お母さん!」

「カレー、おいしいじゃない。いつ作ったの?」

「え、あ、それは……、出掛ける時」

「その靴、何?」

「これは……、物騒だから男物を置くといいって友達に言われたの」

 

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そんな言い訳があるのかと思った。
でも、靴が玄関にあるのを見て、ぼくがまだ部屋にいることに気づいただろう。横になったまま、ぼくは口に人差し指を立て、「シーッ」のポーズで待った。
彼女がリビングに来て部屋を見回すのがわかった。
彼女はベッドの横で足を止め、ゆっくりとしゃがんでぼくを見つけ、両手を合わせて「ごめん」の仕草をした。

「お母さん、コンビニに行こう」

「何よ、急に」

「ちょっと一緒に買いたいものがあるの」

「後でいいじゃない」

「ううん。今がいいの。早く、早く」

ゆり子ちゃんは母親を連れて出て行った。そのスキにぼくは部屋から脱出した。

その日の晩、ゆり子ちゃんから
「カレー、また今度、作りに来て」
と、電話をもらった。

 

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後日、彼女の家にカレーを作りに行った。その時ぼくはかわいいエプロンを持っていき、彼女に着せた。
変態かと思われるかもしれないが、一度でいいから、エプロン姿の女の子を独り占めにしてみたかったのだ。
彼女はエプロンの端をつまみ上げては、はらりと放し、
「エプロンてエッチね」
と言った。

何年かデパートに勤めた後、辞めて田舎に帰ったが、彼女がいる間じゅうずっと、ぼくは季節の変わり目には一着ずつ買った。
彼女の合わせてくれる服はいつもぼくにピッタリだった。ぼくは今でもその店で買っていて、行くたびにエプロン姿の彼女を思い出す。

Text:Masanari Matsui

松井政就(マツイ マサナリ)
作家。1966年、長野県に生まれる。中央大学法学部卒業後ソニーに入社。90年代前半から海外各地のカジノを巡る。2002年ソニー退社後、ビジネスアドバイザーなど務めながら、取材・執筆活動を行う。主な著書に「本物のカジノへ行こう!」(文藝春秋)「賭けに勝つ人嵌る人」(集英社)「ギャンブルにはビジネスの知恵が詰まっている」(講談社)。



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