ハンバーガーメニューボタン
FORZA STYLE - 粋なダンナのLuxuaryWebMagazine
BUSINESS SONY元社員の艶笑ノート

「ソニーの村長さん」

無料会員をしていただくと、
記事をクリップできます

新規会員登録

 

振り返ると、課長がぼくに向かって、おいでおいでの仕草をしながら
「ちょっと、ちょっと」
といっている

©gettyimages

何だと思って近寄ると、課長はぼくを廊下の端っこまで連れていき、
「S村さんを村長って呼ぶの、やめられないかな?」
「ダメでしょうか?」
「ダメもなにも、ちゃんと名前で呼ぶべきだと思うんだよ」
「彼はもう、村長で通ってますよ」
「キミがそういっているだけじゃないか」
「でも、本人も気に入っているみたいです」

「そういう問題じゃないよ。彼はキミより一回りも先輩じゃないか。ちゃんと名前で呼ばなきゃ失礼だよ。それにここは会社なんだから、やっぱり遊びとは区別したほうがいいと思うんだ」

©gettyimages

そう言われて思い出したのは、あるお金持ちの女性社員が、部長のことをのび太君と呼んでいたことだ。
「Mさんも部長のことをのび太君って呼んでましたよ」
「あれは休み時間だろ。それに彼女は特別だから」
「何で村長はダメなんでしょうか」
「わかってもらえないかなぁ…」

課長は眉間にシワを寄せたかと思うと、二人しかいないのに急に小声になり、
「部長が嫌がっているんだ」

村長と呼ぶのをやめてみたら……

「部長が?」
「会議でも彼を村長と呼んでいるだろ、それが面白くないみたいなんだ」
「そうなんですか」
「考えてもみろよ。部長といえば部で一番エライはずなのに、村長なんて呼ばれるのがいれば、何だかそっちのほうがエラそうに見えるだろ」
「部長がそう言っているんですか?」
「そうじゃないが、部長の身になれば嫌だと思うよ」
「あれほどピッタリの名前はないと思うんですが」
「だから、そういう問題じゃといっているだろ。ここは会社なんだから、よろしく頼むよ」

課長もきっと考えた末に言ってきたのだと思うが、今思えば、よく1年も我慢してくれたものだと思う。その気の長さはぼくにはとても真似できないが、それはともかく、雇われの身である以上、もはや仕方ないと思った。

©gettyimages

次の会議にもS村さんが出席していたが、そこには課長も出席していた。恥をかかせるわけにはいかなかった。
会議の最中、S村さんが発言した。それについてぼくも意見があった。意見を言おうとすると課長と目が合った。その目は「やめろ」と訴えていた。
ぼくは観念し、
「村長の意見について」
と言いたいところを、ぐっと我慢し、
「S村さんの意見について」
と言った。
すると会議室の空気が変わり、みんな、ハッとしたような顔でぼくを見た。一番驚いたような顔をしていたのは村長本人だった。
会議のあと、課長とのやりとりを説明すると、
「キミがそんな忠告に従うとは、けっこう意外だ」
と言って、がっかりしたような顔をした。

©gettyimages

その後ぼくは異動し、やがて村長も異動した。職場が変われば仕事内容も変わるため、村長と仕事をする機会もなくなっていった。
やがてぼくは会社を辞めたが、少し落ち着いた頃、村長はどうしているかと思い、職場に電話をかけてみた。
ところが、残念ながら彼は会社を辞めていた。連絡先を知りたかったが、もはやぼくも部外者のため、教えてはくれなかった。こうなると彼を捜すのは困難だった。村長がどこか遠くに行ってしまったような気がした。もう会うことはないだろうと思った。

いつでも会えるはずなのに

あれから20年ほどが過ぎた2、3年前のことだった。
家の近所を歩いていると、前方に中年男性が歩いているのが見えた。どこにでもいそうな中年だが、後ろ姿に見覚えがあるような気がした。足を早め、15mくらいに近づいた時、ぼくは確信した。S村さんに間違いなかった。
ぼくは大きな声で、
「村長!!」
と呼んでみた。
すると男性は足を止め、直立したまま、恐る恐るといった様子で、ゆっくり振り返った。やがて表情がどっと崩れていくのが見えた。
「やっぱりキミか! そんなふうに呼ぶのはキミしかおらんと思ったんだ」

©gettyimages

ぼくは駆け寄り、ガッチリ握手した。こんなところで出くわすなんて、奇跡としか言いようがないと思った。
「久しぶりですね」
「そうだね」
「死ぬまで会えないと思っていましたよ」
「相変わらず大げさだな」
「でも、村長、何でこんなところにいるんですか?」
「すぐそこに引っ越してきたんだ」
「そうなんですか!!」

最寄り駅に向かう通り道にあるマンションだった。もう二度と会えないと思っていた村長は、何とウチから徒歩5分のところに引っ越してきたのだった。
「もう、いつでも会えますね!」
「そうだね! 近いうちに飲もう」

ぼくらはもう一度握手して別れた。それっきりぼくらは会っていない。

Text:Masanari Matsui

松井政就(マツイ マサナリ)
作家。1966年、長野県に生まれる。中央大学法学部卒業後ソニーに入社。90年代前半から海外各地のカジノを巡る。2002年ソニー退社後、ビジネスアドバイザーなど務めながら、取材・執筆活動を行う。主な著書に「本物のカジノへ行こう!」(文藝春秋)「賭けに勝つ人嵌る人」(集英社)「ギャンブルにはビジネスの知恵が詰まっている」(講談社)。「カジノジャパン」にドキュメンタリー「神と呼ばれた男たち」を連載。「夕刊フジ」にコラム「競馬と国家と恋と嘘」「カジノ式競馬術」「カジノ情報局」を連載のほか、「オールアバウト」にて社会ニュース解説コラムを連載中



RANKING

1
2
3
4
5
1
2
3
4
5