干場:(手元を見て)そうですね! ちなみに杏子さんの今日のジュエリーをうかがっていいですか?
田中:右手首にはティファニーTのバングル。薬指は母から譲り受けたものです。中指はコア ジュエルス。左手はカルティエのエタニティリングで結婚指輪です。それを挟むようにヴァンクリーフ&アーペルのペルルとティファニーTを着けています。時計はカルティエのサントス ドゥモアゼルで、こちらも母から譲り受けました。
干場:お母さま、凄いお洒落ですね! ブランドにこだわらずミックスされていて素敵です。カルティエとヴァンクリとティファニーを重ねづけするなんて。
田中:母は、お洒落でいろいろ持っているんですよ。ブチェラッティとか。この時計は華奢なところが好きで、よく着けています。
干場:こういうお洒落な杏子さんの成り立ちってどういうところから来ているんでしょう?
田中:やはり母親の影響が大きいかもしれませんね。
干場:やはり身近なお母さまの影響が大きいんですね。イタリアにも住んでいらっしゃったんですよね。
田中:そうです。高校を卒業してイタリアへ渡ったので、イタリア人のメンタリティとか身近に感じます。
干場:多感な頃にイタリアにいらしたんですね!
田中:18歳から24歳までいました。
干場:そんな多感な時期にイタリアにいたら、それはイタリア的発想が刷り込まれますよね。ゴールドがいい、っていうのもわかる気がしてきました!(ゴールド好きって)イタリア人だもんな、完全に。そんな杏子さんが、この人かっこいい!って人はどんな方ですか?
田中:結構たくさんいるんですけれど、ケイト・モス。何をやっても可愛い。何を着ても可愛いし、絵になる。コケティッシュな感じが可愛いんでしょうね。ちょっとすきっ歯でソバカスがあって。あとソフィア・ローレンは永遠のマドンナです。歳を重ねても、とても可愛らしい。
干場:可愛いっていうところがポイントなんですか?
田中:いつまでも女の人、っていうところですね。フランス人なんか、女性が歳をとると、女性らしさが無くなってきてヒューマンビーイングって感じになってきてしまう。カトリーヌ・ドヌーブとかアヌーク・エーメとか人間らしさが増している。でもイタリア人の女性って、どこまでいっても女っていうのがベースにある。
彼女がアカデミー賞かなにかのプレゼンテーターを務めたときに、映画『ライフ・イズ・ビューティフル』のロベルト・ベニーニ監督が受賞したときに「ロベルト!」って叫んだのがとっても可愛かったんですよ。そのキャンキャンした姿が可愛くて、いくつになってもこういう女性っていいなって思ったんです。可愛いっていう女性像を持っている人っていいなって。あとソフィア・コッポラも好きです。彼女はズルいと思う。
干場:なぜ、ズルいんですか?
田中:なにやってもお洒落じゃないですか!? シンプルな黒いタートルニットを着てもお洒落。あれは何なんでしょうね? すごい可愛いとか美人っていうワケでもないのに。セレブのオーラなんでしょうか。
干場:男の人はどうですか?
田中:俳優さんとかですよね……。(暫し考え)この人好きだな~、プロポーズされたら結婚しちゃうっていう人は、奥田民生さんです。才能に惹かれます。
干場:なるほどね~。
田中:才能があるのにガツガツしていない。奥さん大切にしていて、あのヌケ感!
干場:あの域に行きたくてもなかなか行けないですよね。それはちょっと真似しづらいですね……。スマフォーの参考にならない(笑)、オンリーワンの存在。他にいますか?
田中:ジュード・ロウも好きです。セクシーですよね。でも実は男性のことってあんまり見ていないかも……。あんまり興味ないっていうか。女の子のほうが興味ある。あの子可愛いな、いいな、とか。だから女性のファッション誌が作れるんだと思う。
干場:最初の雑誌はどちらだったんですか?
田中:最初はイタリアで『VOGUE』や『ELLE』の仕事をしているスタイリストのアシスタントからスタートしたんです。ずっとスタイリストになりたくて、イタリアでファッションの学校を出た後に事務所に入ったんです。
干場:すごいですね。
田中:中学生の頃『anan』と『流行通信』が私のバイブルだったんです。『anan』でスタイリストのお仕事という特集があって山本ちえさんや堀越絹衣さん、近田まりこさんが出ていたんです。それを見て、こんな仕事あるの!?って。服が大好きだったんですが、コーディネートしてお金がもらえるなんて、なんていい仕事だろうって思ったんです。で、スタイリストの学校なんてイタリアにはなくて、ベースはきちんと勉強したほうがいいということになって、デザインとパターンの勉強をしたんです。
卒業後、日本に帰ってもなぁと思い、自分のスタイリストとしてのブック(作品をまとめた本)を半年くらいかけて作ったんです。
『VOGUE』などに作品を見せに行ったんですが、その頃イタリアは失業率も高いし、なかなか日本人を雇ってはくれない。でも、雑誌社を回るうちにスタイリスト事務所に推薦してくれて入れたんです。
そこでもやはり不景気だからお給料は払えないって言われたんですね。でも1か月経ったときに頑張ってくれたから、って事務所のスタッフトップ4からってポケットマネーでお金をくれたんですね。40万リラでした。当時、4万円くらいですね。
干場:それは超嬉しいですね。
田中:日本人って勤勉じゃないですか。だから真面目に働いたら、こんなに働いてくれてって。
それから2年くらいそこにいて、最後の半年くらいは自分でスタイリングしていました。帰国後は『流行通信』、『FIGARO』、『Spring』などのスタイリストをやっていました。その後、『ELLE』の専属スタイリストを務め、『VOGUE』に入ったんです。ファッションエディターになり、そこでは原稿を書くことになり、編集者としてスタートを切ったんです。その後、2005年に『Numero TOKYO』の準備を始めて2007年に創刊したんです。で、今年100号を迎えました。
干場:100号おめでとうございます。それにしても素晴らしい経歴ですね。
田中:ところで今日のリングでは、どれが買いでしょうか。新進気鋭のアンブッシュ、男っぽいクロムハーツ、エレガントモダンなティファニー、というところですが。
干場:順当にいけばティファニーTですよね。でも、意外性という意味ではクロムハーツでしょうか。
田中:これ、キラキラ感がいいですよね。
干場:これ(ユリ)は貴族っぽいですよね。マントとか杖とか似合いそう! でもやっぱりこれ(130万)ですかね〜。そうそう、杏子さんの今日のファッションを教えてください。
田中:コートはランバンで、ワンピースはヴィクトリア ベッカムです。バッグはサンローラン、靴はディオール、サングラスはトム フォードです。
干場:今日は突っ込みどころ満載な面白いお話、どうもありがとうございました。
Photo:Tatsuya Hamamura
Text:Yoshie Hayashima
田中杏子(たなかあこ)
『Numero TOKYO』編集長。
高校卒業後、イタリアに渡り、デザイン、パターンを学ぶ。ミラノで雑誌や広告のスタイリング等を手掛け、帰国後フリーランスのスタイリストとして活動。『VOGUE JAPAN』等の創刊に携わり、2005年創刊『Numero TOKYO』の編集長に就任、現在に至る。