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LIFESTYLE 高橋龍太郎の一匹狼宣言

Vol.14 「コレクションの無意識とアート史の表層」by 高橋龍太郎

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コレクションをして語らしめよ

拙著『現代美術コレクター』(講談社現代新書)の刊行以来虚脱状態が続き、文章をしばらく書く気が起きなくなってしまった。コレクションについて書けることを書いてしまったあとは、何を書いても屋上に屋を重ねるような気になってしまい、筆が進まないのだ。

それで今回は自分のアートに関する意見を伝えるというより私のコレクションに起きたコレクション雑記を書かせて頂く。コレクションをして語らしめようと思うのだ。

ある日妹が、懐かしい油彩を持ってきた。

私のこの間の出版騒ぎに巻き込まれて、彼女の部屋に置き放しになっている私の引越荷物を探してくれたところ、なんと合田佐和子が!『グレタガルボ1975』が!出てきたという。

「グレタガルボ1975」合田佐和子
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1979年飯倉の青画廊で購入したこの作品こそが私のコレクション第一号なのだが、引越しを繰り返すことで行方不明になっていた、というのは正確ではない。70年代~80年代は今の妹の住んでいる部屋に私は居たので探す可能性はそこしかなかったのだが、つい億劫になっていたのだ。

久し振りに見る合田作品は何か霊気が漂っていて今までの私の怠惰を責めているようにも見えた。

それにしても40年経ってもこの迫力はなんということだろう。私の記憶では真白い画面に輪郭のくっきりしたドローイングでグレタガルボの頬に薔薇色の入墨といったものだったが、遥かに描き込まれた見事な作品に仕上がっている。

合田佐和子も見事だが、こんな素晴らしい作品を最初に購入した高橋コレクション恐るべしと密かに我が身を褒めた(笑)。

横浜バンクアートでは、柳幸典の『ワンダリング・ポジション』が開かれている。(12月いっぱいの予定が好評で1月まで延長)

柳幸典は、コレクションを始めた頃第一線で活躍していた印象が強く、もうすでに美術館作家になっていて、かなり年輩の方だと想像していた。なんとまだ50代とのこと、なにか時間操作が行われていたのかと思うほど、私の時間感覚がずれてしまっていた。それだけ柳幸典の当時の評価が高かったことだろう。

『ABSOLUTE DUD』柳幸典
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蟻が細いチューブを介して行き来しながら万国旗を蝕む国旗シリーズや、三島作品に導かれて暗い通路を抜けると原子爆弾が出現する『ICARUS CELL』、『AB SOLUTE DUD』、日本の歴史を透視する巨大な目を取り巻く破壊された都市『Project God-zilla-landscape with an Eye』そしてその前で演奏されたPBCの30年ぶりの迫力に溢れたステージ。

どれも今年の最大級の収穫と呼べるものだった。

しかし何よりも驚かせたのは、1階のレストランに飾ってあった巨大な鯛焼きシリーズの『GROUND FISHING PROJECT』1988。邦題『鯛焼九州進行作戦』とあるように大地にショベルカーで大きな鯛形をつくりそこにモルタルを流し込んで造りあげたものの魚拓であった。1988年の作品なのだが、私はそれを2003年にコレクションしていたことを思い出したのだ。しかもダブルベットシーツ2枚分のエディションと、ダブルベット4枚分の2つのエディションを。

『GROUND FISHING PROJECT』1988(邦題『鯛焼九州進行作戦』)柳幸典
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倉庫に眠っていた作品を開けてみた。当時の思い出が甦る。双ギャラリーの回顧展のグループショーで大きすぎて飾れないといわれながら購入したものだった。杉本博司の海のシリーズも一枚、ぽつんと飾られていた。まだ数10万円のプライスだったが、私にはその作品のすごさがわからず、購入しなかった。していれば今はどれ位するのだろうか。

国立近代美術館では『endless山田正亮の絵画』展が開かれている。5000点近い作品から選りすぐった200点の本格的回顧展が開かれている。静物画、アラベスク、方形の繰返し、ストライプ、白い方形、再び大きなアラベスク、モノカラーと次々に変様をとげた作家で、その一枚一枚に詳細な製作ノートが描かれていたことが展示されている。

1990年代前半、セカンダリーギャラリーには山田正亮の作品が溢れていた。作品の発表年の詐称と学歴詐称で1990年国立近代美術館での展示会が中止になって以来、プライスがつかなくなっているとのことで、安値で放置されていた。ジョセフアルバースやアグネスマーティンに作品が類似しているのも、東西のシンクロニシティと当初評価されていたものが、詐称問題で剽窃作家扱いとまでされてしまっていた。

私は、どの時代のものもそれなりに作品に力があると感じ各シリーズに亘って10点以上をコレクションし、気に入ったものはクリニックや自宅に飾ってある。下の写真の作品もその一つだ。

「Work B.166,1958年」山田正亮

今年の暮れは、私のコレクションの前史を飾る作品が甦ることになった。不思議なことにしかもひとつを掘り起こすといもづる式に記憶の封印が解かれる。

柳幸典はともかくこの間等閑視されてきた合田佐和子、山田正亮の作品に何か共通するものはあるのだろうか。

ふと、中島みゆきの「海鳴り」が浮かぶ。

覚えているよとルフランするこの歌は、「今日もお前と私だけが残った」と古い時計に心情を託す。(※歌詞を載せたいところだが、著作権の問題で載せられないらしいので、「中島みゆき 海鳴り」で検索いただけるとありがたい)

コレクションとは不思議なものだ.
等閑視されていたとしても作品の愛おしさは変わることが無い。むしろそうなればなるほど、自分だけが分っている世界として大切になる。別れた恋人の写真がいつまでも箪笥の奥にしまわれているように。

時が至ればコレクションの無意識とでもいうべき領域が浮上して来る。多分コレクションにとって重要なことは、コレクターが表層で語る何万という言葉よりも、時代の流れのなかで浮き沈みを繰り返しているこのコレクションの無意識の流れなのではないか。そしてアート史の表層とクロスすることがあれば幸運だが、そうならない場合の方が圧倒的に多いだろう。

それでも人はコレクションを続ける。
まるで人の一生のように、忘却と甦りを繰返しながら。

書き手:高橋 龍太郎

精神科医、医療法人社団こころの会理事長。 1946年生まれ。東邦大学医学部卒、慶応大学精神神経科入局。国際協力事業団の医療専門家としてのペルー派遣、都立荏原病院勤務などを経て、1990年東京蒲田に、タカハシクリニックを開設。 専攻は社会精神医学。デイ・ケア、訪問看護を中心に地域精神医療に取り組むとともに、15年以上ニッポン放送のテレフォン人生相談の回答者をつとめるなど、心理相談、ビジネスマンのメンタルヘルス・ケアにも力を入れている。現代美術のコレクターでもあり、所蔵作品は2000点以上にもおよぶ。

 

 



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