副業でクラブのママをしていた秘書
話を戻そう。当時のソニーは副業の禁止規定もなく、会社に迷惑さえかけなければ何をやってもよかった。ぼくは会社に在籍しながら1~2年に1冊のペースで本を出版していたし、ミュージシャンをしている人も多かった。中にはニュースキャスターをしている人もいた。クラブのママをしている人もいた。顔見知りの秘書だが、ある日廊下ですれ違いざまに話しかけられ、店に誘われたのが知るきっかけだった。
せっかく誘ってくれたので行ってみると、おっぱいがこぼれ落ちそうなドレスで接客してくれた。会社とはまるで別人だった。人の秘密を知るのがこんなにわくわくすることだとは知らなかった。店からの帰り際、絶対に会社には内緒にしといてねとおっぱいをこすりつけられ、約束を守ってぼくは誰にも言わなかった。

後日「あなた、お口、ほんとに固いわねえ~」と、実にイヤラシイ褒め方をされたのを覚えている。彼女は会社ではとても信用厚く、真面目で堅実で優秀な秘書として知られていたが、そういう女性ほど内に秘めたエロスは相当なものがあるのだとぼくは知った。彼女によれば、真面目に一生懸命働いている人ほど、一皮剥けば正反対の願望がグツグツと煮えたぎっているということだった。あんなに人望があり上品で仕事のできる彼女が言うのだから間違いないと思った。

そう言われて思い出すことがある。ある日遅くまで残業していた時のことだ。エレベーターに乗っていると、別の階から仲良しの女性社員が乗ってきて、ドアが閉まると「疲れたぁ~」と言ってぼくに倒れ込んできた。しょうがないので笑って抱きかかえていると、閉まったはずのドアが突然開いて副社長が乗ってきた。
ぼくは完全に目が合い、手遅れだったが、彼女はヤバいと思ったのか、ぼくの胸に顔をうずめたまま3人とも無言。さすがに居心地が悪いのか副社長は次の階で降りていったが、あくる日の朝出社するとみんなにバレていた。副社長がバラしたからだったが笑ってすませておいた。当時はみんな仲良く、そんなことは問題になりはしなかった。たぶん日本全体がまだそういう時代だったのだろう。
長い学園祭が終わる

自分ではまったくわからないのだが、タイトルがそうなったようにFORZA STYLEの栗原プロデユーサーから見て、ぼくは「変態さん」らしい。そんな変態の扉は今思えばソニー時代にこじ開けられたのかもしれない。むろん、ほとんどの社員は真面目でまともな人だが、変態は変態の匂いを嗅ぎつけるのか、磁石を砂場に落とすと砂鉄が付いてくるように、ぼくはソニーで貴重な人たちと出会えたのかもしれない。
ソニーを辞めなかったワケを長々書いてきたが、2002年、とうとうぼくはソニーを辞めた。きっと、それなりに嫌なことがあって辞めたはずだが、不思議なことに今になると何が嫌だったのかハッキリとは思い出せない。それだけ楽しい会社生活を送らせてもらえたということだろう。
強いて挙げるとすれば、社長が交代し、人事評価制度が180度変更されてアメリカ型の成果主義が取り入れられたことで、息の長い開発や世間をあっと言わせるような挑戦的な開発ができなくなり、すぐ発売できるような堅実なものばかりになったことと、規則も何かと厳しくなり、会社の中が窮屈になって面白い人が次々と辞めていってしまったことだ。
ぼくが辞める当日、会長が部屋に呼んでくれた。なんでそうなったかは追々書いていくが、会長はぼくに紅茶を出してくれ、二人で飲みながら最後の時間を過ごしたのは思い出だ。最後の日の就業時間が終わり、社員証を返し、守衛のおじさんから「長い間ご苦労様でした」と敬礼されて正面玄関を出た時、まわりの風景がなぜか白黒に見えた。長い長い学園祭が終わったのだとぼくは思った。
Text:Masanari Matsui
松井政就
作家。1966年、長野県に生まれる。中央大学法学部卒業後ソニーに入社。90年代前半から海外各地のカジノを巡る。2002年ソニー退社後、ビジネスアドバイザーなど務めながら、取材・執筆活動を行う。主な著書に「本物のカジノへ行こう!」(文