TOKYO BIZ STYLE

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フットサル日本一・森岡薫選手
優勝翌日に戦力外通告を受けた苦悩と生い立ち

2016.7.20 2016.7.20
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2016.7.20

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壮絶な戦力外通告の秘話

森岡:はい。しかも、優勝の翌日だったので、本当にびっくりしてしまって...ほとんど記憶がないですね(笑)。唯一記憶に残っているのは、「分かりました」と答えたという記憶と、チームから「10年間頑張ってくれたから、何かしてほしいことはあるか」と聞かれ、「ないです」と答えた記憶くらいですね。その時は平常心を保とうと、「チームの方針だから仕方ない」と思って何も言わなかったのですが、さすがに冷静になってからはショックと納得できない気持ちとで、涙がこみ上げてきました。

西内:そのことを、御家族にはどのようにお話されたのでしょう?

森岡:嫁さんには、その場を出てから電話で「契約更新がなかった」と話したんですが、僕が普段からよく冗談を言っているので、全く信じてもらえませんでした(笑)。「あんた、また冗談言ってるの?」と言われましたね。それで家に帰って説明をしたのですが、家に帰って子供の顔を見た瞬間に、涙が止まらなかったですね。結局、名古屋オーシャンズとしてはチームの若返りを図らねばならず、その上での決断だったそうなので僕に何かを決める権利はないのですが、その時はショックが大きかったです。

西内:そうなんですね。お子さんは何かおっしゃっていましたか?

森岡:そうですね、子供に心配をかけたのが一番辛かったです。7歳の女の子と、5歳と2歳の男の子がいるのですが、みんなで毎週試合を見にきてくれていたので「お父さん、試合には行かなくていいの? もう試合には出ないの?」という純粋な質問をされるんですよ。それが、すごく申し訳ない気持ちになり辛かったですね。

西内:ただ、森岡選手なら名古屋オーシャンズを辞めても、海外からもいくらでもオファーはあるでしょうし、どこでも活躍できると思うのですが、そんな中で移籍先を「ペスカドーラ町田」に決めた「決め手」は何なのでしょうか。

森岡:いろいろな理由があるのですが、一つが「家族の側にいたい」という理由ですね。やっぱり小さい頃に僕は貧しい家庭で育っているので、子供には苦労をかけたくないという想いが強いんです。なので、海外からもオファーはあったのですが、日本で、できるだけ良い条件で、さらにチームの方針に共感できる契約先を探しました。そんな時に、「ペスカドーラ町田」の 甲斐修侍選手に誘ってもらったんです。

西内:甲斐選手とはこれまでライバルだったんですよね?

森岡:そうですね。ただ、甲斐選手から「これまでライバルだったけど、オレは今45歳、この一年が選手人生最後だと思ってる。その一年をお前と一緒に頑張りたい。一緒に優勝したい」と言われたんです。その言葉にすごく胸を打たれたんですよね。もちろん、名古屋オーシャンズよりは経済面では落ちてしまったのですが、それでも「甲斐選手と夢を追うことには、お金では買えない価値がある」という想いがあり、「ペスカドーラ町田」への移籍を決意しました。

西内:たしかに、かけがえのない時間はお金では買うことができませんもんね。

森岡:そうなんです。それに、僕はもともと貧しかったとはいえ、お金にそれほど執着してもいないんです。もちろんお金はあるに越したことはないですし貧しい想いはもうしたくないですが、お金よりは、「栄光への執着」が強いですね。だからこそ、この一年を甲斐選手とともに過ごし、「ペスカドーラ町田」のために貢献したい、そう思っています。これまではずっと、どちらかというと自分のために頑張ってきたのですが、これからは「自分以外の誰かのためになりたい」という気持ちがすごく強くなったんですよね。

西内:自分以外のために頑張るほうが、実は強く入られたりするものですよね。

森岡:そうかもしれませんね。もちろん、他人のためでも自分のためでも、頑張ることには変わりないですし、これまで通り結果を出すことに執着して優勝を目指すのみ。やることは変わらないんですけどね。

西内:では、最後にそんな森岡選手から、当時21歳になるまでの森岡選手のように「自分が何をすべきか分からずモンモンとしている若者やFORZA読者」に向けて、メッセージをいただけますでしょうか。

森岡:僕は21歳まで、ずっと好きじゃない仕事をしていました。建築現場、工場...そして、当時は仕事を「お金の条件」で選んでしまったこともありましたし、選手になってからも「契約更新」のためだけに頑張った時期もありました。ただ、今考えると、「お金儲け」なんて、手段を選ばなければいくらでもできると思うんです。でも、それよりも、「好きなことをして過ごす時間」が何よりも大切なことなのではないかと僕は思います。僕は今ラッキーなことに、人に支えられながら好きなことを仕事にしていますが、もともとこんな風になれると思っていた訳ではありません。そもそも、プロを目指していたわけでもなく、また、なれるとも思っていませんでした。ただ、21歳でフットサルに出会ってからは、とにかく目の前のことに集中して、ガムシャラに毎日を生きていたのは事実です。そんなガムシャラな毎日があったからこそ、「プロ入り」というチャンスがきた時に、それを掴むことができたのだと思います。「チャンス」なんていうのは、誰にでも一生に一度や二度は訪れるものだと思うんです。けれど、その時にガムシャラになっていなければ、そのチャンスを掴むことはできない。「チャンスがきてから頑張れば良い」では、遅いんです。だから、チャンスが目の前にあるかどうかに関係なく、今自分が熱中できるもの、できそうなものに、とにかく全力にガムシャラになってみる。それが、「自分が何をすべきか分かないでいる人」がするべきことだと僕は思います。

.....ペルーの貧しい家庭に生まれ育ち、言葉も分からないままに異国の果てに来日、そこから高校を中退し、荒くれた生活を送ってからの、一つのフットサル広告との出会いで、日本一のプロ選手へと上り詰めた森岡選手。「人生の目標はありますか?」と聞くと、「幸せな家庭をずっと守り続けることですね」と森岡選手。優勝のため、チームのためにフットサル選手として邁進しつづけながらも、常にご家族を想いつづける素敵な旦那様でもあるのです。「嫁さんも元フットサル選手なので、子供は3人とも運動神経が良いんです。なので、休日はピクニックにいって、ボールを蹴りあいながら遊んでいるんですよ。家族5人なので、ちょうどフットサルチームができるんですよね。子供が走ったり、転けたりしているのを見ているのは、本当に幸せな時間ですよ」と語る森岡選手の素敵な笑顔は、あまりにも輝いていました。今後も、森岡薫選手の活躍から、目が離せません!

Text:Yuko Nishiuchi
Photo:Sono Aida

【編集者・ライター:西内悠子(りむちゅん)】
1988年兵庫県出身、同志社大学文学部哲学科卒。新卒でavexに入社し3年間OL。その後、フリーランスとなる。「貧乳女子大生の就活日記〜オッパイはつかめないけど人事の心はつかむゾ♪」がアメブロ大学生ランキング1位を獲得。

ブログ・こじらせ悠子のこじらせ日記  twitter  Instagram

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