COLUMN

複数のパートナーを同時に愛する
「ポリアモリー」の真実、著者が語る。

2016.4.26 2016.4.26
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2016.4.26

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深海:そのケースも非常に多いと思います。ポリアモリーを行う中で「愛」について真剣に考えるうちに、ジェンダーに関係なく人を愛するようになり、バイセクシュアルになる方も多いようですね。また、バイセクシュアルでなくても、自分と同性である、相手のパートナーと感情的に親密な関係を築いているというケースも多くあります。

西内:「彼氏には自分とは別に他にも彼女がいる。その彼女のことも心から大切にする」ということでしょうか。

男性、女性、女性で暮らしているケース

深海:そうですね。実際に一緒に住んでいる人もいます。たとえば、男性、女性、女性の3人で暮らしているケースがありました。1人の男性に、2人の女性のパートナーがいるというパターンですね。この2人の女性はバイセクシュアルではないので、性的関係はありません。女性同士は心からお互いを認め合い、大切にし合っているんです。毎朝3人で家族会議を開き、自分たちの関係性をいかにしてより良いものにできるかということを真剣に話し合っているのが印象的でした。また、そこには5人の子供がいました。3人が1人の女性の子供、2人がもう1人の女性の子供で、子供同士の歳が非常に近かったです。それぞれの女性が協力し合って育児をしており、「自分の子供じゃないから」と子供たちに対する扱いや愛情を変えることもありません。ポリアモリー3人の中に協力体制ができているため、育児環境もとても良いと感じました。

西内:まさに、常識という概念を取り払った世界ですね。それは日本でのお話ですか?

深海:はい。ポリアモリーという言葉は日本ではまだ馴染みがないですが、アメリカでは比較的馴染みのある言葉として浸透してきています。ただ、アメリカはキリスト教徒が多いので、ポリアモリーと聞いて眉をひそめる人も多いですね。ただ、その中でも制度や宗教にとらわれずに自分の思う愛の形を探求しようとポリアモリーになる方も多くいらっしゃいます。

ポリアモリーに嫉妬心はないのか

西内:ちなみに、ポリアモリーには「嫉妬心」はないのでしょうか? いくら理性で理解に努めても、やはり人間の本能として「嫉妬心」があり、その嫉妬心がポリアモリーであることを邪魔してしまうのではないかと思うのですが。

深海:もちろん、ポリアモリーにも「嫉妬心」はある場合が多いです。しかし、嫉妬というのは社会的・文化的に作られた概念でもあるんです。事実、嫉妬を、忌み嫌うべき「悪」であるととらえる国や地域があるのに対し、嫉妬を「善」としてとらえる国や地域も存在します。また、ポリアモリーの場合で言えば、嫉妬は「善」でも「悪」でもなく「活用すべきもの」ととらえる場合が多いようです。「嫉妬心を抱いたということは、それぞれのパートナーとの関係を見直し、より良い関係を築くためのキッカケである」とポジティブにとらえ、嫉妬心を活用してより良い関係を築こうとする人が多いですね。また、ポリアモリーは「相手を愛することと所有することは違う」ということを強調する場合が多いです。けれど、もちろん「相手を所有したい」という気持ちがでてきてしまい、関係がうまくいかなくなるということもあるようです。

西内:私が認識している「嫉妬心」とポリアモリーが認識している「嫉妬心」には大きな違いがあるんですね。

深海:そうかもしれません。私は人類学を研究しているのですが、ある地域における人びとの「感情」のあり方を考える上で、「自分の知っている感情」に置き換えて考えてしまうと大事な部分を見逃してしまうことがあります。かつてイロンゴット族が行っていた首刈りの慣習は、彼らの深い「悲しみ」や「怒り」と密接に関係していると言われているんです。ただ、ここで自分の知っている「悲しみ」や「怒り」に置き換えても、「人の首を狩る」という行為になかなか結びつかないですよね。つまり、自分が思うの知っている感情に当てはめて物事を考えてしまうと、「他者」の慣習や考え、生き方について深い理解に到達できない場合があります。

西内:たしかにそうですね。「首刈り族」という極端な例までいかなくても、親しい友人の考えていることすら本当のところは分かりません。彼らのいう「嫉妬」や「怒り」について、私は全く別の認識を持っているかもしれないですし、人は前提として理解し合えないものですよね。でもその中で、最大限に相手を理解し良い関係を築きたいと努め、そのために話し合い、互いの愛を育てたいと願う人がポリアモリーなのかもしれませんね。

深海:そうですね。その意味で、自分にとっての「嫉妬」とポリアモリーにとっての「嫉妬」は、全く違うものだとも言い切れないし、全く一緒のものだとも言い切れないものだと思います。感情というのは人それぞれに違うものだと思いますし、他人の感情については想像することしかできませんよね。それでも相手を理解したいと願い、また自分のことも理解してほしいと願い、その上で互いにとって良い関係を築くため、「愛について真剣に考える」人々がポリアモリーなのだと思います。

ポリアモリーは寂しくならないためのリスク分散?

西内:ただ私の感覚だと、複数のパートナーを愛するポリアモリーは、「複数と付き合えば、たとえ一人がいなくなっても寂しくない」という、リスク分散のような発想もあるのではないかと想像してしまいます。

深海:中にはそういう人もいるのかもしれませんが、「一人がいなくなっても、複数いれば寂しくない」というのは、人数によって愛が増えたり、減ったりするイメージという意味で、どちらかというとモノガミー(一夫一妻制度)的発想なのではないかと思います。ポリアモリーは、リスク分散の手段で行われるものではなく、「結果として本当に愛したい人、大切にしたいと思う人が複数いた」という場合が多いようです。ですので、ポリアモリーであっても、「結果として一人を愛している」人もいますし、またはパートナーがいない人もいます。

西内:では、「『自分はポリアモリーである』と複数愛を実践することを公言することにより、『パートナーからの大きな愛情の対象となりにくくなってしまう』というリスクもあるのではないか」とも思うのですが、それについてはどのように考えられますでしょうか。

深海:「大きな愛の対象になりにくい」というのは、モノガミー(一夫一妻制度)的な発想からポリアモリーを見た時に出てくる意見だと思います。人によるとは思いますが、たいていのポリアモリーは、2人と関係を持っているからといって、愛が2分の1になるとは考えません。愛は数量化できるものではなく、本当に愛しているなら無限である、という考えが根底にあります。そこから、無限を想起させるパイπは、ポリアモリーの象徴になっているんですよ。ですので、私の知っているポリアモリーの多くは、1つの愛であっても、2つの愛であっても依存せず、互いに自立していようという意識を持った方が多いです。

西内:たしかに、自立していなければポリアモリーではいられないですよね。ただ、「依存とまではいかずとも、困ったことがあればパートナーに頼りたい」と考える人は多いと思いますが、相手がポリアモリーだと、頼りにくくなるのではないかと思います。「他の彼女のことでも忙しいだろうから、迷惑になるのではないか」と考え、結局は自分自身が我慢して辛くなってしまったりと...ポリアモリーであることは非常に難しそうだなと思うのですが。

信頼を重んじるポリアモリー

深海:ただ、私が見てきたポリアモリーは、お互いに頼り頼られ、良い関係を築いている方が多かったです。なぜそれが可能になるかというと、「話し合い」をとにかく大切にしているからなんですね。ポリアモリーは多くの場合「相手の迷惑になるのではないか...」と自分だけで結論を出しストレスを溜め込むことが少ないように思います。ストレスを溜め込まず、相手とより良い関係を築くために「私はこう思っているけど、あなたにとってそれは迷惑かどうか教えて欲しい」「私はこういう時に寂しいと思う」などと、自分の心の中の中までを開示し、お互いに理解し合えるよう努めていることが多いです。その意味で、ポリアモリーのキーワードは、「信頼」「コミュニケーション」なんです。

西内:そこまでして理解し合いたいと思える...それは本当の意味でそこに「愛」がないとできないことですね。ただ、これもモノガミー的発想なのかもしれませんが、私の周囲で「たくさん彼氏がいる人」「たくさん彼女がいる人」を見ていても、「この人!」という相手が見つかれば結局は一途になり、これまで複数いた異性(この場合、バイセクシュアルではないので『異性』とします)との関係を絶っているケースが多く見られるのですが...。それを見ると、結局人間は、本能的に「1度に1人しか愛せないのではないのか」と思ってしまうのですが。

人は一人の人しか愛せないのではないか

⇒結局人間は一人しか愛せないのか!?
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