野村:小さな怪我というのは、指の腱が切れたりとか...。
干場、石田:それ、全然小さな怪我じゃありませんから!!
野村:そうですか?(笑)。でも、柔道選手の中ではあたり前の怪我なんですよ。だから、指の腱が切れたところで休みなんてもらえませんから、痛みに耐えながら練習を続けるんですよ(笑)。
干場:では...聞くのも恐ろしいのですが、大きな怪我って何なんでしょうか?
野村:大きな怪我といえば、やはり靭帯が切れるとかそういうことですね。でもまあ、これもよくあることですが。
石田:イター......。
干場:小さな怪我をしながらも練習を続けるって、メンタル的にも大変じゃありませんか?
野村:大変ですけど、時には大きな怪我をしても練習を続けることもあります。33の時、北京オリンピック前年に「前十字靭帯断裂」という大きな怪我をしたのですが、オリンピックに出なければならないので手術ができず、1年間切れたままで練習をしていました。
干場、石田:......(絶句)。
野村:手術をして完治を待っていたら、どうしてもオリンピックに間に合わなかったんですよね。練習中に「ブチブチブチ!!」と音がする程の大怪我だったのですが、靭帯が切れたままテーピングで誤魔化して練習をしていました。ですが、その時はやはり負けてしまい代表にはなれず悔しい思いをしました。
干場:「ブチブチブチ!!」という音がしたということは、凄まじい痛みだったんですよね?
野村:はい、その瞬間の痛みというのは10年近くたった今でも覚えている程です。
石田:そんな大変な思いをされてでも、続けようと思う精神力はいったいどこから来るのでしょうか?
野村:もう「やるしかない」という思いしかないですね。「やると決めたからには腹をくくる」それだけです。
石田:サムライですね...。
「小さいころは誰にも勝てなかった」
金メダリストの意外な幼少期
干場:そんな野村さんが、柔道を始めたキッカケというのは何だったんでしょうか?
野村:もともと、祖父が今年で80周年になる道場を創設していたこともあり、3歳で柔道を始めました。実家の横に道場があったので、とても始めやすい環境ではありましたね。
石田:その頃から「神童」と言われたりしていたのでしょうか?
野村:それが、全然そんなことなくて。小さい頃は全く勝てなかったんです。勉強もほどほど、スポーツもほどほどの普通の少年で、柔道も習ってはいたものの、誰にも期待されていませんでした。ただ、その期待されないことへの悔しさが反骨精神になったので、今では良かったと思っています。
干場:そうなんですね。野村さんのようなオリンピック3連覇ともなると、てっきり、小さい頃から柔道の天才として崇められていたのかと思っていました。
野村:小さい頃は弱かったどころか、中学時代も高校時代も本当に弱くて勝てなかったんです。中学生で身長140cmと小柄で一番小さかったですし、なかなか思うように勝つことができませんでした。柔道というのは、「相手が大柄であっても、相手の力を上手に利用して相手を負かす」という競技なのですが、それにしても僕はあまりにも小柄すぎましたね。
干場:そんな野村さんが全国チャンピオンになったのは、大学4年生の時ですよね? 弱かった高校時代から大学4年生までの間に、いったいどのような変化があったのでしょうか!?