汽車で北海道まで渡って、そこからヒッチの旅を始めました。友達と2人で喧嘩したり道に迷ったりしながら…楽しかったですね。
摩周湖(ましゅうこ)まで連れてってくれたトラックのおっちゃんが、「昔アイヌの人たちは。狩猟とか戦いの前に「力水(ちからみず)」を取りに崖から湖まで降りて水飲んだんだぜ」って教えてくれたんです。
摩周湖は当時ちゃんと湖畔まで降りる小道が整備されていたんですが、トラックのおっちゃんが「崖を降りて」って言ったことが印象的で、俺は友達に「アイヌの人たちみたいに崖を降りて行こうよ」って言ったんですよね。
友達が「やめろよ、危ないし」って止めたんですけど、「大丈夫だよ」って言って崖を降りようとした瞬間、苔に滑って、急斜面をグルグル転がりながら100mくらい落ちちゃったんですよ。
ただ落ちるだけならよかったんですが、崖の勾配にぶつかるたびに飛び跳ねながらグルグルと。その時たまたま柔道やってたんで、頭や首だけは打たなかったんですけど、「もうダメだ、死ぬ」と思いましたね。
そんなときって、いろんなものが走馬灯のように思い浮かんでくるんですね。母が悲しむだろうなとかね。「もう本当にダメだ!」ってとき、「俺、絶対死にたくない」と思ったんですよ。それで最後の力を振り絞って手を伸ばしたんです、そしたら木と木の間にガンとぶつかって、挟まった状態で難を逃れました。
ほんの数メートル下が湖面だったんです。そこまで落ちたら死んでましたよね、深いですし。
木と木の間に手を伸ばして支えている状態でゼエゼエしてたら、100mくらい上から「おーい、大丈夫か」っていう友達の声が聞こえたんですよ。「大丈夫なはずねーだろ、助けてくれ」って(笑)。
骨折してて足も動かないし、それから3時間くらい助けが来るまでずーっと木につかまって。辛さを紛らわせるために、知ってる限りの歌を歌って、歌い切っちゃうと始めからやり直して、自分を鼓舞しました。
そしたら30人くらいの捜索隊が降りてきて、柔道3段くらいの人が僕を背負って上まで上がって、近所の病院に連れて行かれて、翌日新聞見たら「横浜の少年崖から落ちる」って載ってた。
僕にとってはそれが最初の「冒険」でしたね。
その後実家に電話したら、親父が心配しちゃって「大丈夫か?大丈夫か?」って言っていたんですが、母親が「私行くから」って言うから僕待ってたんです。でも、母は2日経っても3日経っても来ないんですよ。
やっと3日目の夜に来て、「何やってたんだよ」って聞いたら、「どうせあんた病院にいるから大丈夫でしょ。だから北海道観光してきた」って(笑)。母は医者だから「病院にいるんだから大丈夫だ」って思ったんでしょうね。
母に付き添われて乗った帰りの飛行機で、ギブスでガチガチに固められながらも、眼下にある北海道の大地を見て「素晴らしいな」って自分で思ったのを覚えてるから、そんな大怪我しても懲りなかったってことですよね(笑)。
このあと海外をギャンブルで旅するロバート氏、
次ページへつづく。