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FORZA STYLE - 粋なダンナのLuxuaryWebMagazine
Special Talk

菊池武夫のメッセージ
「オヤジよ、いまこそ道を外れよ」

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タケ先生が本音で語る
「いいオトコ」論

ファッションが一番燃えていた時代、それはDCブランドが全盛だったころの事かもしれない。

昨年秋に「TAKEO KIKUCHI(タケオキクチ)」ブランド創業30周年を迎え、今春、13年ぶりにコレクション開催して話題になった菊池武夫氏と、菊池氏の「MEN’S BIGI(メンズ・ビギ)」時代の愛弟子で、ファッションブランド「Yin & Yang(イン&ヤン)」の創設者、村岡勝重氏。

長年にわたり日本のメンズファッション界を牽引してきた菊池氏と、メンズ・ドレスの世界で新境地を見せる村岡氏に、本誌編集長の干場義雅がクロストークで男の生き方、ファッションのこれからについて熱論を交わした。

誰もが魅了された
『傷だらけの天使』伝説

干場義雅:ウェブで展開しているデジタルマガジン「FORZA STYLE」は、40代を中心とするミドルエイジの男性のファッションとライフスタイルの情報を発信しています。31歳にして社会現象にも成ったブランド「BIGI」を立ち上げ、その後、「MEN’S BIGI」ではパリに進出してコレクションを発表するなど先見の明をもった菊池さんと、80年代のDC(デザイナー・キャラクター)ブームを先取りして「Yin & Yang」で一時代を築いた村岡さんに、ファッションを通じての「男の生き方」についてお話を聞けたら幸いです。

菊池武夫:村岡くんがメンズ・ビギに入ったのはいくつでしたか?

村岡勝重:紳士服の専門学校を出て、21歳でしたね。9年間ほどお世話になりました。

干場:メンズ・ビギというとショーケンさん(萩原健一)が主演したテレビドラマ『傷だらけの天使』は有名ですね。

菊池:実は、『傷だらけの天使』はメンズ・ビギがスタートする前(初回は1974年10月5日放送)に始まっているんだよ。資料を見たら、番組のテロップは「BIGI」になっていて、メンズ・ビギの前身の「ビギ・メンズ」の頃なんだよね。

ショーケンとは中学時代からの知り合いで、『傷だらけの天使』の撮影の手伝いで現場に行ったら、ショーケンが「お前何してるの?」って。

菊池:村岡君とショーケンは、テンプターズの前身で一緒にバンドやっていたんだよね。

村岡:僕は、ジュニア・テンプターズというバンドでボーカルをやっていました。『傷だらけの天使』以前は世の中にはトラッドなアイビーの服しかなくて、メンズ・ビギの服はとても自由だった。格好良かったですよ。

菊池:ショーケンのキャラクターと、時代と服、着こなしがぴったり一致したよね。みんな狙いが一緒だった。

社会現象にもなった
「メンズ・ビギ」で学んだこと

干場:村岡さんがメンズ・ビギに入られた頃は、どんな雰囲気だったんですか?

村岡:ブランド「TETE HOMME(テット・オム)」を加藤和孝さんが始めるので、メンズ・ビギから抜けるタイミングで入って、当時は3~4人しかいませんでした。自分は学校を出てすぐ働いたのですが、服の作り方に驚きました。

菊池:そうだったの? 僕はね、メンズの教育は受けていないんですよ。“洋服”という観念でしか見ていない。

村岡先生は、人型のトルソーに服地を着せて“立体”で作っていくんです。自分は学校で、肩幅や身幅など数字で教わっていたのですが、先生はまず“目”

菊池:そう、目で見て、形を型紙に起こしていく。

村岡:“目”で全部描いていくんです。ビックリしました。先生からは、時代に合った服作りを教えていただきましたね。メンズの伝統的なトラッド感を踏まえながら、それを壊しながら服で時代を作っていく。

菊池:伝統的なものは好きですよ。でも自分が服を作るときは、その時に一番感じていることを形にする。それは今もずっと変わらないね。

村岡:メンズ・ビギでは年2回ヨーロッパにも行かせてもらって、パリでコレクションを開いたときには現地のアトリエで仕事させてもらって、吸収しっぱなしの9年間で、先生には本当に感謝しています。

菊池:村岡君はメンズのテーラードの基本を学んでいたけど、音楽をやっていたからとても柔軟性があったと思いますよ。パターンも上手で、村岡君の仕立ては気に入っていました。

村岡:それは、初めて聞きました! 当時「先生はどう思っているのかな?」って思っていたんですよ。ありがとうございます。本当に育てていただきました。

菊池:育てていた実感はないけどね(笑)。

あの頃みんな若かった
70年後半から、DCブランドブーム前夜

干場:メンズ・ビギのパリコレは78年ですが、当時のパリはどんな雰囲気でしたか?

菊池:アルマーニがデビューしたのは75年で、僕はウォルター・アルビニ(イタリアにプレタポルテの基盤を築いたパイオニア)が好きだった。当時パリにはメンズのデザイナーはいなかったねマルセル・ラサンスが良い店を作っていたり、バッグのウプラや、シャツのイスランドなんかが流行っていたかな。

干場:当時のメンズ・スタイルは覚えていらっしゃいますか?

菊池:70年代後半はジャケットの肩は大きくて、シルエットもぶかぶかで。70年代はパンクなど音楽の影響が服に極端にあらわれた時代だったけど、80年代になって、それを一回否定して、新しいベースを作ろうとして、いろんなデザイン・カラー、アイデアが生まれてきた。それと、日本ではDCブームが合致した。ジャケット・スーツの紳士服から、カジュアルな着こなしが生まれたんだね。

干場:ファッションの変革期だったんですね。

菊池:日本では、音楽とファッションのリンクもその頃からだよね。赤坂や青山、六本木にあった防衛庁まわりでよく遊んでました。全部はしごして、朝まで遊んでた(笑)。仕事では、新たなメンズのマーケットを開拓するところからスタートして、服を作りながら進んでいった。

⇒「又吉君はかっこいい」(タケ先生が惚れる男について)







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