TRAVEL ― 俺たちの旅

俺たちの旅

「船旅で人生観は変わるのか?」12泊14日、私のポナンクルーズ初体験

2018.10.16 2018.10.16
2018.10.16

人生初体験、クルーズとはどんな世界なのか?

「この世には二種類の人間しかいない。船旅を知る人間と、そうでない人間だ」。

初クルーズを終えて帰港地の土を踏んだ瞬間、船旅ビギナーにもかかわらず、うっかりそう断言したくなるほどの昂ぶり。人生観を変えるには十分な時間と経験が、船の上には満々と満ちていた。

6月17日〜29日までの12泊13日、私はフランスのクルーズ会社「PONANT(ポナン)」が提供するマニラ発ダーウィン着のクルーズ紀行の乗客となった。はじめに断っておくと、わたしは「ごく普通の日本人」である。船旅やクルーズと聞いて真っ先に思い浮かぶのが、「セレブの旅」であり、その次が「自分には別世界のできこと」。今回のプレスツアーがなければ、クルーズの何たるかを微塵も知らずに人生を終えただろう。

いきなり結末めくが、もし経済的な事情が許すなら、一人でも多くの日本人がクルーズの素晴らしさを知るべきだと確信している。世界の為替としていまだ屈指の有力通貨である「円」を持ち、世界中で”黄金”とも評される「日本のパスポート」を持つ日本国民が、海外旅行に関して空路や陸路しか思考回路を持たないのは、国家的機会損失ではないか。お節介や老婆心は百も承知でそう痛感するほどに、このクルーズは素晴らしかったのだ。

©Studio PONANT-Morgane Monnere

下記が私が辿った航路だが、地図を思い描ける日本人はほぼいないだろう。

6月17日 マニラ〜コロン
6月18日 コロン〜シブヤンアイランド
6月19日 シブヤンアイランド〜クレスタデガッロアイランド
6月20日 クレスタデガッロアイランド〜ヒモキラン
6月21日 ヒモキラン〜マハバ
6月22日 マハバ〜プラウニトゥ
6月23日 プラウニトゥ〜プラウリハガ
6月24日 プラウリハガ〜タンココ
6月25日 タンゴコ〜セバイカーベイ
6月26日 セベイカーベイ〜トリトンベイ
6月27日 トリトンベイ〜バンダニイラ
6月28日 バンダニイラ〜ダーウィン

フィリピンやマレーシア、インドネシアの島々を縫うように南下し、赤道を縦断してダーウィンを目指すこの海路は、全行程4975.4㎞。空路や陸路にはない冒険の香りが濃厚に立ちこめる。そもそもインターネットで検索しても、十分な情報がない島もある(そこがポナンのクルーズの真骨頂であることに、私は船上で気づいたのだが)。

約2週間という30代後半の働き盛りにとっては短くない時間に、多くのひらめきと癒しと、もっといえば人生観の転換までをも私は期待し、それらはすべて完璧に叶えられた。

この記事が、クルーズを考えている方の背中を押す記事になることを祈りつながら、これから私の人生初クルーズをレポートしたい。記憶を反芻するたびに、私はあの心地よい揺れを今も感じているような浮遊感覚に襲われるのだ。

 

DAY1 成田〜マニラへ。そして出航

空港で「自撮り棒」を買うのは、少し照れる。2018年6月18日、私は大きなスーツケースとキャンバス地のトートバッグひとつを携え、埼玉県の某市にある自宅から、成田空港に到着した。クルーズのスタート地点となるマニラまでは約7時間のフライトだ。横浜や神戸など日本の大きな港から出発するクルーズもあるが、海外のクルーズ会社が提供しているものは、スタート地点までは空路で向かうのが一般的である。

搭乗ゲートの近くの書店で海音寺潮五郎の「西郷隆盛」を全巻と、江戸川乱歩奇譚、司馬遼太郎の「風神(上下巻)」を買い込んだ。これからの二週間に、どれだけページをめくる時間があるのかはまったくわからない。だが、わからないということがすでに楽しい。船旅は、こんな瞬間からもう始まっているのだ。

マニラ空港から、今回乗船する「ロストラル」が停泊しているマニラ港まではエアポートタクシーで約30分。クレジットカードは使えず、現金のみだという。持っていたドルをフィリピンペソに両替し渋滞の多いマニラ市街を走る。やがてタクシーはマニラ港に着き、案内に沿って乗船場に入る。

エンバケーションでX線検査を潜ったところで、ポナンの男性クルーに「Mr.Kurihara」と名前を呼びかけられた。アジア人は私一人だから、乗客名簿からその名前を記憶しているのだろう。ホスピタリティーの一部を垣間見た気がして、自然に笑顔になってしまう。

ここでスタッフに求められるまま、パスポートとスーツケースを手渡した。手順がわからず、早々にパスポートとスーツケースを手放すことに不安を覚えたが、スタッフの言葉通り、スーツケースは数十分後、私のキャビンへ届けられ、パスポートは帰港地のダーウィンで無事に返却された。私のようなクルーズビギナーのために、些細な感情の出来も記しておこう。

乗船場を出ると、ロストラルの威容が私の目に飛び込んできた。白い巨城といった佇まいで煙突から白い蒸気をもうもうと立ち上らせている。まさに映画のワンシーンのようだ。元来が小市民に生まれついている私は、自分が場違いではないかとソワソワし始める。

パスポートと引き換えにもらったIDカード(キャビンの施錠を行う電子キーでもあり、船内でのショッピングにも使える)を示し、エントランスではじけるような笑顔のクルーたちに歓迎される。

「ぜひブリッジに遊びに来てください」と誘ってくれたのは、キャプテン・デービッド。自宅を出て12時間弱、いよいよ入船すると、サンダル履きの足が絨毯のやわらかさに戸惑った。

©︎Francois_Lefebvre

今回私が乗船したロストラルは、2011年に就航した比較的新しい船だという。キャビンは全部で132室。船内はフランスの香り(行ったことはないのだが)を感じさせ、インテリアや調度品などはラグジュアリーなムードで統一されている。私の部屋はデッキ5だ。ごく簡単に言えば船倉に近い階を1デッキとして、1から順に階数と等級が上がっていく。6デッキが最上階だ。

デッキ5の長い廊下の両脇にキャビンが並んでおり、途中にデッキを上下に連絡するエレベーターがある。私の部屋は最も船首に近いデッキ5の突き当たりで、ブリッジ(航海士たちが操舵するオペレーションルーム)のすぐ隣だった。

船室はまるで高級ホテル。ラグジュアリーなムードが流れている

カードキーで部屋に入ると、そこは高級ホテルの一室だった。清潔なダブルベッドとシャワールーム。クローゼットも一人では持て余すほどの広さだ。壁掛けのテレビがあり、ルームバーにはソフトドリンクやアルコールが整然と並んでいる。ホテルと違うのはバルコニーがあることと、その奥に海が望めることと、やや”揺れる”ことだけだ。

荷ほどきをしていると、室内のスピーカーからフランス語でアナウンスが響き始めた。その後英語で同じ内容が繰り返される。とても丁寧で、そして心からの歓迎を表す船長からのスピーチに続き、船の中でのルールを説明するレクリエーションの案内が流れた。

修学旅行のようなドキドキ感がある。部屋の中にあるライフジャケットを持って、デッキ4にあるホールでレクチャーを受ける。よくあるプラネタリウムほどの空間で、ライフジャケットの扱い方や非常時の避難方法についてマリアという女性が快活に説明する。

フランス船籍であるこの船の主言語はフランスだ。まずマリアはフランス語で話し、その後に同じ内容を英語で繰り返す。日本語を使うスタッフはいない。わかっていたことだが、今後2週間、私は日本語を一切使わずにコミュニケーションをすることになる。一抹の心細さも感じるが、「旅は語学上達の近道」と気持ちを切り替え、脳内言語を英語に切り替えていく。まさに非日常の時間だ。

やがて港全体が震える大きな彷徨をあげ、ロストラルは全5000㎞に及ぶ海路へ進み始めた。

夕焼けに溶けていくマニラの港に、小さく手を振ってみる。

DAY2〜コロン島

世界中の光を集めたような朝食の風景。糊のきいた白いテーブルクロスはまぶしいくらいの光量で、フレンチコーヒーの湯気を指で触れそうなほど立体的に映じている。

朝6時半からデッキ3にあるバーではコーヒーや軽食を提供し、朝7時半からはデッキ2の食堂でビュッフェスタイルの朝食が饗されている。右舷と左舷は大きなガラスになっており、海面に溢れる豊潤な光が、テーブルにまで満ちてくるのだ。

私はキングサーモンにたっぷりのオリーブオイルとケーパーをかけ、レタスと一緒に摂った。もちろん、とてもおいしい。時折冷えた炭酸水を口に含みながら、私はこれから始まる素晴らしい日の予感を感じていた。

夜通し航海を続けていたロストラルはフィリピンのコロンという島の近くの洋上で錨を降ろしている。

ポナンのクルーズの売りは、一言で言うと「ラグジュアリーな自然探検」だという。毎日ナチュラリストと呼ばれるエキスパートたちが周到に練った「エクスペディション」というアクティヴィティが用意されているのだ。

ここで「ポナン(PONANT)」という会社について簡単に触れておこう。

ポナンは1988年にフランスの3人の船乗りが「探検」をテーマにして設立した、フランス唯一のクルーズ会社である。小さなヨット数隻でサービスを開始した創業当初から、今年30周年を迎える現在まで、一貫して「ラグジュアリーな自然探検」をコンセプトにしたツアーを提供してきた。現在はGUCCIやプランタン百貨店を傘下に抱える「アルテミスグループ」に所属している。しかし、会社案内のような文章をいくら重ねても、ポナンの壮大なコンセプトの実像は描けない。

話を戻そう。この日のエクスペディションは、コロン島に上陸し、シュノーケリングやビーチサイドでのバーベキューランチを楽しむというもの。シュノーケルセットとライフジャケットを携え、DECK3の船尾側から8人ほどのグループに分かれて小舟に乗り込む。


「あなたクルーズは初めて?」
と、ハワイから来た初老の女性に話しかけられる。彼女は通算15回も船旅を経験しているといい、ポナンの南極クルーズにも行ったことがあるそうだ。


「一番きれいだったのは、なんといっても南極よ。氷の塊の上を歩くペンギンたちの群れは、息もできないほど。寒くなんかないわよ。船内は夏のように暖房が効いているし、外でもアウターを重ねていれば全然大丈夫。自然保護のために、南極に上陸できるのは、一回につき100人までと決められているの。あと凄かったのは、ノルウェーのフィヨルド。あそこは間違いないわ」

こんもりとした、愛嬌を感じさせる山々が浮かぶコロン島は、まさに別世界を見るようだ。

両サイドを巨岩で挟まれた、人一人がやっと通れるような幅の階段を上っていくと、そこには海水の混じった湖が現れる。波のない穏やかな湖にゆっくりと身を浸すと、とろっとした感触が全身にまとわりついてくる。

水中ゴーグルをつけて潜り、エビや魚の群れをゆるゆると追ったりする。日本のオフィスのことはもう、あまり脳裏によぎらない。そのあとは、山道を歩いて湾を見渡す高台から写真を撮ったり、シュノーケリングをして遊んだりしている間に、強い空腹を感じはじめる。

山から下りて、白い砂が眩しいビーチサイドでランチタイム。日差しは容赦なく照りつけ、日焼け止めなしでは5分間も過ごせないくらいだ。

今日のランチは地元で撮れた食材の炭火バーベキューだ。チキンやツナ、キュウリやトマトのサラダ、パイナップルや青リンゴ、バナナなどが清潔なクロスがかけられたテーブルに並ぶ。


こめかみが痛くなるほどに冷えたビールに喉を鳴らし、香ばしく調理されたバーベキューに舌鼓を打つ。焼いた大きなエビの皮を剥ぎ、チリソースをかけて口に放り込むと力強い潮の香りが鼻に抜ける。滋味を感じるエビ焼きに、私は手を汚して夢中になった。

チルタイムを経てゾディアックでロストラルへ還る。まだ時刻は午後3時前だ。部屋に帰ってシャワーを浴び、デッキ3でドライマティーニを作ってもらう。キリッとしていて実にうまい。ほてった体が心地よく酔い始めるのを感じながら、外のソファに寝転がって本でも読もうか。ロストラルは錨を上げて次の目的地まで進み始めた。

DAY3〜シブヤン島

体がゆっくり、ゆっくりと船旅時間に慣れつつある。陸地とはまったく違う、悠大といってもいいような圧倒的な時間の量。何物にも行動を強制されず、眠りたいときに眠り、シャワーを浴びたいときにシャワーを浴び、歯を磨きたいときに歯を磨き、本を読みたいときに本を読み、飽きたらボーッと大海原の向こうを見つめる。

朝食やランチ、ディナー、そしてエクスペディションが生活のリズムを作るが、パスするのも自分の気分しだいだ。


このロストラルは巨大な娯楽施設のようで、映画館やコンサートホール、図書館、バーなどを兼ね備えているから、すべては気の向くまま遊べばいいのだ。まさに海に浮かぶホテルだ。

この話を持ち出すのも野暮な気もするが、避けては通れないインターネット環境については、携帯電波はもちろん不通だ。船内では、100分30ユーロの有料Wi-Fiがあり、私はほぼ毎日使用した。仕事の事情が許せば、洋上では電波からもオフにできれば、よりクルーズを満喫できたのだが、それは欲張りと言うものだろう。
その代わりに100分30ユーロの衛星回線による有料のインターネットサービスが用意されており、私は日本との連絡の必要から日に一回はこれを利用していた。こちらはとても高速であり、不便を感じたことはなかった。記事の入稿も船内のどこからでも行える。便利さとともに”陸地”を船内に持ち込んでいるに等しいので、公共のスペースでノートPCを連打するようなことは避けたほうが無難と感じた。実際に、ほかのパッセンジャーはスマホすらいじっていない。思い思いにお茶を飲んだり読書をしたり、社交をしたり、電波を介さない生身の交流を楽しんでいる。

ここでほかの乗客にも触れておきたい。私が乗り込んだ今回のクルーズには、50代から70代後半のパッセンジャーが多かった。そのほとんどがフランス人とオーストラリア、ニュージーランドの人々であり、アメリカ人は二組だけだった。フランスとオーストラリア、NZの3カ国で、乗客の7割を数えるだろう。母と娘など二世帯で来ている高齢者も多い。最も多かったのは、仕事や子育てを終えた夫婦で、どのカップルもいままでともに歩んできた日々を、大海原の彼方に投影しているようだった。

船内では社交が日常に溶け込んでおり、すれ違いざまの挨拶から、ディナーでの同席まで濃淡はあれどさみしさを感じる時間はない。はじめのうちはうっとうしく感じることもあるが、航路が進むにつれて船内に潮のように一体感が満ちてくる。「どこか来たの?」から不意に始まるカジュアルな会話は、クルーズの醍醐味の一つだ。当たり前の話だが、世界から見た日本を捉え直す得がたい機会になる。あるフランス人男性との会話。


「日本は本当にアメージングだ。食品加工会社に勤めていた頃、出張で東京の芝浦、築地、鹿児島とかたくさんの場所に行ったよ。PASMOは超トレビアン! 日本の地下鉄は清潔で、とても正確に電車が来るからビックリした。本当に日本ラブだよ。パリもいいけど、東京最高!」


オーストラリアからグループで来ていた中年男性の話。
「日本は美術館巡りが面白かったよ。直島やPOLA美術館、箱根美術館、新国立美術館など数え切れないほど行ったよ。オーストラリアには来たことある? カンガルーの肉は心臓病にいいんだよ。この船にはNZも多いけど、僕らは彼らのことをキーウィと呼ぶんだ」


イタリアから二組のカップル同士で来ていた、モハメドという医師の話。
「フランス料理もうまいし、なんと言っても毎日のエクスペディションが素晴らしい。こんなにワイルドなクルーズはきっとないと思う。自分が大航海時代の探検隊になった気分がするよ」

モハメドがそう絶賛するエクスペディションは、前述のように寄港する島々によって趣向が変わる。移動日以外はほぼ毎日ゾディアックというゴムボートでル・オウストラルから出発し、上陸した島やその周囲のビーチでシュノーケリングや日光浴を楽しんだり、写真を撮ったりして遊ぶのだ。

この日はフィリピンのシブヤン島にゾディアックで降り立った。時刻は午前10時。腰蓑をつけた原住民による歓待のダンスを受ける。鼓膜に響くドラムと、子供たちの笑顔。まるで凱旋将軍のようなもてなしだ。ダンサーがメインストリートに出てきてダンスを踊る。海から来た客人(まろうど)をもてなす文化が脈々と受け継がれているのを感じる。

 

 

魚臭の濃いマーケットでは、日本のスーパーマーケットにはないむき出しの命が、グラムいくらで手ずから売られていた。どこか懐かしい、目にしみるような匂い。

その後は、日本の田んぼでも見かけるような稲作の風景を見学しながらココナッツジュースを飲み、果肉を食べたりして遊ぶ。牛が寝ぼけたような顔で草を食んでいる。

 

 

日本における稲作の起源を南方に採る説もあるが、単なる旅愁ではなくて懐かしさで胸がいっぱいになるのはどういうことだろう。ふと、稲作の起源を調べてみたくなる。


一点、午後は肝を冷やす体験をした。山間にある清流の瀞(とろ)で川遊びをしていたとき、飛び込み台があった。高さはビルの3階ぐらい。ナチュラリストたちが嬌声をあげて飛び込んでいるのを見て、大和魂を妙に刺激された私は、気がつくと飛び込み台へ続く階段を駆け上っていた。下から歓声が聞こえるし、もう戻れない。その勢いのまま小走りに宙を蹴った。

体がふわっと浮く感触がして、一瞬ののちに身体中に衝撃が走った。水底近くまで潜り、水面から顔を出して息を吸い込んだ瞬間、私は完全に「旅モード」になった。この一件以降、私はクルーたちの間で「ジャンパー」のレッテルを貼られた。行く先々のビーチや湖で、「あそこから行けるよ」とアドバイスを受け、内心は戦々恐々としながら笑顔でダイブを繰り返す羽目になった。

夜はデッキ3でウェルカムパーティーがあり、ジャケットを着て出かけていく。船長のデービッドと写真を撮り、マティーニを傾ける。オーストラリアから来た弁護士と中国の制海権について議論を交わした後、旅の疲れもあってこの日も早々に深い眠りに就いた。

DAY4〜Quatro Islands 26℃ くもり時々晴れ

4日目はフィリピンのレイテ海域にあるクアトロアイランズに停泊した。大航海時代にスペインに発見されたこれらの島々は、4つの島からなる。その海の美しさは国内のみならず世界中から観光客を惹きつけているが、長年とくに過剰な漁獲量とプラスチックによる環境汚染にさらされていたが、フィリピン政府による環境保護政策が功を奏し、その原始的美しさを取り戻しつつあるという。この日はヒモキランという島で現地の土産物を買ったり、島の学校で土着のパフォーマンスを見た後、午後はマハバ島でシュノーケリングの予定だったが、午前中は仕事のためにパス。

午後、クアトロアイランズのひとつ、マハバ島でのシュノーケリングが素晴らしかった。世界屈指の透明度を誇るこの海域に身を沈めると、そこには魚と珊瑚たちの天国が広がっている。ビーチの近くは砂だが、離れるについてさまざまな種類の珊瑚が姿を現し、ときどきフィンに触れたりする。ゆったりした波を全身に感じながら、それに抗って沖に進むと、グランブルーにつながる緩やかな斜面がある。私はいまもその光景を忘れない。異世界につながっていくようなその下り坂にはいろとりどりの珊瑚があり、その中をくぐるようにして熱帯の魚たちが、浮かぶ私のはるか下で泳ぎ回っている。海面からは、15メートルは深さがあるだろう。あまりの美しさに恐さすら感じながら両手両足を開けば、海底にむかってスカイダイビングをしているような気持ちになる。旅を通じて一番印象深かった光景は、このマハバ島の海底へ続く棚だった。海底へ吸い込まれていきたいタナトスにも似た誘惑と闘う必要があった。

船に戻って冷えたワインでランチを摂った後はナチュラリストによるレイキャップが面白かった。ポナンの特徴は、大学で生物学や海洋学を学んだ博士号を持つ「ナチュラリスト」と呼ばれる専門家が乗船していることだ。総勢15名ほどからなる彼らナチュラリスト集団こそ、この南洋クルーズの実は陰の主役なのだ。

他のクルーズ会社を経験したことがなくても断言できるのは、手つかずの大自然を舞台に、専門分野を駆使しておもてなしをするスキルとコミュニケーションの高さだ。ナチュラリストリーダーのサンドリンはヨーロッパ生まれだが、小さい頃父の書棚にあったシュノーケリングの本を開いたのをきっかけに「この世界」に目覚めたのだという。
「大学で生物学を学んで、世界中の海を潜ったわ。もちろん沖縄も。近々東京にも私たちのオフィスができる予定だから、まだ開発されていない日本の大自然を巡るクルーズも創ってみたいわ。SNSで見た人間みたいに温泉に入っているお猿さんにも会ってみたいし(笑)。ワイルドライフの素晴らしさをお客さんとシェアするのが、私にとって一番幸せなことなの。自然を知ることは自然を愛することにつながり、自然を愛することは自然を守ることにつながると思うから、毎日勉強を続けているわ」


そんな彼女がナチュラリストとしてこのクルーズのスタッフになったのは、2年前だという。
「ポナンはほかのどこにもないクルーズ会社だと思う。ある若い男性がプロポーズをしたとき、スタッフ全員が仕掛け人となってサプライズをしてうまく行ったり! キャプテン自らゾディアックを繰り出して二人のためのスペシャルツアーをして、海上で男性がプロポーズの言葉を言って『YES』を引き出したりね。あれはとても感動的だった。船内にいる全員が二人を祝福したし、みんなが幸せな気分になれたわ。この船の中ではアットホームな雰囲気と人間的なつながりを大切にしているの。クリスマスにはキャプテンがサンタの仮装をしたりね」

心から自然とポナンのナチュラリストという仕事を楽しんでいる彼らは、ゾディアックで私たちを自然の奥へ案内してくれるだけが仕事ではない。このリキャップという、大学の授業のような知的好奇心を刺激される講義をほぼ毎日交代制で行っているのだ。


この日はスイス生まれで、その見た目とは裏腹に昆虫学にも詳しいというケイティアが、珊瑚の生態について40分ほどのオリエンテーションを披露してくれた。デッキ3のホールは、ほぼ満杯だ。
丁寧に作られた資料がスクリーンに映し出され、英語がそれほど堪能ではない私でも存分に楽しめる。ほうほう、珊瑚は植物ではなく動物なのか。彼らのあのユニークな形たちは、他の珊瑚と日光を奪い合うための生存競争の結果なのか、などなど。知識が深まると、珊瑚ただ美しいだけではなく、健気で弱くて、獰猛で、なんとも私たち人間と似ている生き物であることがわかる。私はナチュラリストによるレイキャップは、ほぼ全部参加した。皆勤賞は私だけでなく、いつもレイキャップが終わるとフランス語や英語で質問が飛び交った。船を流れる雰囲気に知的さも流れていたのは、このレイキャップに依るところ大きいと思う。


夜はバーでゆっくりとカクテルを飲み、バーテンダーのアレックスと会話を楽しむ。アレックスはとてもよく目端が効いて、グラスが干しそうになると「サー」と絶妙なタイミングで声をかけてくれるのだ。コスモポリタンという甘めのカクテルなど普段日本では敬遠する類いの酒の良さを教えてくれたのも彼だった。心地よく酔ってきたところで、レイキャップでも使われたデッキ3の小ホールに戻り、ピアノコンサートを聞く。ウクライナ出身の男性ピアニストは、モーツアルトやベートーヴェン、ラフマニノフ、ショパンなど、耳なじみのある曲を披露してくれる。南洋に浮かぶ船の上で聞くその旋律は、雨粒のように全身ではじける。最高の陶酔。この頃になると私の体に残っていた陸の時間が、完全に体外へ出てしまった。ダーウィンまでは、楽しみしか存在しない時間になる。

DAY5&6 At sea

旅程にはなかったことが起こるのも面白い。当初の予定ではマハバやプラウニトゥを巡るスケジュールが組まれていたが、インドネシア政府の自然保護に関する要請があり、ロストラルは当初の航路をたどることができなくなってしまったとキャプテンが丁寧なフランス語と英語でアナウンスしている。「しかし、それに勝るとも劣らない旅程を今後のクルーズに取り入れる」とまで保障してくれるのだから、まさに大船に乗ったつもりで、これからの二日間は大海原に浮かぶロストラルの隅々までを堪能しよう。

いい機会なので、一日船内を探検するつもりで、朝食前に同じデッキの船尾側にあるジムに行くことにした。十分なスペースのある鏡張りの室内には、トレッドミルやエアロバイクが並び、先客がそれぞれのスピードで体を動かしている。バランスボールやヨガマットを持ち出して、日光を浴びながら運動するスペースもある。美食とお酒で重くなりつつある体を絞るにはうってつけのスペースだ。なんと言っても目の前は果てを感じさせない大海原だ。

40分ほど走った後は、サイキックという日本ではあまりみかけないトレーニング機器で筋トレをした。見よう見まねでやってみたのだが、結構ハードだ。強度は自分で選べるのだが、フリーウェイトより自然に効く。この日以来、私は心地よい程度の筋肉痛を得た。まさかクルーズで筋肉痛になるとは予想だにしなかったが。

部屋に戻ってシャワーを浴びて、前日ランドリーに頼んでおいた開襟シャツに袖を通す。とてもよくプレスされていて気持ちがいい。日本のクリーニング店とは比べようもないほどだ。ごく自然に襟が開くようにプレスされていて、糊のゴワゴワ感もなく、麻の風合いを活かしたほどよいプレス。癖になってしまい、以後何度も利用した。ちなみにシャワールームのシャンプーやボディソープはエルメスのものだった。

朝食を済ませてデッキ3のカフェでイングリッシュティーを作り、船外のソファーに横になり、文庫本を開く。Kindleや新聞を読んでいる人たちがいる。背中に汗を感じながら、心ゆくまで読書の海に溺れた。いつのまにかまどろんでいた私は、喉の渇きと空腹を満たすためにデッキ6のレストランに移動する。

よく冷房の効いた室内は11:30〜14:00まで毎日多くの船客で賑わっている。私は外で食べるのが好きなので、レストランの外にあるオープンデッキでよく昼食を摂った。毎日の楽しみは、よく冷えたシャルドネだ。

清潔なテーブルにつくと、「何にしましょう、サー」とバリニーズのギャルソンが聞いてくれる。光に照らされたシャルドネの清涼な甘さは、なんと表現すればいいのだろう。目の前には青空にはためくフランス国旗。ここは海の上のフランスなのだ。オーストラリアから来ていた老夫婦と相席になり、彼らが住んでいるという田舎の漁港町の話を聞く。カキやエビがうまいという。なんと近くにはとんこつラーメン屋があり、餃子とラーメンがこの愛すべき老夫婦の土曜日の夜の定番メニューだというのだ。まさかこの場でとんこつラーメンを褒められるとは思いもせず、そんな驚きがなんともうれしい。


ランチはビュッフェ方式で、自分の好きなものを皿にセレクトする。フランス料理が主だが、ステーキや魚などはシェフがその場で切り分けてサーブしてくれるのが楽しい。大柄で褐色の肌をしたタンジェというフランス人のシェフは、私を見るとこう話しかけてきた。
「日本の”包丁”は、世界一のナイフです。この木製の柄の部分が、なんとも手にしっくりとなじんでくれるんです。この感覚は他のナイフでは得られません」
彼がローストビーフを切り分けているのは、刃渡り20㎝ほどの日本の包丁だった。よく見ると「多和」と彫られている。
「大阪でこの包丁と出会ってから、ずっとこれ1本ですよ。野菜は押して、肉はこう引いて切るんですよね。刀もすごいけど、日本は包丁も凄い」

そう言ってうれしそうに切り分けてくれたローストビーフこそ、絶品だったのだが。余談だが、船上では無性に生野菜のサラダがほしくなる。別に足りていないというわけではないのだろうが、大航海時代に壊血病で亡くなった船乗りの話を小学校時代に読んだのが結構トラウマになっている自分がおかしい。

食後はまたデッキに戻ってカモミールを飲みながら司馬遼太郎や海音寺潮五郎の世界に耽溺する。

現代の日本に住む日本人の私はいま、フランス船籍の船で第二次世界大戦で激戦地になった南洋の島々を横目に南進している。先人たちの屍山血河のうえにたっている自分の幸福と責務について、波濤の先に考えざるを得ない。

現代が幸福なのか、豊かなのかについて議論はあるが、自分の人生を自由に切り拓く権利があるという一点だけをとっても現代人は果てしない幸福に浴しているのではないか。普段とは違ったチャンネルで思考実験を重ねるのに、船旅ほど適した舞台はない。その点この船は、私にとって大きな書斎だったともいえる。何を考えないこともできるし、何かを考えぬくことにも向いている。船旅は結局、そんなかけがえのない空間と時間を作り出す大きな装置であり、そこにこそ真の意味での「ラグジュアリー」のエッセンスが存在する。

洋上に浮かび続けた二日間で、私はブリッジに遊びに行った。約束の午前9時から数分して、キャプテンのデービッドが操舵室に姿を見せた。白い制服と笑顔が眩しい。短く清潔に刈り込まれた頭髪。風貌はダニエル・クレイグに似ている。デービッドは操舵室のコントロールパネルなどを丁寧に説明してくれた。


「これはロールスロイス製のスタビライザーで、このパネルは電力の稼働状況を示しています。私たちの船は環境に配慮して、ディーゼル燃料と4つの発電機でスクリューを駆動させていハイブリッド船です。今日は北東寄りの風がやや強いですが、視界もよいし順調に航行できるでしょう」

ズッシリと重い双眼鏡を手渡され、中をのぞくと遙か彼方の波頭が視界いっぱいに飛び込んできた。さすがプロユースであると感心してしまう。
デービッドはポナンでオフィサーとして勤務した後キャプテンの資格を取り、二年ほど前からル・オウストラルなどの船長をしているという。住所はフランスだが、熱帯を中心に世界の海を回る日々だ。そんなデービッドにどのデスティネーションがおすすめか聞くと、「南極です」と即答が返ってきた。
「南極のペンギンや巨大な塊は、何度訪れても素晴らしいものです。手つかずの大自然を前に、畏怖すら感じます。2021年には『ル・コマンダン・シャルコー』というアイスブレイカー(砕氷船)を導入するので、より冒険的な旅を提供できるでしょう。日本からでも約2週間あれば大丈夫です。思っているよりずっとアクセスはいいんですよ」


あなたの話を聞いていると、地球がとても小さく感じます。
「そう、今の時代は世界のどこでもネクストドアなんです。南極だって、けっして遠い世界ではない。そして私たちポナンは、アドベンチャーとラグジュアリーを融合させた世界唯一のクルーズを提供できます。ぜひ日本のみなさんには南極をはじめ、ネクストドアで待っている未知の世界に訪れてほしいと思います」
世界中のどこでもネクストドア。冗談ではなく、私たちはドラえもんの世界にすでに住んでいるのだ。忙しさと日常の倦みで、私たちはそのドアの鍵を閉ざしているのではないか。そのドアを開けるのは、すこしの勇気で、その精神的飛躍はそれ以上の価値を必ず提供してくれる。それが船旅というものが持つ魔法なのではないか。私はデービッドの話を聞きながら何の障害物もない大海原に、人間の可能性を重ねていた。

興奮を味わった後は、デッキ6にあるプールサイドのベッドに横たわり、潮風を感じながら昼寝したり。そしてこの豊かな時間は、自分のこれまでの人生を振り返る貴重な時間を与えてくれた。私は世界にたった一人のこの存在を、一番古い記憶からたどって喜怒哀楽すべてとともにノートに走らせはじめた。父、母、一番はじめの生家、幼稚園から大学、そして現在の生活までつらつらと書いていくと、自分という存在のあまりにいびつな全体像が炎たつように浮かび上がってきた。勢いづいて熱中し、A4のノートに20ページ超にわたって書いてしまった。このように自分の過去を見つめ直すと、モヤモヤしていたものがくっきりとしてくる。そして突然はじまったこの生の終わりに想いをはせる。自分の人生という一大航海の針路を決めるのは私しかいない。日本での日常生活では、自分が一漕ぎ一漕ぎのガレー船の乗組員のように錯覚することもあるが、人生を俯瞰すれば私は私の人生のキャプテンなのだ。どこに行くのも私の舵取りであり、他のだれもその舵取りを変わってはくれない。こんな思惟の時間に没頭できる時間こそ、ポナンが提供する最大級のサービスなのではないか。私はいまこの瞬間に、クルーズの神髄に触れているのではないか。

DAY7 タンココ自然保護区

海上での二日間、私は本と思惟の海に耽溺した。南進するロストラルと沿うように跳ねるイルカの群れに嬌声を上げ、赤道通過を祝うカクテルパーティーではダンスを踊った(写真をあげる勇気はない)。

そして2日ぶりに上陸したのは、インドネシアのスラウェシ島にあるタンココ島である。前夜、エクスペディションリーダーのサンドリンに「あなたにスペシャルツアーを用意しているから、午前7時にデッキ3に来て」と告げられ、その時間に顔を出すと、全ナチュラリストがライフジャケットを着てゾディアックの前に集合していた。

「おはよう!これから一緒にシークレットツアーに行きましょう」
なかには眠たげな顔も混じっているが、ナチュラリストたちは一様に、昼間とは違う素の表情を見せている。そのどれもが活き活きと興奮している。このシークレットツアーは、乗客が朝食を楽しんでいる間に、その日訪れる予定の場所を下調べするためのロケハンなのだ。だからみな、目が爛々と輝き、どこに何の花が咲いているか、どんな動物が隠れているか、潮の流れはどうかと、一探検家に戻っている。

彼らの集団心理には、「自分がいち早く見せ場を発見する」という競争心も働いているようで、和気藹々としたムードにも緊張感が潜んでいる。子供の探検ごっこというと怒られそうだが、私の肌感覚はそれを思い出させた。自然、私も影響されてついゾディアックの船端から身を乗り出しそうになる。

 


この朝、彼らと見た景色のことは、生涯忘れないだろう。乳白色の朝霧を裂いて、紺碧の海を走るゾディアック。水深は二メートルほどだろうか。透明度が高いので、魚の群れが手に触れそうなほどに見える。お椀のような山々を縫うようにして進むと、ケイティアが白い岩壁に咲く花を見つけて歓声をあげた。


「ほら、あそこにアントプラントが! すごいわ、前来た時はなかったのに」
一同、「アメージング」の嵐だが、素人目には、ユリのような、ごく普通の花にしか見えないのだが、説明を聞いて納得が行った。この花は珍しい食虫植物で、ラッパのような花から出る匂いでアリなどの昆虫をおびき寄せ、それを「食べる」ことで命を繋いでいるのだという。波一つない平和な海にも、過酷な生存競争が働いているのだ。ゾディアックはさらに進む。次に大きな声を出したのは、オーストラリアのサーファーで、バリ島が大好きなナチュラリストだ。

「見ろ、あそこにホーンビルが飛んでいる。今日はすごくラッキーだぞ!」
「みんなちゃんと写真を撮れよ。あ、こいつオスだ! 本当に今日はついてるよ!」

ホーンビルは、現地の人々が「神様の使い」と呼ぶ鳥で、日本語名では「サイチョウ」。その名の通り、頭部に兜のような突起があり、これがサイの角に似ていることが日本語名の由来だという。ラッパのよう鳴き声から取り、英語名ではホーンビルというそうだ。なにしろ彼らの興奮は凄かったので、その珍しさは推して知るべし。私は突然「野鳥の会」のメンバーになった心持ちがする。その後もつがいのホーンビルに遭遇する幸運に恵まれ、ナチュラリストたちのテンションはウナギのぼりだ。
「そろそろ帰らないとね」と誰かが言うが、ゾディアックを駆るケイティアは「もう少しだけ先に行って見ようよ」と仕事を忘れているのか、果たして仕事に没頭していると言うべきなのか。しかし、彼女の選択は一同にさらなる興奮をもたらした。ゾディアックの下をステルス戦闘機のように追い抜いていくエイの群れに遭遇したのだ。これには私も叫び声をあげてしまった。音もなく、そしてなんの重力も感じさせないなめらかな早さでジグザグに海底を這うエイの群れ。神速ともいうべきその隊列は、エアホッケーのようだ。英語ではイーグルフィッシュというそうだ。
結局、このシークレットツアーは一時間以上も続き、ロストラルに戻ると最初のエクスペディションを待つ人たちがデッキ3の船尾で待っていた。ナチュラリストたちは何食わぬ顔でそれぞれのゾディアックに乗客を案内していたが、私にとってはすこし笑える光景だった。彼らはやはり、自然を愛する愛すべきヤンチャものなのだ。

©Studio PONANT-Morgane Monneret

この日は午後もどっぷりとイントゥザワイルドだった。タンココ自然保護地区に上陸し、5〜6人のチームに分かれて鬱蒼としたジャングルに分け入っていく。気温は30℃前後だろうが、熱帯雨林の湿度が全身にまとわりついてくる。虫除けスプレーとタオルとたっぷりの飲み物は必須の、タフなツアーだったが、70代後半とおぼしき、よく肥えた老婆も杖をつきつき、懸命に歩いていく。日本では同じようなツアーはあまり想像ができない。ワイルドな体験こそラグジュアリーと信じているポナンという会社のおもてなしを見せつけられたような気がして、文化の違いに感じ入る。それにしても、蒸し暑い。しかし、その行軍の先には、まさにジャングルと聞いて私たちが想像する生き物が生息していた。ヘビや昆虫を食べるブラックマカクや、地球で最も小さい哺乳類であるターシウスだ。童謡の「アイアイ」に出てくるよう、お目々の大きなお猿さん、ターシウスは、手のひらサイズで死ぬまで一匹のパートナーと添い遂げる習性を持つという。大ジャングルのなかで小さな木の畝に身を隠し、つつましく命を繋いでいるターシウスはなんとも健気だ。私がこの原稿を書いているいまも、彼らはあの畝のなかで身を寄せ合い、空腹を感じたり、満腹を感じたりを繰り返す毎日を送っているのだろう。どうということでもないが、それがとても不思議なことに感じるのはなぜだろう。

DAY11 バンダネイラで触れたナツメグの歴史

船はいよいよ最後の寄港地であるインドネシアのバンダネイラに入る。ロストラルのスピーカーから、「バンダネイラの火山が噴煙を上げている」という声が聞こえてきた。デッキに出れば、緑を被ったような山々の奥で、不機嫌そうに灰色の煙を吐いている大きな山が見える。


徐々にバンダネイラの港から歓迎をあらわす太鼓のリズムが強く聞こえてくる。これまで過ぎてきた島々では、人々はまさに「点在」していた。巨大な自然に圧されるように暮らしていたが、この島の人々には、私たちが知っている文明の香りがある。

人々が身を寄せ合い、「社会」を作っている。私の胸を高ぶらせているのは、もしかしたら社会への帰趨本能なのかもしれない。とにかく、文明の香りがうれしいのだ。その心境の発露は意外なことに「消費行動」として胸をついてきた。この十日間近く、私は買い物とは無縁の生活をしていた。船の中では食事はすべて料金に含まれている。エステやインターネットの利用料金は登録したクレジットカードで精算になるので、財布を使うこともなかった。まさか自分が買い物に飢えるとは思わなかった。

バンダニイラの港に着くと、島中の人々が船着き場に集まり、顔中を笑顔にして歓待してくれる。村長によるセレモニーがあり、デービッドと記念品を交換する「外交儀式」も行われた。民族衣装に身を包んだ島の娘が踊りを踊り、その横では珊瑚や真珠のアクセサリーが売られている。船内にクレジットカードを置き忘れてきてしまったのは痛恨で、私の買い物欲は癒やせなかったが、そんなことをすぐに忘れてしまうほど、瞬く間に私はこの島を愛してしまった。

いまでこそのどかな、ダイビングの観光業に支えられているこの島は、中世に人類史上に残るような陵辱を受けた。大航海時代、いまもこの島の特産品であるナツメグを追ってオランダ海軍が大挙し、島の王にナツメグ畑の明け渡しを迫った。それまでこの島の島民は、スペインや中国とフナツメグの取引をして生計を立てていたが、香辛料というダイヤに幻惑されたオランダは、強大な軍事力を背景に、島民を人間としてみることをやめた。

先住民に生まれた土地から出ていくことを強制し、これを拒んだ先住民の為政者を虐殺。ばかりか、島の原住民、その全員をバンダニイラから船で追放した。バンダネイラは、オランダによって余所の島から連れられてきた奴隷労働者に占拠され、当時バンダネイラで話されていた言葉は形跡すら残っていない。

島には二つの港と一つの要塞があるが、いまそこに吹く風に血なまぐささは微塵もない。植物はハワイに似て大きく華やかで、街路にハイビスカスが咲いていたり、ドリアンの巨木があったりする。1時間もあれば、市街地はゆうに歩き回れるほどの規模だ。人々はスクーターで移動し、肉屋や魚屋、日用品店が並ぶ露店街に集まって談笑したり、タバコを吸ったり、子供をあやしたりしている。近くで鶏の鳴き声が聞こえる。その光景と匂いは、南国版「三丁目の夕日」といえば当たらずとも遠からずかもしれない。

露店街を抜けて、山道にそって点在する民家の間を縫うように坂を上ると、山の中腹に開けたナツメグ畑が姿を現した。背の低いその木々が、歴史のある時代に人類に大量の血を流させた。皮を内側から突き破ってむき出た果肉は、情欲をあおるような血の色である。ガイドが語る。


「ナツメグは少し皮を傷つけただけでも、風味が損なわれていまいます。ナツメグを獲る専用の道具で、枝との接合部をねじ切って獲るのです。原住民は一年に一回しか収穫しませんでしたが、オランダから植民してきた農夫たちは、一年に二回収穫できることを発見し、さらに莫大な富を生み出しました」

©Studio PONANT-Morgane Monneret


畑の横で、私はナツメグのお茶を飲んだ。鼻孔をくすぐるのは、まさかここで出会うとは思わなかった「コーラの香り」である。あの世界で最も有名な黒い液体の製造方法は現代の七不思議の一つだが、ナツメグはコーラをコーラたらしめるためには欠かせない香辛料だ。人間とナツメグの関係は業のように深い。夕闇が迫り、どこまでも大きな空には一番星がきらめき始めている。ゾディアックを見送る島の人々に手を振りながら、平和とは何か、人間とは何かについて思わざるを得ない。この夜、ロストラル全体を包んだのは、とても静かな夜だった。

DAY12 At sea~Farewell party

波と光に溢れたこのクルーズも、ついにあと一日を残すのみとなった。この日は終日ライフジャケットを返したり、パッキングをしたり、スタッフと別れを惜しんだりして過ぎていった。

デッキ3のホールではフェアウェルパーティーがあり、このローストラルに乗り込んでいるクルー全員が壇上に立った。ハウスキーピングの女性や、コック、エンジニア、ダンサーやピアニスト、バーテンダー、ナチュラリスト、キャプテン、etc……。

 

総勢100人を超える人々の力で、このロストラルは約5000㎞超を航海してきたのだ。みなその職分に応じて、誠心誠意のサービスを提供してくれた。だからこそ、このロストラルは一体感を持って万里の波濤を超えてこられたのだ。私は客席でこの光景を見ながら、不覚にも涙を禁じ得なかった。そして、いよいよ明日、私の初クルーズが終わろうとしている。

DAY13〜Finare Darwin港、そして羽田へ

船は夜通し、大きな波に揺られた。ダーウィンから吹く南風が強く、遊園地のバイキング船のように大きく傾いで足下が危ういこともあった。夜が明けてダーウィン港が見えると、デッキに集まった人々は歓声ともため息ともつかない声をあげる。あの陸地は東京という「現実」に地続きしている。それは憎むべきでも愛すべきでもなく、懐かしさと諦めがないまぜになったような複雑な気持ちだ。この心境を表す的確な言葉を持たないが、心の中はシャンパンの泡のように弾けて忙しい。地に足をつける。私が元いた社会へ、同僚や家族の元へと、生まれ変わったようなエネルギーとともに帰る喜び。この旅で、おそらく私は何も変わっていないだろう。

しかし、やはりそれでもこのクルーズの前と後では、自分だけしか気づかないほどかすかな輪郭の分だけ、私は別人にはなったのだ。

生を受けて37年、触れたことのない感情に、私はどっぷり浸かった。マニラから出航するときの高揚感、夜半ふと目覚めて船倉が波を蹴る音、それを聞きながら眠りにつくときの自分という存在が透けていくような感覚、何一つ遮るモノのない大空から降り注ぐ南半球の太陽光線、そのほてりを冷ますシャンパン、満点の星空の下で社交をするたのしさ、大海原に地平線を見つけたときのよろこび、童心に返って自然の中を探検するワクワク感、波濤の先に思う日本という故郷のこと、自分の来し方行く末を見つめ、心の中をのぞき込み、奥まで手を入れてかき混ぜる感覚……。

©Studio PONANT-Morgane Monneret

母なる海に抱かれ、ロストラルと走り続けた航海は、そんな感情の上澄みともいうべき、笑顔の中で終わりを迎えようとしている。

そして旅の終わりは、きっと新たな旅の始まりにつながっていくのだろう。私はそう遠くない将来、今回つかみかけたクルーズの神髄をたしかめに、またこの船へと戻ってきたい。

最後まで長文に付き合ってくださった読者のみなさま、ありがとうございました。次にネクストドアを開けるのは、きっとあなたです。

©Studio PONANT-Morgane Monneret

それでは、オルヴォワール!

 
Text:Yoshihide Kurihara
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栗原 資英
栗原 資英
Yoshihide Kurihara

FORZA STYLEのエグゼクティブプロデューサー。山羊座のB型、自信家。「週刊現代」「FRIDAY」でスクープを飛ばし、天の配剤でFORZAに異動。尊敬する人は豊臣秀吉とベンジャミン・フランクリンと寺山修司。マーボ豆腐と嘉門達夫が好き。

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