FASHION ― 赤峰塾!間違いだらけの洋服選び

ドクトル赤峰と白井俊夫の交友50周年記念、「信濃屋」流を語り合う

2018.4.10 2018.4.10

ジェントルマン道を極めるドクトル赤峰とファッション界のレジェンドたちが、イマドキファッションの風潮やヤワな着こなし、ガッカリスタイルなどをスパッと一刀両断! 男として、あるいは女として、「清く、正しく、美しく」生きるために必要な服装術や、服を着ることの意味・意義をストレートに語り尽くします。

前回のドーメル・ジャポン株式会社 会長の加賀美由加里さんに続いて、今回はメンズファッション界のレジェンド中のレジェンド、信濃屋 顧問の白井俊夫さんにご登場いただきます。「百貨店やセレクトショップなどバイヤーと呼ばれる人は星の数ほどいますが、本当の意味での買い付けや仕入れで白井さんと並び立つ者はおりません」(赤峰)。今回は信濃屋150年余の歴史とお二人の交友の歴史をクロスさせながら、前後編にわたってお送りします。

横浜・信濃屋の歴史と、白井さんの入社

信濃屋は、1866年(慶応2年)横浜市中区弁天通りに唐物屋(洋品雑貨店)として開業。初代社長の吉澤長次郎の生国(信州松本)から「信濃屋」を号とした。日本に在住する外国人や、日本人で洋装する人のための服飾専門店であり、日本人の洋装化とともにその歴史を刻んでいく。

信濃屋創業の6年後(1872)に、横浜・新橋間に鉄道が開業し、横浜・馬車道にガス燈が灯る。当時珍しい洋品類は「日本ではまず信濃屋に入る」と言われ、横浜の貿易商や東京のモダンボーイたちが陸蒸気に乗って洋品を求めに来たという。

1937年(昭和12年)生まれの白井俊夫さんが信濃屋と関わるのは1955年。信濃屋で行われたセール商品の赤札付けなどの作業アルバイトとして、当時高校3年生の白井さんは信濃屋に初めて足を踏み入れた。セール初日の開店前、元町表通りに長蛇の列ができたことを今でも鮮明に覚えているという。そして、1961年4月に信濃屋に正社員として入社する。

白井さんが初めて渡欧したのは1972年3月。ウィメンズのオートクチュールを手がけていた望月富士子先生(信濃屋5代目社長)とともに、パリ、トリノ、フィレンツェ、ベネツィア、チューリッヒなどを3週間かけて巡った。そのときにトリノで開催されていた婦人物展示会で、紳士物のフランス製ダッフルコート、イタリア製グレイフランネルのスーツ、タキシードを少量仕入れる。

赤峰 1960年代のはじめ、渋谷にある桑沢デザイン研究所の学生だった頃、銀座にはよく通いました。当時ホームにしていた渋谷には救世軍の放出品を店先に積んでいる店はありましたが、ヨーロッパの伝統服や芸術品を、きちんとした店構えで扱う店は銀座や日本橋にしかなかった。しかし当時の舶来服は世界の一流品の類いで、値段もとてつもなく高額で、当時の若者にとっては高嶺の花だった。

白井 日本橋には丸善がありましたね。

赤峰 当時、舶来服といえば横浜の信濃屋と日本橋の丸善で、丸善の洋装(洋品)部は、明治時代にバーバリーを仕入れたり、ゴルフクラブからウイスキー、洋書まで広く扱っていました。

――今、信濃屋は存在して、丸善がないのはどうしてですか。

赤峰 それは、「信濃屋は家業、丸善は企業」だから。西洋の服飾文化という異文化を今の時代に、今のお客さまに、正しく継承できる店は信濃屋しかありません。

出会ってから半世紀、紳士服を見続けてきた二人

赤峰 白井さんは横浜・本牧生まれで、学校の先輩でもあります。私が28歳で独立し、『WAY-OUT』ブランドを立ち上げたときに白井さんと出会いました。憧れの信濃屋に売り込みに行き、白井さんが気に入って買ってくれたのがとてもうれしかった。それからいくつもの仕事でお世話になり、「SHINANOYA ORIGINAL」のような様々なアイテムを一緒に作り出しました。出会ってからもう50年になります。白井さんは若かりし頃も格好良かったですよ。

――当時、赤峰さんはどんな青年でしたか。

白井 赤峰さんも普通の人とは違う感じでしたよね。洋服の作り手としての経験があるし、知識が豊富だし、内面から出るものが違う。

赤峰 我々が一緒に作った服を、当時ビームスにいた重松理さんや栗野宏文さんたちがよく買って行かれたと聞いています。その商品をもとに「BEAMS F」を立ち上げられたとか。

白井 重松さんは信濃屋のウィンドウをよく見ていたね。

赤峰 出会った頃、白井さんが住んでいた「なまこや荘」という名前のアパートに遊びに行っては、舶来服の素材やデザインのことをたくさん教えていただきました。2人でさんざん洋服のことを語っているけど、場所は「なまこや荘」だったんですよね。

白井 よく覚えてますね。

メンズファッション界における「信濃屋」流とはなにか

――赤峰さんから見て、白井さんはどういう人物ですか。

赤峰 白井さんは文明開化の本質をご存知で、ブリティッシュ・ジェントルマンスタイルに“白井流のイタリア的要素”をブレンドしている服をお召しになっているし、そこから信濃屋のオリジナルを作っている。信濃屋は白井さんのフィルターを通したものしかない店で、「時代を超えた普遍的なもの=ルーツ・オブ・クラシック」がある。オーバーに言えば、信濃屋という“歴史的思想”を継承しているわけです。

――白井さんはメンズファッションのどういう点に惹かれていますか。

白井 婦人服はバリエーションがいっぱいありますが、紳士服はバリエーションが完結していて、きりがないほど奥が深い。そこが面白いですね。

赤峰 男の服というのは、茶道や華道の作法のように、「ジェントルマンの作法」の一つとして着るものなんです。スーツの歴史は250年といわれていて、今年は明治維新150年、日本で普通の人がスーツを着て100年ちょっと。そんな歴史しか持たないのに、クールビズのように島国の中のルールで紳士服の枠を崩していくのは笑止千万ですよ。

白井 本当にそうですね。クールビズは「ペケ」です。

赤峰 官主導でただネクタイを外しただけ。訳が分からない。

白井 「ペケ」って横浜から出た言葉らしいですよ。生糸の検査のときに不適格なものにペケを付けたようです。

――赤峰さんも白井さんも、フォルツァの読者が生まれる前からヨーロッパへ行かれていたんですよね。

白井 70年代にイタリアへ行くというと、「イタリアは婦人物じゃないの?」と言われた。フランスやイタリアは婦人物という先入観があったね。日本じゃVAN(ヴァン)が隆盛で、みんなアメリカに向いていたし。

赤峰 70年代のはじめ頃になると、横浜の用品店が若者が着たいテイストの舶来服を扱うようになりましたよね。自分も70年代にはヨーロッパで生地展を見たり、ピッティに出かけたりしていました。

白井 ピッティ・イマジネ・ウオモは、86年から年2回必ず訪れて、2008年まで続けました。

赤峰 白井さんが見に行っていた時代と今では、まるで違いますよ。今のピッティを白井さんが見たら、収穫がなにもなくて、きっとすぐ帰ろうと言う(笑)。僕みたいに「脇差しを抜け」とは言わないですよ、白井さんはジェントリーだから。

白井さんに影響を与えたルチアーノ・バルベラとの出会い

赤峰 2人の歴史を語る上で、僕と白井さんのスタイルの考え方の違いは、ルチアーノ・バルベラとの出会いなんですよ。白井さんはルチアーノの影響をすごく受けた。

白井 彼はイタリアの大手生地メーカーの御曹司ですが、70年代の初めころに英国へ留学して、ジャガーに乗ったり、乗馬やゴルフをたしなんだり、イギリスに憧れがあって、スタイルの基本はイギリスなんです。

赤峰 ルチアーノはカルロ・バルベラ社のオーナーの長男で、自分の名を冠したブランドを始めて、アメリカで評価されてアメリカナイズされていくわけです。

白井 それまでのイタリアの服らしくない、非常にトラディショナルな匂いのするアメリカ人好みのスーツを得意としていましたね。

赤峰 白井さんはそんな彼の作る服からたくさんのものを学んだ。

白井 彼自身はものすごくナチュラルで、これ見よがしなことや煌びやかなことはしないんです。

――ルチアーノ・バルベラはどういう点が優れていたのですか。

赤峰 当時は、「イギリスから始まってアメリカを通ってイタリアに来ないとダメだ」と言われていたんですよ。ルチアーノも英国のスタイルをベースに、アメリカ人が好む軽さや機能性を上手に取り入れていった。

白井 イタリア人は手先が器用だから上手にこなすんですよ。

赤峰 アメリカ人は基本的なセンスはないけど、噛み砕いて自分のものにするのは上手い。ルチアーノの服は、英国にルーツを持ちながら、「アメリカ育ち」的なところが新しかった。

白井 僕も赤峰さんもルチアーノも、靴の選び方やコートの着方とか、根っこは同じなんですよね。

ドクトル赤峰と白井俊夫の交友50周年記念
後編「信濃屋という楷書体の店」に続く

信濃屋 馬車道店
横浜市中区太田町4-50
045-212-4708
11:00~19:00
月曜定休
http://www.y-shinanoya.co.jp/

赤峰さんよりお礼

この連載でもインフォメーションしましたが、3月23日(金)から25日(日)の3日間、梶が谷のインコントロ「めだか荘」で「AKAMINE VINTAGE SALE」を開催しました。
多数のご来場をいただきありがとうございました。海外からのお客さまも来て、オープンの10時から夕方まで熱心に商品を見て行かれた方もいました。今後も面白い企画を考えていますので、ぜひご期待ください。

ジャパン・ジャントルマンズ・ラウンジ
http://j-gentlemanslounge.com

Photo:Shimpei Suzuki
Writer:Makoto Kajii

KEYWORDS
赤峰幸生

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