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FASHION 赤峰幸生の服飾歳時記

赤峰先生の大暑の着こなし「シルクのような麻とタイムスリップについて」

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伊達男は、真夏にアイリッシュリネン(亜麻)を纏う

きりはじめてはなをむすぶ 桐始結花 初候
つちうるおうてむしあつし 土潤蒸夏 次候
たいうときどきにふる 大雨時行   末候

「今日もまた暑いですね~」と、そんな会話も聞き飽きるほど、この頃は、セミの大合唱に、身体のまわりにムンとする熱気が迫ってくるような、どこか押し込められているような気分が続きます。夏バテにならないように適度に身体を冷やす、そして3食きちんと食べるのが私の夏バテ対策です。

幼稚園児の頃、目黒のサレジオ幼稚園の辺りは野菜畑ばかり。帰り道に友だちと侵入禁止のトマト畑の中に入り込んで、鈴なりの真っ赤なトマトをもぎ取って口に頬張った。あのときのトマト独特の香りを、先日出かけたフィレンツェの八百屋で何種類ものトマトを見ていたときにふと思い出しました。フィレンツェの家庭では、残ったパンを細かくしてトマトと煮込み、冷蔵庫で冷たくしていただく「パッパポモドーロ」も夏バテに防止のイタリア版です。

トマトといえば「赤」。夏場は特に赤のシャツ、ポロシャツ、タイなど赤を取り入れて着ていたことに気づかされました。

 

吉田真一郎が「日本の古布」研究と出合ってしまった理由

漢字というのは実によく出来ていて、「紡績」という組み合わせは、「紡=木綿をつむぐ」と「績=麻や藤をうむ」という、“つむぐ×うむ”の組み合わせです。

前項「小暑」で説明したように、近世麻布研究所所長の吉田真一郎さんは日本の自然布(麻布)研究の第一人者です。今皆さんが普通に着ている綿(コットン)やウールは西洋から来たもので、江戸時代前までは絹と麻しかありませんでした。前回、福井の鳥浜貝塚(とりはまかいづか)で約1万年前の大麻の断片が発見されたと語っていますが、その大麻の歴史をさかのぼっていく吉田さんの研究は、ものすごいことをしているわけです。

赤峰 それにしてもこの吉田さんの事務所は、古布の繊維研究において、文献とともに宝の山ですね。

吉田 いや、自分は研究者になる気もなかったし、なかば遊びのような感覚で始めたんですよ。実は古布の研究は、ある程度まで分かったら辞めようと思っていて、協力してくれている人にも言っていたんです。でも、分かりかけるところまでくると、「もうちょっとやってから辞めよう」と思って今日に至ります。文献も、たとえば『万葉集』に藤(ふじ)布の歌が詠まれているというような初歩から調べていって、どんどん細かいことを知りたくなり、繊維研究とともに遊びでやっていたのが、いつしか麻の研究者のようなことになっている(笑)。

赤峰 吉田さんの転機はドイツでの出会いだったんですよね。

吉田 自分の作品作りのためにドイツに行って、27歳のときにヨーゼフ・ボイス(現代美術の巨匠)さんと偶然出会って聞かれたんです。「日本のルーツ」のことを。ボイスは、「日本のルーツは自分のルーツに関わる大切なものだ」と言ったんですが、恥ずかしながら、そういうことを考えたこともなかった。自分はあまりにも日本のことを知らないなと思い、帰国してやりだしたのが古布で、自分を知るために始めたらハマってしまった。

赤峰 きっかけは「ルーツ探し」だったんですか。

吉田 国内を放浪して古布を集め始めて、真剣に4~5年やればわかるだろうと思ったら、次の課題が見えてくる。真摯に取り組むと、次の疑問が出てくる。そうしてどうにも辞められなくて、30年やっていますね。

 

生地に押されている印を見つけるために、着物を全部ほどく

吉田 古布を集めているうちに興味が「麻の布」に移っていって、いろいろ調べても「大麻(たいま)」に関してはざっくりしか書かれていない。布をほどいて糸の顕微鏡検査を始めたら、大麻はもちろん藤(ふじ)や葛(くず)などいろんな植物を発見していくわけです。

赤峰 そうして「大麻なのにシルクのような柔らかい麻布」を見つけるわけですね。

吉田 井原西鶴の本にも「高宮布」という記述があり、東海道五十三次の高宮宿(近江国)あたりで生産された布なんですが、資料館に行ってもなにもない。近江の彦根藩は井伊家なんですが、高級大麻布の産業を成り立たせたのは近江なんです。それで江戸時代の文献に「生地の端に印を押す」と記されていたので、近江晒(おうみざらし)を探すために着物をほどいて朱印(南郡の朱印)を生地の端から探し続けた。

赤峰 スーツ生地の「耳」に社名やブランド名、生地の打ち込みなどが記載されているのと同じですね。

吉田 高宮布と同じように、「奈良晒(ならざらし)」という“麻の日本一”といわれる生地があるんですが、博物館に行っても現物はどこにもない。江戸時代の書物に「合格した布には朱印がある」とあって、近江晒と同じく、また着物をほどいて生地の端を探していく。

赤峰 根気のいる作業ですね。でもそういう探究心から、昔の人の衣食住、どんなものを着ていたか、どんな生活をしていたかがわかってくるわけですね。

 

「大麻を洋服にして蘇らせたい」という共通の思い

吉田 歴史を紐解くと、木綿が全国に普及するのは江戸時代のことで、“木綿以前”は木綿より柔らかい麻が衣類に使われていました。歴史的には麻が一番着られてきた素材です。「木綿より柔らかい麻」と言いましたが、江戸時代の赤ん坊の「産着」は木綿、平安や鎌倉時代では大麻の柔らかい産着を使っていました。古くから素肌に着られる麻があったわけです。

赤峰 たしかに赤ん坊は柔らかいモノにくるむ必要がありますからね。そういう研究から、大麻布を現代によみがえらせた新素材ブランド「麻世妙(majotae、まよたえ)」を誕生させるわけですね。

吉田 大麻は紡績しにくいなどいろいろ困難もありましたが、いろんな方の協力も得て、江戸時代の文献にあったものと同じ布の風合いを目指したのが「麻世妙」です。

※麻世妙についてはこちら(http://www.majotae.com/

 

もし、一度だけタイムマシンで過去に行けるとしたら?

吉田 自分は縄文初期か、もっと古代に行きたいな。その頃どんな生活をしていたか見てみたいですね。

赤峰 自分は大衆の人たちの暮らし方を見たいから、安土桃山時代かな?

吉田 いやいや、赤峰さんの性格なら、安土桃山時代に行ったらすぐ殺されますよ(笑)。戦国時代には「1年後なにしている」なんて会話は成り立っていないでしょう。明日や明後日の命の保証もないのに、「来年」なんてどんな感覚で、どんな意識で生きていたのか……。でもそういう時代だからこそ、ものすごく大胆で華美なものが生まれたのでしょう。

赤峰 吉田さんとの話は尽きませんね。またぜひお願いします!

 

真夏の着こなしは、“赤=ポモドーロ(トマト)”が粋なアクセント

夏にイタリアに仕事で行くことが多く、“トマトの赤”は特に印象に残ります。真夏のスタイリングは、赤の麻シャツに、「ドルモア(Drumohr)」のニット、そしてショーツと、色を使ってスポーティーに。ニットはいわゆるプロデューサー巻きも夏なら小粋に決まります。

今年の夏、穿きたいアイテムの一つが、丈が短めのグルカパンツ(左)で、「Y.AKAMINE」のストライプのバミューダショーツ(右下)はベストセラーを記録したもの。右上は、プールで泳ぐときに愛用しているスイムショーツです。

この記事のトップで着ているダブルブレストスーツの素材は、アイリッシュリネンギルドのメンバーが生産するアイルランド製アイリッシュリネンの老舗メーカー「スペンスブライソン」のアイリッシュリネン(亜麻)。美しい光沢とソフトな風合いは、暑い夏でも快適な気分にしてくれます。


次回、連載13回目は、8月8日頃の“立秋(りっしゅう)”。ちょうど「夏の甲子園」が開幕する頃で、お盆休みの始まり。帰省先でもぜひチェックを!


Photo:Shimpei Suzuki
Writer:Makoto Kajii

吉田真一郎(よしだ しんいちろう)
1948年京都府生まれ。30年以上古布の研究を続け、現在は日本の自然布、主に江戸時代の大麻布、苧麻布の繊維と糸の研究を進めている。奈良県立民族博物館、サンフランシスコ工芸博物館、国立民族博物館、十日町市博物館、能登川博物館、愛荘町立歴史文化博物館などで企画展示および研究発表を行う。

 

ジャパン・ジェントルマンズ・ラウンジ
https://www.facebook.com/JapanGentlemansLounge



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