「泥棒が入る!」と言い始めたおばあさん
ある晩、テレビを見ていると、チャイムが鳴り、ドアを開けると2階の角部屋のご主人がいた。相談があるというので上がってもらうと、
「おばあさんがボケた」
という。
いくら理事長でも、ばあさんがボケたことまで相談されても困る。だが、家に上げた手前、どういうことなのか一応聞いてみたところ、数日前からおばあさんが
「泥棒が入る」
と言い出したのだという。
その家は2階の角で陽当たりがよく、おばあさんはベランダで椅子に座ってひなたぼっこするのが好きなのだが、そのおばあさんが、
「泥棒がマンションに入ろうとしている」
と言っているらしい。
そう言われてぼくも思い出した。
おばあさんはたまに近所にお茶菓子を自分で買いに行くのだが、たまたますれちがった際、
「変な人がうろうろしている」
と言われたことがあった。
また、おばあさんがマンションの入り口で、近所の人に何か言っているのを見たことがあった。おばあさんはあちこちを指さし、何かを訴えていたが、その時は井戸端会議の一つくらいにしか思わず、全く気にとめてなかった。
もしかしたら、泥棒のことを言っていたのだろうか。
ご主人はおばあさんのことを心配していた。どんなになだめても、「泥棒が入る」といってきかないので、ボケが始まったのだと思うとご主人は肩を落とし、もし自分が留守の時に徘徊でもされたら困るからと、入院させることにしたと言われた。
もしや判断を求められるのかと思ったが、報告だけだったのでぼくは安堵した。
入院した直後、事件は起きた
翌日、おばあさんは入院した。
ご主人によれば、医者に対しても
「泥棒が入る」
とさかんに訴えていたようだ。
その翌日、仕事を終えて帰宅すると、マンションの前に人が集まっていた。しかも警察もいた。
一体どうしたのか聞くと、
「あなたは誰ですか?」
「このマンションの理事長です」
「実は、本日、泥棒に入られたんです」
何と1階の部屋すべて、白昼堂々と泥棒が入ったのだ。侵入経路は、垣根を乗り越え、2階の角部屋の真下を通るというものだった。
このマンションは1階を取り巻くように背の高い植え込みがあり、いったんそこに忍び込めば通りから見えない。その植え込みの切れ目が2階の角部屋の下にあり、そこから泥棒は侵入したのであった。
「泥棒が入る」と、おばあさんが言っていたのは本当だったのだ。おばあさんはボケていなかったのだ。しかもおばあさんが入院した翌日に入ったのだから、犯人はずっとおばあさんを警戒していたのだろう。
おばあさんの家族は
「疑って悪かった」
と肩を落とし、泥棒に入られた1階の住人らは
「何でおばあさんの言うことを信用しなかったんだ」
と怒っていた。
おばあさんは間もなく退院し、前と同じように2階のベランダで毎日日向ぼっこしていた。それから泥棒は一度も入らなかった。
松井政就(マツイ マサナリ)
作家。1966年、長野県に生まれる。中央大学法学部卒業後ソニーに入社。90年代前半から海外各地のカジノを巡る。2002年ソニー退社後、ビジネスアドバイザーなど務めながら、取材・執筆活動を行う。主な著書に「本物のカジノへ行こう!」(文藝春秋)「賭けに勝つ人嵌る人」(集英社)「ギャンブルにはビジネスの知恵が詰まっている」(講談社)。「カジノジャパン」にドキュメンタリー「神と呼ばれた男たち」を連載。「夕刊フジ」にコラム「競馬と国家と恋と嘘」「カジノ式競馬術」「カジノ情報局」を連載のほか、「オールアバウト」にて社会ニュース解説コラムを連載中