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FORZA STYLE - 粋なダンナのLuxuaryWebMagazine
FASHION 林信朗の「お洒落偉人に学べ!」

ミスター・ヤング・ブリテン、ウィンザー公編

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英国と王室、そして英国ファッションも宣伝し続けた広告塔

"世界には想像の遥か上を行く、お洒落な偉人たちがいた"。彼らのスタイルや生き方を学ぶことこそ、スマフォー(スマートな40代)への近道と考えた編集部員たちは『MEN'S CLUB』『Gentry』『DORSO』など、数々のファッション誌の編集長を歴任した大先輩である服飾評論家 林 信朗氏を訪ね、教えを乞うことに。新連載二回目は、イタリア人でも憧れる英国ファッションのアイコン、ウインザー公についてたずねます。

 

ヤナカ:前回のお話で、ウインザー公が登場したときのイギリス王室のファッション事情がよくわかりました。ヴィクトリア時代ほどではないにしろ、かなりコンサバだったんですね。第一次世界大戦もあったわけだし。

林:そうだね。戦争に勝ち、英国は、徐々に明るい雰囲気を取り戻しつつあった、というところだろうか。メンズファッションで言うと、いわゆる3ピースのスーツ、当時はラウンジスーツと呼んだんだが、これがモーニング、フロックコート、テイルコートというヴィクトリア男の三点セットに取って替わって、完全に市民権を得たのが1920年代、30年代だね。これはね、メンズファッションにおいては画期的なことなんだよ。なにしろそれから100年近く経ったいまでもその頃確立されたスーツスタイルの基本形はまったく変わっていないんだから。

©gettyimages

林:ところでヤナカくん、当時の英国は、いまとはずいぶん国情が違うのはご存じでしょう?

ヤナカ:はい。国名そのものが違いますよね。ブリティッシュエンパイヤ、大英帝国ですものね。

林:歴史用語では、パックスプリタニア。簡単に言うと、経済でも軍事でも、世界最大、最強のスーパーパワー。主だった植民地だけでも、東からオーストラリア、ニュージーランド、インド、アフガニスタン、ケニア、スーダン、エジプト、南アフリカ、ナイジェリア、ガーナ、カナダがある。それらをすべて英国王が治めていたんだよ。むろん実質的には英国政府が統治をしていたんだが、君主である英国王だってたまには顔を出して、挨拶ぐらいしなくちゃマズいじゃないか。しかし、国王自らがそんな頻繁に外遊できないでしょう?

©gettyimages

ヤナカ:ああ、なるほど、そこで次期国王である、皇太子のウインザーの出番なのですね。国王の名代として、世界を旅してまわる。ついでに自分の名前も売ってくる。こりゃあ壮大な営業活動だわ。

林:年齢的にはだいぶ差があるが、いまのチャールズ皇太子と同じように世界各地を訪問し、英国と王室の宣伝につとめたわけさ。

©gettyimages

林:1919年、25歳のときから1935年までの16年間、プリンス・オブ・ウエールズ(皇太子時代のウインザー公の呼び名。チャールズ皇太子もそう呼ばれる)は16回、英領や友好国を公式訪問している。

ヤナカ:年1回のペースですね。でも、鉄道と船で移動するわけですから、英国からアフリカや南アメリカ、オーストラリアなどの遠隔地への距離を考えればそれが限界でしょう。準備も含めれば、一回の訪問で三か月ぐらいの時間を費やすんじゃないでしょうか。

©gettyimages

林:でもね、この数字には、英領以外の欧州の訪問や、私的な海外旅行は入ってないからね。パリ、カンヌ、ウイーン、ビアリッツ、北欧や南欧の各地、調べていくと、ちょこちょこマメに足をのばしているわけ。この兄さん、ほんとに海外出張好きなんだ(笑)。

ヤナカ:うちの編集長もそうなんですけど(笑)。

©gettyimages

林:若き日のウインザー公は人気もまたすごかった。なにしろあの細面の顔にスラッとした体形でしょ。いかつい感じのお父さんジョージ5世と違って、ソフトでスマート。だから世界中どこにいっても大騒ぎ

ヤナカ:それじゃあモテたんでしょうね。

©gettyimages

林:そりゃあもうモテモテだよ。全世界の女性の憧れのまと的存在だったんじゃないか。ウインザー公の評伝などを読むと、ダイアナ妃以上の人気だったらしいもの。「プリンスチャーミング」と呼ばれていたぐらいなんだから。

ヤナカ:たしか日本にも来たことがあるんじゃなかったでしたっけ。

©gettyimages

林:はいはい、1922年のことだね。来日したときに乗ってきた超弩級戦艦の名前が「レナウン」で、70年代「ダーバン」というブランドで一世を風靡したアパレル会社の「レナウン」はそこからきたはずだよ、たしか。

©gettyimages

林:ウインザー公の海外訪問は、新聞や雑誌などに大きく取り上げられるほか、テレビがなかった時代の動画媒体であったニュース映画でもトップニュースの扱いで、世界を駆け巡ったんだ。英国としても、王室としても最高のパブリシティだったわけですね。だからウインザー公もはりきっておしゃれに励んで、ヴィトンのトランクに服をいっぱいつめて旅立つわけですよ。前に取り上げたイタリアのフィアット社の元会長ジャンニ・アニエリがミスターイタリアだとしたら、ちょいと頼りない部分もあるが、当時のウインザー公の存在感は、まさにミスター・ヤング・ブリテンと呼べる。

ヤナカ:そうか、今流に言えばウインザー公は英国メンズファッションの宣伝塔だったんですね。

©gettyimages

林:ジョージ5世はコンサバなお父さんだったから、ファッションでも、女性関係でも「軽い」ウインザー公のことを本心では悩ましく思っていたんだろうけど、英国の羊毛製品をこれだけ宣伝してくれるなら、まあいいかと問題視しなかった。まあ、ウインザーさんにとっては、この若き日の世界見聞がもともと持っていた美への関心を高め、センスを磨いたんだろうね。ウインザー公のお洒落は、じつはこういうとんでもないコストがかかったものなんだよ。ほかのひとがマネしようったって、マネできるもんじゃない。

〈続く〉 

Text:Shinro Hayashi
Portrait:Tatsuya Hamamura
Edit:Ryutaro Yanaka

林 信朗
服飾評論家
『MEN'S CLUB』『Gentry』『DORSO』など、数々のファッション誌の編集長を歴任した後、フリーの服飾評論家に。メンズファッションへの造詣の深さはファッション業界随一。ダンディを地で行く大先輩。

 



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