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ぼくは朝青龍を応援していた

平成29年の大相撲初場所で大関稀勢の里が悲願の初優勝を果たし、日本出身力士として久しぶりの横綱に昇進した。

ぼくも何より良かったと思った。

©gettyimages

なぜなら、以前、大相撲が八百長問題に揺れた時、知り合いのタニマチや関係筋の誰もが、

「彼だけは死んでも絶対に八百長をやらない!」

と、口を揃えて断言していたのが稀勢の里だったからだ。

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ぼくも相撲ファンの端くれだが、実をいうと一番好きだったのは朝青龍だ。

彼が大活躍していたのは、ソニーからヒット商品が全然出なくなり、あんな大企業でさえこのままでは潰れるのではないかと言われた時期とちょうど重なる。

朝青龍は色んな意味で世間を賑わせたが、「土俵上の反体制」とでも言うべきか、相撲の常識を次々と破っていくところが、ぼくはとくに気に入っていた。しかしそんな反体制的な面こそ世間からバッシングされていたのだから、人の意見はこうも違うということだろう。

©gettyimages

そんな彼見たさに、ぼくは両国国技館で行われる場所は必ず足を運んだ。土俵上の彼はいつも他の力士を圧倒していた。そんな彼にすっかり魅了され、毎日見に行きたくなり、当時、国技館から徒歩10分くらいのところに引っ越したほどだ。

「砂かぶり」で声をあげ、親方に怒られる

あの頃はまだチケットも普通に取れ、ぼくはいつも、残っている中で一番安いのを買った。たいていの相撲ファンは、幕内にならないと見に来ない人が多い。とくに土俵下の砂かぶりは協会の会員が持っている席で、しかも通【つう】ばかりとあって、上位力士しか見に来ない人がほんとに多い。

前半戦はけっこう空いていて、当時、ぼくらカネのないファンがちゃっかり拝借し、持ち主が来るまでそこに座っていたりしたものだ。

むろんそうしたことは御法度で、いくらユルかった時代とはいえ、たまに係員に見つかっては怒られたりしたが、そんなわけで、ぼくはたびたび、正面審判(つまり親方)の真後ろに座っていた。

©gettyimages

その席が真価を発揮するのは横綱の土俵入りの時だった。朝青龍が登場し、雲竜型の土俵入りをすると、場内から拍手がわき起こった。

モンゴル人に向かって、どういうわけか観客が

「ニッポンイチ!」

と、声を上げるのが何とも不思議だったが、ぼくも砂かぶりから

「アサショウリュウー!」

と声を上げた。

すると土俵入りが終わった後で、

「キミ、うるさいんだよ。ここじゃ静かにしてなくちゃいかん」

と親方から注意された。

©gettyimages

土俵入りはまさに神事で、とくに砂かぶりにいる人は神妙に見ていなくてはいけなかったのだ。素人のため、ぼくは砂被りのしきたりを知らなかったのだが、国技館の人たちの指導を受けながら、ぼくは相撲を満喫していた。

相撲部屋の前にやってきたニワトリ

引っ越してみると、まわりには相撲部屋がいくつもあり、それを見て歩くのも楽しみとなった。ある日、春日野部屋の朝稽古を見に行った時のことである。

©gettyimages

相撲部屋があるのはちょうど問屋さんが建ち並ぶ地域ということもあり、一般の買い物客はほとんど訪れない。だから車もあまり通らず危険も少ない。そんなわけで、土俵での稽古を終えた力士が、大きなタイヤをロープで腰にくくりつけ、「巨人の星」の星飛雄馬【ほしひゅうま】のように引きずる稽古をやっていた。

その様子を他の見物人たちと眺めていると、

「コッコッコ」

という声がした。

©gettyimages

何だと思って声の方向を見ると、赤いトサカを立てた大きなニワトリが歩いてきた。
ニワトリはコッコッコといいながらぼくの隣に立ち止まり、しばらくその場をウロウロした後、去っていった。
力士の稽古も気になるが、ニワトリのほうがもっと気になった。

ぼくはニワトリの後をつけた。
ニワトリは歩道を進み、横断歩道のところで立ち止まり、右へ左へと首を向け、横断歩道を渡っていった。
人間が左右を確認して渡るのと全く同じだった。
ニワトリは、渡った先の柵を跳び越え、植え込みに入っていった。

別の日、春日野部屋の朝稽古を見ていると、またあのニワトリがやってきた。稽古も見たいがニワトリも気になる。
後をつけると、また左右を確認し、横断歩道を渡っていった。

(横断歩道を渡るニワトリ:松井撮影)

人間のように横断歩道を渡るニワトリを、出勤途中のサラリーマンが呆然として見ていた。

屋形船が爆発し、ニワトリが姿を消した

植え込みの先は屋形船の乗り場で、船主のおじさんが住んでいた。ニワトリは船で飼われていたようだった。ニワトリは年を取っていたし、散歩のしかたや横断歩道の渡りかたからも、食べるためではなくペットとして飼われていたのは違いない。ぼくは朝稽古の見物と合わせ、ニワトリを見るのも楽しみになった。

ところがその楽しみは突然失われた。

(爆発炎上する屋形船:松井撮影)

ある日屋形船が炎上し、大爆発したのだ。
消防の甲斐あって周囲の家などに被害は出なかったが、屋形船は沈没した。
それ以来、ニワトリの姿を全く見かけなくなった。ぼくは気になり、付近を探してみたが見つからなかった。

ある日、力士が立ち止まり、屋形船があった場所を見ていたので話しかけてみた。

「屋形船、焼けちゃいましたね」

「天ぷらの火が燃え移ったみたいっすよ」

「そうだったんですか」

さすが地元の人と言うべきか、事情を知っていた。しかし、力士は元々無口でもあるせいか、それっきり会話が続かない。

ぼくは話を繋ごうと思った。

「そういえば、ニワトリがいなくなっちゃいましたね」

「そうっすね」

やはり彼も知っていたのだ。大男ほど気は優しいというから、もしかしたら彼もニワトリのことを気にしていたのかもしれない。
でもやっぱり話が続かない。これ以上話しかけるのも悪いと思ったが、黙って立ち去るわけにもいかず、

「火事で焼き鳥になっちゃったんですかね?」

すると力士は、この人何を言っているんだというような目でぼくを見ていた。

Text:Masanari Matsui

松井政就(マツイ マサナリ)
作家。1966年、長野県に生まれる。中央大学法学部卒業後ソニーに入社。90年代前半から海外各地のカジノを巡る。2002年ソニー退社後、ビジネスアドバイザーなど務めながら、取材・執筆活動を行う。主な著書に「本物のカジノへ行こう!」(文藝春秋)「賭けに勝つ人嵌る人」(集英社)「ギャンブルにはビジネスの知恵が詰まっている」(講談社)。「カジノジャパン」にドキュメンタリー「神と呼ばれた男たち」を連載。「夕刊フジ」にコラム「競馬と国家と恋と嘘」「カジノ式競馬術」「カジノ情報局」を連載のほか、「オールアバウト」にて社会ニュース解説コラムを連載中



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