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【PR】初公開!ハマの番長・三浦大輔が「リーゼント」を作るコツとは?

2017.2.1
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甲子園の経験もなければ、飛び抜けて速い球を投げられるわけでもなかった。

それでも今から25年前、ドラフト6位で横浜大洋ホエールズ(当時)に拾われた男は、一途に「横浜一筋」を貫き、昨年9月、すべての横浜ファンに惜しまれながらマウンドに別れを告げた。「ハマの番長」こと三浦大輔。ビシッと決めたリーゼントがトレードマークの、横浜DeNAベイスターズの元エースである。

決して天才型のピッチャーではなかった三浦が、なぜベイスターズを象徴するピッチャーにまで上り詰められたのか? その背景にはインタビュー中も再三飛び出した、やり抜く男の信念と、美学があった。

“ハマの番長”の生き方に、そしてトレードマークのリーゼントに、本誌編集長・干場が迫った。

干場:FORZA STYLE編集長の干場です。今日はよろしくお願いします。

三浦:三浦です。こちらこそ、よろしくお願いします。

干場:今は髪を下ろされてますけど、普段はリーゼントじゃないんですね。

三浦:そうですね(笑)。練習とか試合があるときは帽子被ってますから。リーゼントにするのはそれ以外のときですね。

干場:確かに、帽子被ったらリーゼント崩れちゃいますもんね。そもそも「番長」って呼ばれるようになったのは、いつ頃からなんですか?

三浦:プロに入って2年目からだと思うんですよね。プロ1年目の途中からリーゼントをやり始めて、2年目の確かキャンプのときに、新聞で『番長』って書かれたんですよ。当時、『ハマの大魔神』って呼ばれた佐々木(主浩)さんがいらっしゃって、それで僕が『ハマの番長』って付けられたのが最初ですね。

干場:それを言われたとき、どう感じられたんですか?

三浦最初、嫌だったですよ(笑)。僕は今43歳なんですけど、僕らの学生時代には番長なんていなかったし、僕はビー・バップ(・ハイスクール)の世代だったので、ちょっと古いなっていうイメージがあって。「もう少しカッコいいの、ほかにないのかな」って思ってたんですけど、ある日、小さい女のコから「番長~」って声かけられたときに、まあいいかなって思ったんですよね。佐々木さんのハマの大魔神以外に、ニックネームで呼ばれる選手って、ほかにいなかったので、これはこれでありがたいことだなと。それからですね、受け入れるようになったのは。

干場:小さい女のコの一声が「番長」を定着させたんですね。長年、エースと呼ばれることのプレッシャーはどう克服されてきたんですか?

三浦:プレッシャー以前に、僕なんて、他球団でエースと呼ばれるピッチャーの成績と比べたら、まだまだだと思ってましたから。15勝を3年、4年って続けてこれたわけじゃないですし、僕の成績ではエースと言われても『はい』って、胸張って返事もできなかったんで。だから、胸を張って返事できるようにならないといけないと思って、ずっとやってきましたね。最終的には、そうなれなかったな……と自分では思ってますけど。

干場:いやいや、172勝は十分立派な成績ですよ! 謙遜されすぎです!

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