「安くない社員セール」

ソニー製品の8ミリビデオを値切って購入

そんなわけで、社員セールを諦め、ぼくは秋葉原で買うことにした。
店をいろいろと覗いて回ると、目当てのビデオが幾つかの店に置いてあった。値段は店によって異なっていた。極端な差ではないが、僅かな差でも、より安い店をみつけるとうれしく、いろいろと回ってみた。

歩いてきた中で一番安い店でビデオを見ていると、店員が声をかけてきた。
「どんなものお探しですか？」
「８ミリビデオを検討してまして」
「これ、オススメですよ」
店員は、目当てのビデオを指さした。
「やっぱ、これ、いいですよね」
ぼくも自分の顔が緩むのがわかった。
「前のよりずっと性能良くなってますからね」

店員はどこがどう良くなったかを説明した。ぼくも知っていたが、店員の説明は無駄な専門用語も使わず、相手がどんな初心者でもわかるようなものだった。さすが、何百人にも何千人にも説明している人は違うと思った。

「あっ、ぼく、ソニーの社員なんです」

「ここまでならお安くできます」
そういって店員は、電卓を打ち、表示価格よりもちょっと安い金額を見せた。
社員セールよりずっと安かった。だからその値段でも御の字だったが、根がケチくさかったのか、もう少しマケてもらおうと思った。
「もう少し、ダメですか？」
「これで精一杯なんですよ～」
「そこをもう少し」
「うーん、じゃあ、これで」

店員は電卓を叩き、さっきより安い値段を見せた。
「もう一歩」
「勘弁してくださいヨ～」
「そこを何とか！」
「しょうがないなー」
店員はさらにマケてくれたので、ならば、まだイケるのではないかと思い、
「もう一声！」
「これ以上は無理です」
「これっきりにしますから」
「ホントに、もう、これっきりですよ」
店員はさらに安い値段を電卓で打った。

これでもう満足だと思った。
「会社の人も、このモデルは相当いいって言ってます」
「会社？」
「あっ、ぼく、ソニーの社員なんです」
「そうなんですか」
「まだ入ったばかりですけど」

お礼を言ってぼくは帰ってきた。いい買い物をしたと思った。良かったと思った。

「アキバで値切った社員は誰だ？」

ところが、翌日会社で予想外のことが起きた。「秋葉原で値切って買った社員がいる」という噂が出回ったのだ。

まさか会社に伝わるとは思わなかった。「誰なんだ？」という話になったが、さすがにぼくだとは言えなかった。
何でこんなことになったんだろうと思った。店員とは仲良く話をしたはずだし、マケてもらったが、無茶なことをしたつもりはなかった。だいいち、チクるような店員には見えなかった。もしかしたら偶然、横で誰かが聞いていたのかもしれないと思った。

ヒヤヒヤしながら仕事していると、隣の先輩が言った。
「松井、アキバで値切っちゃダメだぞ～」
そう言われ、ぼくは腰が抜けた。なぜなら、店で自分の名前など言ってなかったからだ。それなのになぜ、ぼくだとわかったのか！？
世の中ホントに恐ろしいと思いながら、「そんなつもりじゃなかったんです。ちょっとでも安くなればいいと思っただけで」
「どういう意味だ？」
「ですから、ちょっと安くなればと……」
「まさか、お前がやったのか！？」
「あれ！？　それは、あの…」

ぼくだとバレていたわけではなかったのだ。先輩は、そういうことしちゃいけないぞという意味で、ぼくに話しかけてきただけだったのだ。それなのに、バレたと思い込んだぼくは動揺し、自分から尻尾を出してしまったのだ。

先輩は口を尖らせ、「しょうがねえヤツだなぁ。お前、少しは考えろよ。オレたちの給料を稼いでくれる人の売上げを減らして、どうするんだよ」
「すいません」
「まったく…。今回は黙っておいてやるから、もうやめとけよ」
「すいません…」
「それと、今度その店に行って定価で買え」

いま、古巣の誰に会いたいかと聞かれたら、やはりその先輩に会いたいと答えたい。

Text:Masanari Matsui

松井政就(マツイ マサナリ)
作家。1966年、長野県に生まれる。中央大学法学部卒業後ソニーに入社。90年代前半から海外各地のカジノを巡る。2002年ソニー退社後、ビジネスアドバイザーなど務めながら、取材・執筆活動を行う。主な著書に「本物のカジノへ行こう！」（文藝春秋）「賭けに勝つ人嵌る人」(集英社)「ギャンブルにはビジネスの知恵が詰まっている」(講談社)。「カジノジャパン」にドキュメンタリー「神と呼ばれた男たち」を連載。「夕刊フジ」にコラム「競馬と国家と恋と嘘」「カジノ式競馬術」「カジノ情報局」を連載のほか、「オールアバウト」にて社会ニュース解説コラムを連載中。