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【連載】一匹狼宣言 Vol.9「おしゃべりな美術館は国を救う」高橋龍太郎

2016.6.20
2016.6.20

天皇制と東京大空襲をめぐるキセイノセイキ

私の両親は災害に魅入られたとしかいいようがない。

祖父は東北大震災ですっかり名を知られた宮城県南三陸町の出身で、上京し、大正7年12月に父を得。その後4才の父とその妹2人とともに大正12年9月に関東大震災に遭遇する。それにもめげず、自由が丘駅前にかなりの家作を得て、手広く不動産業などを営んでいたところ、海軍軍医を終えて帰国した父と家族とともに昭和20年東京大空襲にあう。(3月の東京大空襲ではなく4月の城南大空襲と思われる。)命からがら焼け出されたバラック生活のところに山形の医者の娘であった母がお見合いに来る。その帰りに母は祖父とともに長岡の8月の大空襲に出くわして、身を伏せて逃れた。祖父は焼け野原の東京を見て、復興は不可能と判断し東北に戻り気仙沼に残りの人生の居を構える。

昭和34年両親と私たち兄弟4人は史上最大級の伊勢湾台風に、名古屋郊外に住んでいて襲われ、2階家が吹き飛ばされそうになる。それだけでは終わらず、終の棲家として安住した筈の芦屋で両親は阪神淡路大震災に遭遇。このときはまわりの木造家屋がほとんど倒壊し死者もでたが、うちは3階建てのコンクリート造りのため、一週間近所の避難場所になっていた。父は3年前に亡くなったが、5年前の東北大震災のときには認知症を患っており、故里の話をしてもあまり理解できないようだった。元気だったら、父が南三陸町に里帰りしたときに冗談ではなく大震災がおきたかもしれない。


吉野山隆英「報われぬ犠牲」​
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この4つの災害でも一番ひどい目にあったのは焼け出された東京空襲だったようだが、敗けたのだからと米軍への恨みつらみを言うことは少なかった。戦争といえば、とにかくミッドウェイ海戦で大敗北を強いられる前に、終戦し外交交渉をする機会があった筈だと説いていた。天皇制については、生まれついて身分に差があるのは変だからと一貫して反対を唱えていて、太平洋戦争については天皇に当然責任があると考えていた。口癖は今の世界は江戸時代の幕藩体制と同じだということで、いずれ今の国家はなくなり世界連邦ができると繰り返していた。

東京都現代美術館の「キセイノセイキ展」が終わった。

芸術表現の環境向上を目指す「アーチスト・ギルド」との協働企画で、今年度版の「MOTアニュアル」を立ち上げたという。キセイノセイキは、一般的に読めば規制の世紀だが、規制の性器でもあるし、既制の生起でもある。もっとも扱われているのは規制一般の様々な有様で、性、死、暴力、権力等にまつわる表現の規制が登場している。

あの会田家「檄文」事件の自主規制が問題となった現美であれば、注目しないわけに行かない企画だった。

注目した展示は2つ。

藤井光の「爆撃の記録」と小泉明郎の「空気」。

前者は1990年代に東京大空襲を語り継ぐための平和祈念館として立案されながら都議会が紛糾し設立に至らなかった平和祈念館が「想像の祈念館」として再現されていた。借り出すのは難しかったらしいが、当時の遺品や空襲の記録などの展示が全くないままにキャプションのみで展示されているという「不在」の展示。それは人類史上まれな虐殺が今もって語られてない今日の有様も浮かび上がらせる。

藤井光《爆撃の記録》2016  「MOTアニュアル2016 キセイノセイキ」
展示風景撮影:椎木静寧
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平和祈念館は保守派からはアメリカを刺激するのはよくない、当時の戦争責任を蒸し返させられることになると反対され、リベラル派からは、被害意識を強調すると、中国韓国からは加害者としての意識が足りないと批判されるとされ、とにかくこの祈念館自体をなかったものとするという、あいまいな妥協がされてきたものだった。

それが甦った。

私は長い間広島長崎の原爆についてはその非道さを非難する気持ちが強かったが、父と同じで戦争で負けたからには、東京大空襲は止むを得ないものとして受け止める気持ちが続いた。その気持ちがひっくり返されたのは、1988年京都国立近代美術館の「井上有一展」を見てからである。その凄まじい書はそれまでもっていたアートへの感じ方を根底からひっくり返し、のちのコレクションの心理的背景に繋がるのだが、何より「東京大空襲」と「噫横川国民学校」の文字書の連作には衝撃を受けた。

井上有一「噫横川国民学校」1978年(昭和53年) 群馬県立近代美術館蔵 © UNACTOKYO
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「全員一千折り重なり 教室校庭に焼き殺さる 夜明け火焼け尽き 
静寂虚脱 余燼瓦礫のみ 一千難民悉焼殺 一塊炭素如猿黒焼 
白骨死体如火葬場 生焼女人全裸腹裂胎児露出 悲惨極此 生存者虚脱 
声涙不湧 噫呼何の故あってか無辜を殺戮するのか」

当時井上有一は横川国民学校の教員だったが、校舎の倉庫で九死に一生をえている。

この書は1945年の大空襲の悲惨さと怒りを33年のちに画面いっぱいにぶつけたものだが血しぶきが書面から飛び出してくる。何年経っても忘れることができなかった井上有一自身の原体験になっている。衝撃のまま調べてみると、前もって日本の木と紙でできた民家を砂漠に作りどうやったら効率的に焼けるかと研究し、新しい焼夷弾を開発した上、前もって河べりを囲うように広大な四角形に焼夷弾を落として逃げられないような火の壁を作り、その上で更に内部の民家(工場ではない!)を焼き尽くす等、虐殺としかいいようなないものだった。以来私には米軍には戦争責任があると考えるようになった。

10万人が死んでいるが、本当はその倍ちかい犠牲者もいたのではといわれている。その空襲の司令官だったカーチス・ルメイは「私たちが戦争に負けたら、戦争犯罪人になっただろう」と述べたというが、戦争に勝ったとしても、どうみても立派に戦争犯罪人である。

勿論藤井の作品には井上有一の激情もなければ私のような過激な米軍責任論を訴えているものではない。キャプションだけが掲げられて何の展示物もないこの展示は10万人の無辜の民の鎮魂もすることさえできない私たちの無力を浮かび上がらせていた。その白っぽい静けさはその空間自体が巨大な墓石のようにも思われて、死者たちの霊は取り上げてくれたことをも相俟ってどれほど慰められたことだろう。

小泉明郎の「空気」は現代日本の最大のタブーと思われる天皇家の存在そのものを表現した作品なのだが、美術館側は時期尚早、充分に議論がなされてないと展示キセイ。作家側もそれならばと自己キセイし、強いライトだけが白い壁を浮かび上がらせて空気感を演出した作品。

小泉明郎《空気》2016 「MOTアニュアル2016 キセイノセイキ」
展示風景撮影:椎木静寧
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実際の作品は、近くの無人島プロダクションで2週間だけ展示した。

作品はどうして美術館がそんなに神経質になったのとかと思うが、天皇や皇室の肖像に手を加えて、姿を背景に合わせて透明にしたもの。「空気」のように私たちの中に存在している天皇制を象徴的に作品化していると思うのだが、美術館側には触れてはいけないものに触れてしまったとの意識が強かったらしい。

こちらが無人島プロダクションで2週間だけ展示された作品。
小泉明郎 空気 #1
撮影=椎木静寧
© Meiro Koizumi Courtesy of Annet Gelink Gallery and MUJIN-TO Production
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しかし「鼓腹撃壌」という言葉がある。中国の古代の帝堯が自分の統治の実情を調べにお忍びで出かけたところ、とある老人が、口のなかに食物をほおばり、腹鼓を打ち、足で拍子を取りながら

「日が昇ったら仕事をし、日が沈んだら休む。井戸を掘っては水を飲み、畑を耕しては食事する。帝の力なんか、どうして私たちに関係あるのだろう」と歌っていたという。

帝堯はこれを聞いて、自分の政治は、帝を意識させることなく豊かさを実現できていると喜んだという故事である。

まさに「空気」である。

作者も「空気」といわず「鼓腹撃壌」というタイトルにすれば美術館のキセイを潜り抜けられたかもしれない。

空気のような存在といいながら一方で、私のなかにも天皇制の問題を文章に書きながらどこか重い気分になってしまう事実を否定できない。

そこを敢えて自分の内部のキセイを取り、現在までの天皇観を戦後70年生きた一人の人間として振り返ってみたいと思う。

私は、1965年大学に入学するが、当時同世代のなかの進学率は20%いかなかった時代である。そのときは私たちの気分は「天皇には当然戦争責任がある」というものであり、「天皇制は廃止すべきだ」と多くの学生が考えていた。

少なくともわたしのまわりの友人達のなかで、天皇制賛成とでもいおうものなら、右翼よばわりされて、友人達からは孤立してしまったろう。そんな雰囲気が当り前におもわれていた。

私たちが中学校に入った時には、大正天皇の望遠鏡事件がみんなの噂になった。大正天皇は帝国議会で詔書をくるくる丸めて、望遠鏡のように丸めて「見える見える」とやったというのである。

高校生の日本史の授業では、孝明天皇殺人事件が講義され、岩倉具視がその首謀者であるとその背景が明かされた。公武合体論、尊皇攘夷を唱える聡明な孝明天皇がいては、開国に傾いていた倒幕派にとって、障害物となると判断したものとされた。御所に女官として仕えていた具視の妹を使って毒殺したという記述の日記まで教えられた。(それが五百円札に!)

天皇は当時の支配権力にとって生死も含めて自由に利用できるものだったと教わる。

大学に入っても深沢七郎の「風流夢譚」の自費印刷本が手に入った。それは1960年の中央公論で発表されたものだったが、右翼少年が嶋中社長宅に押し入り、お手伝いさんを殺害したという言論封殺事件に連がる。けれどその内容についても、格別ひどいとも思わなかった。天皇と皇族が次々と処刑されて、皇太后とケンカして蹴飛ばすという内容は、今から思うと信じられない位だが、60年代の私達には、とりたてて衝撃的なものではなかった。但し深沢七郎にとってはそれは大きな事件であり、その後「風流夢譚」については、生涯絶版にし、全集に入れることもなかった。現在では「風流夢譚」と検索すれば、全文を読むことができる。

この頃までは天皇という存在はあくまで国民主権のなかの辺縁的な存在に過ぎなかった。

私自身も天皇制を否定する気持ちは強かった。それは父と同じで万人は平等であり、生まれつき身分が違うことで、自分達の上に誰かが存在すること自体を許せないという自然発生的な気持ちからだった。

昭和天皇崩御から28年、今では共産党までが天皇が議会に出席したときに欠席しないようになった。天皇制支持を言ったら笑われたような時代の気分から思えば信じられない変化はどうして起こったのか?

謎である。

昭和天皇まではそのぎこちない動きとともに、私たちが天皇を支えてあげてこの人のいる間は、苦労もなさったしまあしょうがないという同情心も強かった。しかし今上天皇、美智子皇后は寸分のスキもなく公務をこなしていて、崇拝を一心に集めている。いつのまにか私の心のうちにも「空気」が滑り込み、天皇制を認めるような自然な気持ちが湧いてきている。辺縁の存在が少しずつ中心化しているのだ。

いくつかの原因を考えてみるに、1980年代までの昭和の時代は典型的な右肩上がりの時代で人々は自分の力だけをと信じて、自分の上に何かがいることが許せなかった。しかしバブルがはじけて20年間、右肩下がりの時代が続くと人々は底なし沼の恐怖に怯え風呂の栓のようなものがないと水が抜けてしまうと感じているのではないか。何かが底にあってほしいのだ。

もう少し詳しく言うとこの間の保守派の傲慢さとリベラル派の頭の悪さ(60年安保改定を戦争法案と反対し、50年間それに守られながら今また安保法案を戦争法案といって反対する)は人間の持っている基本的な愚かさであり、自分を含めて人間が誰でも持つ悪であると気づいたとき、天皇制という外部に聖的な存在を置く方が、自分の内部の聖性に呼びかけるより、その悪が浄化されると私たちが思うようになったのではないか。しかしそれがリアル過ぎると戦前のような誤った利用のされ方をされかねない。

今上天皇、美智子皇后は生真面目に天皇家としての役割を果たされている。一方で雅子妃殿下は相変わらず「適応障害」から抜け出せず公務に復帰することができない。しかしそれでいいのだ。

雅子妃殿下のような現代的知性のかたまりのような女性がどうして神武以来の旧習に従った皇室の祭事に身を委ねることができようか。しかしこの統一感のなさこそ私たちの天皇が辺縁にいて聖的な存在である証なのではないだろうか。むしろ統一化されて中心化しすぎたらこわい。戦後からこれまでのように辺縁にありながら聖的な「空気」として存在すること。これが最近私の受け入れつつある天皇制と考えている。

ここまで天皇制や戦争責任の問題を考えさせられたのは久し振りだった。困難な状況のなかでここまで踏み込んだ企画を立てた現美の吉崎和彦キュレーターに拍手を送る一方で、むしろこのような企画であればこそ、広くまわりを巻き込んで議論を深めるべきだったのではないかとは思う。

けれど作家達が語るトークイベントは一度だけ。しかも壇上に「爆撃の記録」の藤井光、アラブの戦争映像を発表した横田徹、司会に長谷川祐子、聴衆に椹木 野衣、藤田直哉と論客が揃うという千載一遇のチャンスだったのに美術館側は時間を理由にトークを打ち切ったらしい。一方で7月24日にはその同じ現美で国際美術評論家連盟が「美術と表現の自由」をテーマにシンポジウムを開く。「キセイノセイキ」でも展示しようとしたができなかった「会田家檄文」も議論されるというから、会場貸しだけとはいえ、どこに現美の基準があるのか見えてこない。

皆注目してないが「キセイノセイキ」の英語タイトルは「Loose Lips Save Ships」とある。Loose Lips Sink Shipsのもじりであるが見事な翻訳である。
Loose Lips Sink Shipsとは第二次世界大戦中に米国政府機関が配布したプロパガンダポスターで「口がゆるめば船(軍艦)が沈む」と情報漏洩を戒めたイディオムだが、それを逆手に取ってLoose Lips がShip をSaveするとしたのだ。繰り返すが見事な翻案である。口をゆるませることが舟を救うのである。どうも来るべきシンポジウムといいこの翻訳といい、現美は外国に向かってはいいかっこしいのようだ(笑)。 


Seymour R. Goff
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権威の象徴になりつつある近代美術館ならまだしも、現美は現代美術館ではないか。今を生き抜く私たち自身の存在と関係性をもっとリアルに反映させてもいいのではないか。現代アートは今生まれつつある辺縁のアートであり、現代美術館とは辺縁の美術館である。そこでは時代に論争を呼びかける美術館であって、なにかが変わることを期待できる場所であってほしい。

アーチストなんか馬鹿ばっかりなんだから、失礼、アート馬鹿ばっかりなんだから、キュレーターも一緒に馬鹿をやってほしいのだ。キュレーターひとりが利巧ぶって馬鹿を操ってみたり、ひとり偽政者に取り入ったりしたら、馬鹿なアーチストや馬鹿なコレクターの立つ瀬がなくなっちゃうじゃん!

「キセイノセイキ」(Loose Lips Save Ships)、私はこう読みかえた。おしゃべりな美術館は国の文化を救う、いや「おしゃべりな美術館は国を救う」と。

 

書き手:高橋 龍太郎

 

精神科医、医療法人社団こころの会理事長。 1946年生まれ。東邦大学医学部卒、慶応大学精神神経科入局。国際協力事業団の医療専門家としてのペルー派遣、都立荏原病院勤務などを経て、1990年東京蒲田に、タカハシクリニックを開設。 専攻は社会精神医学。デイ・ケア、訪問看護を中心に地域精神医療に取り組むとともに、15年以上ニッポン放送のテレフォン人生相談の回答者をつとめるなど、心理相談、ビジネスマンのメンタルヘルス・ケアにも力を入れている。現代美術のコレクターでもあり、所蔵作品は2000点以上にもおよぶ。

 

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