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FASHION

NEXT40 注目のオトコたち VOL.03
JUN 迫村岳に訊く、今とこれから。[前編]

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プレッシャーに感じすぎても仕方がないから、あまり考えすぎずに走ろうと思う。

90年代後半から隆盛を極めてきたセレクトショップで、シーンを盛り上げてきた方々が40代を迎えようとしています。ファッションの最前線に立ち続けてきた、気になる注目のオトコたちが40代を迎えるにあたって考えていること、会社内での取り組みやプライベート事情までを、彼らと同世代でありファッションの編集者という立場で見続けてきたFORZA STYLEのシニアエディター谷中がヅケヅケと訊いていく連載企画。

3人目は、アダム エ ロペ事業部長 兼 ビオトープ ディレクターの迫村岳氏にインタビューを敢行しました。

今後は経営的な責任も

迫村岳(以下迫村/敬称略):迫村さんは、何年生まれでしたっけ?

迫村:1978年生まれなので、今年38歳ですね。

谷中:割りと40歳っていうのが現実になってくる年齢ですよね。現在、JUNの中でのポジションは、何になるんですか?

迫村:じつは今日の朝(取材日は3月10日)発表になったんですが、アダム エ ロペ事業部の事業部長に昇進しまして、引き続きビオトープ(BIOTOP)のディレクターを兼任しながら、全体の事業の方を見ることになりました。

谷中:それは今までの仕事に比べて、何がプラスされる訳ですか?

迫村:事業管理が加わり、経営的な側面ですね。会社から求められるのは、外に出て商品を調達したり、お店を作ったり、展開する商品に対して意見したりというディレクション業務になるんですけど、プラス人事面だったり、経営的な責任も課せられます。

谷中:今までバイイングで国内外を飛び回っていた印象が強いんですが、そればかりしているとままならなくなりますよね? 今後は誰かに委ねていく訳ですか?

迫村:そうですね。自分も減らさざるを得ないのかと思っていたんですが、ただ、すぐ誰かにバトンタッチするんではなく、経営陣から言われたのは「別に会社にいなくていいから。その変わり右腕・左腕を育てて、ブランドの方向性だったり、全体のスタッフに対するリーダーシップを持って、責任者として頑張れ」と。結果に関しては自分が責任を取らなくてはいけないんですが、その「プロセスというかやり方に関しては一任するから、結果だけ出してくれ」というようなニュアンスを伝えられました。

谷中:結構な大抜擢ですか?

迫村:どうなんですかね…? バイヤーとしての顔の方が世の中に対しては強かったと思うんですが、事業部内では次長っていう名刺は持たせていただいていたんで、それがひとつ上がったということで考えれば、ステップアップ感としては普通です。社内では、自分みたいなタイプで事業部長っていうのはあまりいないと思うので、なるとは思われていなかったかもしれませんね。

谷中:管理側の人が多そうですもんね。

迫村:一度、代表の佐々木と話した際「クリエイティブ側か経営側か、どちらに進みたいか」と尋ねられたんですが、自分自身はクリエイティブで進んでいきたいと思っていて、ビオトープの出店計画については自分が見ていくという旨を伝えたんですが、「経営っていうのはクリエイティブじゃないとできないから、両方やるんだよ」と言われまして。

谷中:会社内で、同じくらいの世代での平均的なポジションでいうと、部長職は高いですよね?

迫村:同じ世代で同じ役職はいますが、事業規模のサイズ感でいうと、おそらく自分が一番若いかもしれませんね。

谷中:やりがいと、一方でのプレッシャーは、どう感じていますか?

迫村:まだ、お達しがあったばかりで実感は湧きませんが、あまりプレッシャーに感じすぎても仕方がありませんし、自分に期待されているのは会社のデスクに座って、計算機叩いて収支とにらめっこするのではなく、もちろん重要ではありますが、それ以外で事業部に価値を見出してくれっていうことだと感じていますから、あまり考えすぎずに走ろうと思ってます。

谷中:なんとなく、40歳っていうのが現実的になってきて、周りのセレクトショップでも少し上や同世代が経営に絡み出していく中で、実感はありますか?

迫村:僕自身は関西でアルバイトからの入社で、以前に登場している方々から比べても年齢が微妙に下なんです。ですから、彼らが東京で活躍しているのを誌面で見ている側でしたし、彼らがそのまま会社の中での存在感が強くなっていくのを少し離れた場所から見ていたので、違った目線で見ながらも、すごく刺激になりながら、JUNという会社の中でもファッションというマーケットの中でも、個人としてというより自分が関わるお店の存在感をより出していかなくては、と思ってはいました。

谷中:2歳下って絶妙に壁ありますからね。

迫村:そうですね。そんな諸先輩方が着実に会社の中で出世していくのを見て「スゲェな」と思っていた反面、男としては「負けてられないな」っていうか、10年後40代後半になった際にはそれぞれがどのポジションに就いているのかが楽しみじゃないですが、意識はします。ただ、やっぱりちょっと先輩なので、同じ土俵では考え難いんですが…。

谷中:でも、他社で迫村さんと同じ歳でフロントマン的に頭角を表してきている方って、まだあまりいないですからね。

迫村:今、40歳を迎えようとしてる世代の少し上の世代って、さらに強烈な方々が多いじゃないですか? みなさん、そこの世代と上手く付き合いながら、結果を残していってるなと思うんです。でも、僕はもう少し下世代なんで業界の縮図を少し離れたところから垣間見ていて、さらに東京に出てきたのも28歳と遅く、既に出来上がったコミュニティに遅れて参加させて頂いてる感も強いんです。

谷中:東京に出てきて、熊谷(隆志)さんと一緒にビオトープに関わりだしたっていうのが、迫村さんにとってのターニングポイントになるんですか?

迫村:そうですね。関西を出て、まずは横浜ルミネの店長になりました。洋服が好きなので、駅ビルの店舗の商品構成では満足できなくなるのが分かっていたので、当時の事業部長には「横浜ルミネで結果が出せたら、白金の本店の店長になりたいので、その条件で店長にならせてください」とは伝えていました。その後タイミングも良く、1年半くらいで白金の店長になれまして、その半年くらい後にお店を改装するという話を聞かされ、突然お店に熊谷さんが来たんです。そこで、新しいビオトープという店舗の店長兼立ち上げメンバーとして色々と関わり、半年くらいは店舗に立っていたんですが、「バイヤーをやりたい」というのは代表の佐々木や熊谷さんにも伝えていて、31歳くらいのときにバイヤーとして働くことになったんですかね。

谷中:結構トントン拍子で出世なさってますね。30歳になってからの激動感は感じていましたか?

迫村:そうですね。店には10年立っていたんですが、そこから関わる仕事の振り幅というのは一気に増えてきたなというのは感じました。

谷中:ホント一気に追いついてきた感がありますよね。

迫村:自分がバイヤーになれた際に、他の有名なセレクトショップの品揃えに負けないようにしたかったですし、何でもある店にしたかったんですよ。そうすれば、スタッフみんなが良いクリエーションに触れられる機会が増えるので。そのためにはお店が必要でしたから、白金のビオトープ、その後のワイルド ライフ テーラーを上手に展開させて、他社に比べて規模や坪数、店舗展開での差はあるにせよ、ラインアップに関しては負けないセレクトができるようになったかと思います。

次回は、迫村氏の今後の展望などを訊いていきます!

Text:Ryutaro Yanaka
Photo:Shota Matsumoto

迫村岳
アダム エ ロペ 事業部長 兼 ビオトープ ディレクター

大阪でのショップスタッフなどを経て、アダム エ ロペ白金台本店の店長に就任。その後、アダム エ ロペ、ビオトープのバイヤー、アダム エ ロペのディレクター 兼 ビオトープのディレクターに就き、2016年春、事業部長に。



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