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BUSINESS 高橋龍太郎の一匹狼宣言

Vol.3「アートと鮨、究極の快楽」

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放浪体験から得た職人のヒント

Aさんは、学生時代、宗教哲学を専攻し2年間かけて全国放浪の旅に出かけ、そこでの出逢いが今の自分を決めてきたとのこと。大きく影響を受けたのが舞踏家森繁哉氏民俗学者の宮本常一夫人

森繁哉氏には弟子入りし、そこでの身体言語が自分の今の創作の基礎をなしていると。一部の鮨を直接手渡しで客に渡すのもそのためと語る(直接渡される鮨は確かに食物を通した魂の交流という趣があった)。

正真正銘の「お手渡し」。作り手の愛と情熱をまるごと食らう。

何より影響を受けたのは、水俣の漁師のところに泊まりこんで、漁を習ったということであった。公害と甦り、漁を続けながら、しかも現在も偏見の目で見られながら漁を続けることについて漁師は「水俣病は自分だ」「チッソは私だ」と繰返し語ったという。

被害者だけではない加害者だけでもないすべてを引き受けることで、自分が自分として鍛えられてきたと語る漁師は、Aさんに魚について知る限りを伝えてくれた。魚を熟成させていくということは彼の放浪体験によって導かれたものだった。

蘇る、高橋氏の貧困時代

その時に思い出したことがあった。私の幼年時代は父が医者でありながら全く働かない何年かがあり貧しかった。マルハの魚肉ソーセージ1本を家族6人で分け、二切れが一人のおかずだった。ただその時は海辺の町だったので、市場で商品にならない小さい渡り蟹を時々食べることがご馳走だった。ごく小さいながらも蟹をせせった時の蟹肉の甘味旨味。それは今でも舌に残る。

※写真はイメージです


後年蟹肉にすだちを絞ったり、蟹酢なる存在を知ったときには、それでは蟹の甘味が消されてしまうと、蟹を切なく味わった幼年時代を否定されたような気がしたものだった。すきやばし次郎の酢に拒否反応があったのもそんな体験の故だったのだろうか。

食べログやミシュランの評価を気にするのはよしなさい!

Aさんの宗教哲学を聞き、岩手の若き女杜氏による「月の輪」に酔いしれ、シンガポールの夕方はあっという間に過ぎて、夜10時の便で帰国。
食べログの点数やミシュランの星を気にして鮨を食べに行くことを止めにしたらどうだろう。ひとりひとりの味覚の差はひとりひとりの人生の差でもある。そのことの意味を大切にしようではないか。そうやって人に従う生き方をしたいなら別だが、そうしたくないなら自分の直感に頼って街場を歩くしかない。探せば自分の人生を重ね合わせることが出来る鮨と出会える筈だ。鮨とは人生を食べる作法であるからだ。

photo:getty images & Ryutaro Takahashi

<書き手・高橋龍太郎>

精神科医、医療法人社団こころの会理事長。 1946年生まれ。東邦大学医学部卒、慶応大学精神神経科入局。国際協力事業団の医療専門家としてのペルー派遣、都立荏原病院勤務などを経て、1990年東京蒲田に、タカハシクリニックを開設。 専攻は社会精神医学。デイ・ケア、訪問看護を中心に地域精神医療に取り組むとともに、15年以上ニッポン放送のテレフォン人生相談の回答者をつとめるなど、心理相談、ビジネスマンのメンタルヘルス・ケアにも力を入れている。現代美術のコレクターでもあり、所蔵作品は2000点以上にもおよぶ。

 

 

 



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