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LIFESTYLE Special Talk

ハリウッド進出
紀里谷監督インタビュー
「出る杭と、それを打つ人間についての考察」【後編】

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モーガン・フリーマンが
「LISTEN」と言ったわけ

映画「ラスト・ナイツ」でハリウッドデビューを果たした紀里谷監督。日本映画界の「出る杭」に訊く骨太インタビュー。後編はさらに映画、人生について鋭い指摘が飛び出します! 前編、「まだ出世争いで消耗してるの?」はコチラから

紀里谷:前回は、本当の幸福感についてお話ししましたが、なにごとにも、そのものに正面から向き合い、本分を問うて、全うすることが幸福につながると思います。例えばアップグレードするための行為と純粋に自分がしたい行為とは違いますよね。会社でも役職を上げるためだけに要領よく人付き合いをして出世する行為と、仕事に真剣に向き合い全うする行為は別物だと思うし、僕は後者の方に喜びがあると思う。けど後者の行いというのは、本当に苦労するし、精神力も体力も使うものなんです。

西内:とくに紀里谷監督がされている「ご自身の作品の本分を問うて真剣に向き合う行為」は、「魂が削られるような作業」なのかと想像します。

紀里谷:そう。けどね、そこに喜びがある。それにね、魂は削らないと輝かないんですよ。

西内:(ダ、ダイヤモンドと一緒やないか!! ←キザすぎて言えなかったセリフw)

紀里谷:削らないように生きよう、苦労しないように生きよう、近道をして生きようとしている人は、輝かないですよ。しかし往々にして人はそのように生きようとする。そこに僕は違和感を覚えるんですよね。でも価値観は人それぞれなので、人について干渉はしたくないんですが……。僕は魂を削らないで生きようとする自分を好きでいる自信がないから、魂を削って生きていきたい。「自分のことを好きでいられるかどうか、自分が自分を認められるかどうか」僕にとっての幸せって、それに尽きると思うんです。


それにね、ただアップグレードを目的にしてしまうと、目的が達成されなかったときに「この5年間はなんだったんだろう?」と思うことになる。「何のために会社に人生を捧げてきたのか?」なんてセリフもよく聞きますよね。こんな風に、アップグレードを目的として生きていると、それが失敗したときに全てが無駄だったと感じてしまう。けれど、今、目の前のことに集中し真剣に向き合っていれば、そこに喜びを感じていれば、そうはならないんです。

西内:『ラスト・ナイツ』に例えると、どのようになるのでしょう。

紀里谷:『ラスト・ナイツ』は分かりやすいです。だって、先に待っているものが「死」なわけですから。アップグレードを目的にしている人からすれば「死」が待っているなんて、これ以上に「自分の人生はなんだったのか」と後悔することはないでしょう。けれど、例えば本作でクライヴ・オーウェン演ずる主人公、騎士団の隊長ライデンは、そうはならないでしょう。例えその先に待っているものが何であろうと、彼は彼の正義を貫いたのですから後悔はしていないはずです。それは「自分自身」に「目の前のこと」に、真剣に向き合っているからです。ライデンにとって「第三者から見てどうか」という視点はないんです。アップグレードに価値をおくなんて、第三者の目線でしかない。重要なのは「自分はどう在りたいか」それだけです。現に、アップグレードばかりに拘った登場人物は、きっと振り返ったときに虚しい思いをしていると思います。

西内:紀里谷監督ご自身もそのような経験はありますか?

紀里谷:あります。僕は、周囲から見て羨ましいと思われるものを手に入れてきたと思います。僕自身もそれを目指してきました。それさえ手に入れれば、いろいろな苦しみから逃れられると思っていたから。けれど、手にいれてみれば違った。そこにあったのは幸福感ではなく虚無感でした。心が平和じゃない状態ですよね。その苦しみを見つめたときに「俺が求めてたものって、違ったんだ」と気づいた。叶えてみると違ったんです。アップグレードを目的としていると、たとえそれを叶えたとしても、次から次へとアップグレードしたいという欲望が押し寄せてくる。きりがない。きっと、たとえ頂点に登りつめたとしても、アップグレードの価値観に囚われている限り幸せにはなれないんだと思いますね。それに、頂点に昇り詰めなければ幸せでないのなら、人類のほどんどが不幸ということになる。でも、そんな訳ないですよね。つまり、幸せとは、表面的な形あるところには存在しない、ということだ思います。

西内:たしかに、幸せとは自分の内側にあるもの、そして目に見えないものなんですよね、きっと。そんな風に沢山の経験の中からご自身の考えをご自身の手で見つけ出してきた紀里谷監督にも、誰かに助言を求めることってあるんでしょうか

紀里谷:ありますよ。『ラスト・ナイツ』の撮影中に方向性を見失っていた時、出演のモーガン・フリーマンに相談したことがありました。「僕はどうすればよいのか」と。そのとき、モーガン・フリーマンはたった一言、「LISTEN」とだけ言って去っていったんです。その言葉で僕は目が覚めました。その言葉の真意はきっと、「人の言葉に耳を傾けよ」そして「感じろ」ということなのだと思います。「LISTEN」、僕はこの言葉に救われ、また前を向いて歩き出すことができたんです。

ご自身にとっての幸せとは何なのか、妥協せず取り組む紀里谷監督は映画監督であり哲学者である、そう思いました。確かに幸せや自分自身の価値というのは他人と比べるものでもないし、第三者の価値基準に左右されるものでもない。私もそう思います。本当に大切なものは何かって、分かっているつもりなんです。それはきっと目に見えないものなんです。けどね、気づけば第三者の価値観に左右されている自分がいます。だって、高身長、高ルックス、高興行収入の紀里谷監督が格好良いと思う、その「高」という概念そのものが「低」と比べたときに発生するものじゃないですか。相対的なものでしかない。けど、やはり3高の紀里谷監督が格好良いことは否めない(笑)。けれど、今回のインタビューで、そのような表面的なことではなく、紀里谷監督の「哲学」こそが紀里谷監督の真の魅力であり、その魅力こそが感動的な映画『ラスト・ナイツ』の原点となっているということを実感したのでした。

⇒4着しか服を持たないわけ(次ページへ続く)



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