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FORZA STYLE - 粋なダンナのLuxuaryWebMagazine
Special Talk

菊池武夫のメッセージ
「オヤジよ、いまこそ道を外れよ」

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だからこそ、
道を外れる

 

師匠と弟子の
服作りの考え方

干場:村岡さんは30歳の時にメンズ・ビギを辞められて、バーグマンという会社を作って、それからイン&ヤンを設立されますね。

村岡:はい。イン&ヤンは95年まで続いて、その後、ロサンジェルスに渡り、2003年から高島屋でオーダーメイドのスーツを手がけています。

干場:村岡さんも服作りのベテランですが、時代によって考え方は変わりましたか?

村岡:それほど変わっていませんね。専門学校で学んで、メンズ・ビギで一度全部壊されて(笑)、服ってこういうものなのかというのを追求して、でもうまくいかなかった時に、先生から「この服を見てみろよ」と、セルッティのジャケットを渡されて。

菊池:そういうこと、あったねぇ。グレイフランネルの細身のダブルだ。

村岡:そうそう、それを着たタケ先生を見た瞬間からなんてカッコイイんだと思っていました。

菊池:あれはベーシックだけど、“身体の入り方”がエレガントだったね。

干場:“身体の入り方”がエレガント!

菊池:日本の服は平面的だけど、あのセルッティは背中から胴回りのラインがきれいに出て、袖も細くてきれいだった。

村岡:それで、その服を見習って工場に指示を出すんですが、立体感が出ない。

菊池:工場の仕立てもそうだけど、生地も大変だったよね。ヨーロッパの生地を見習って、ふんわりとした生地を頼むんだけど、日本の工場は真面目に作るから、どうしても硬い生地になる。それまでの日本文化に洋服がなかったからね。

メンズの達人が考える
「美しいスーツ」とは?

干場:村岡さんがメンズ・ビギ時代で一番覚えていることは?

村岡:メンズ・ビギ当時、先生が提唱していたのは「ソフトテーラード」で、軽く、柔らかい仕立てで、ダブルのスーツが爆発的に売れました。

菊池:当時は縫製工場に縫いにくいとか、さんざん文句を言われたけど、村岡君たちが工場に足繁く通ってくれたおかげもあります。

村岡:あの着心地や仕立ては、他になかったですからね。

菊池スーツは作っていて飽きないよね。面白い。奥が深い。時代によるちょっとした差異が、すごく変わって見える。

干場:先生にとって、美しいスーツとは?

菊池洋服は“身体を包む布”だと思っているので、身体のラインをうまく出せばきれいで良いものに見えると考えています。服は平面的な感じで捉えがちですが、着てからの変化が最も重要で、「着たときに良さがわかる」のが一番大事

村岡:良いスーツとは、襟の返し、肩の入り、袖のゆとり・細さなどいろいろな要素がありますが、着映えすることも重要。ビジネスマンのスーツは昔の鎧(よろい)ですから、ビジネスの武器。良いスーツを着ていると、初対面の時、商談の際など、相手の反応が違います。ですから、それを理解した男性から高いスーツに戻っていますね。

菊池:まさにそう。ビジネスで相手を意識する男性が増えてきているよね。僕は昔の映画をよく観るんだけど、昔のスーツもよくできている。昔から良い洋服はたくさんあって手入れしながら大事に着られていたんだね。それに比べて今は服に対する愛情が薄くなってきているかも

村岡:今はスーツを作る方も、着る方も全体的に水準が上がってきていますが、男の味のようなものは希薄でしょうか。

菊池:やはり歳を重ねた男性が格好良くしてないと、若い人は憧れてくれないよね。

干場:今、スーツを上手に着こなしている人は誰でしょうか?

菊池:麻生太郎君とかどう? 彼が学生の頃、一緒に遊んだことがある。


男の服作りの楽しさとは?

干場:村岡さんが手がけているオーダースーツの特徴は?

村岡:パターンオーダーよりも細かく修正できる「イージーオーダー」が中心で、仮縫いなしで6万円ほどから、生地によって価格は変わっていきます。

干場:どんなお客さまが多いんですか?

村岡:着道楽な40代から60代までが多いですが、最近は30代のオーダーが増えてきていますね。2センチ刻みのゲージ見本の服を着てもらって、既製服のパターンオーダーではできない細かい体型補正をするとともに、お客さまの好みや希望に合わせて寸法指定していきます。ブリティッシュが基本ですが、若い方は多少タイト目な仕上がりを好まれますね。

菊池:男のスーツ、ジャケットはシルエットの変化が楽しいね。

村岡:自分で着ていてもそうですね。時代を感じさせるシルエットは着ていて楽しいです。実は昔はオーダーを受けるのは嫌いだったんですよ。自分よりセンスの良い人に着てもらえるならいいんですけど(笑)。でも今はいろんな男性から相談を受けて、似合うモノを作るのが楽しい。センスのいい方も増えてきているし、洋服作っているときが無心になれるし、一番楽しいですね。

菊池:それは男服の醍醐味だね。

村岡:今、洋服メーカーに勤めているデザイナーも、もっと世に出てくれば、マーケットが活性化すると思います。デザイナーが憧れの職業になるよう、僕らの世代がもっと頑張らなくちゃいけないですね。

菊池若手でセンスの良い人はいますよ。でも、彼らと話をすると、自分の好きなテリトリーでだけやって、それ以上はやらない。自分の範囲を決めている。それをわかってくれる人だけが楽しんでくればいい。僕らの頃は、何でもやったけどね(笑)


FORZAの男たちへメッセージ

干場:「TAKEO KIKUCHI」ブランドも31年目を迎えますが、先生の意気込みは?

菊池:いや、毎年意気込んでいるんだけど(笑)。31年続いているブランドはそんなにたくさんはないので、これから先の30年、続けられることを考える。時代の変化とともに、多様化に対応することも必要だし、その一方で頑固なところも大事。着ることを楽しめる人が、楽しめることを的確に捕まえる魅力ある商品を作りたいね。

干場:今の40代の男たちは、生き方とか、着るモノ、着方など、先が見えづらい世の中ともリンクして、「本当にカッコイイとはなんだろう」と大いに迷っています。

菊池男はね、歳をとるほどカッコイイ。女性は「素敵なおばあちゃん」になりにくいけど、男は「味のあるおじいちゃん」になりやすい(笑)。それと、日本人はいろんなものに触れて、肯定していくけど、自分というものを一度整理して、残ったものだけで良いと思う。そうすると、リアルな手応えを感じて、自分も格好良くなる。

干場:中身はどう磨いたらいいですか?

菊池自分の“良い生きざま”作りだよね、仕事もプライベートも。勤勉さも必要だし、自由さも必要。仕事を成功させつつ、人間的に魅力ある男性がいたら本当にカッコイイし、もっと世の中が楽しくなる。

村岡:さらにエレガントで人に優しい男性がいたら惚れ込んでしまうでしょう。まさにタケ先生ですね。

菊池:それと、道を外れる生き方もいいねぇ

干場:なかなか外れにくい世の中になっていますが。

菊池:芸人の又吉君なんか、作家という、もうひとつの顔をもってからまた格好良くなった。男はそれぐらい欲ばったほうがいい。道から外れられない世の中だからこそ、いまこそ外したほうがいいんだよ。

ガラス張りのタケ先生のアトリエ。柔らかい光の中で行われた鼎談は、「道を外れる」という言葉で結ばれた。ミドルエイジのためのメッセージを、貴方はどう聞いただろうか。

Text:Makoto Kajii
Photo:Naoto Otsubo

菊池武夫|TAKEO KIKUCHI
1939年東京都生まれ。1951年高校卒業後、文化学院美術科に入学。1956年、原のぶ子デザインアカデミーを卒業後に「服飾モダン・グループ」を結成。1970年に株式会社ビギ設立。劇団四季の「お気に召すまま」などの舞台衣装を担当。1975年メンズ・ビギ設立。ドラマ『傷だらけの天使』の萩原健一氏の衣装デザインを手がけ、爆発的な人気に。1978年パリに進出。現地でコレクションを発表。1984年ワールドに移籍し「TAKEO KIKUCHI」設立。2003年を境にブランドから離れ、ファッション業界の第一線から退いたかに見えたが、2012年5月にブランドに復帰。クリエイティブディレクターを務める。
http://www.takeokikuchi.com


村岡勝重|KATSUSHIGE MURAOKA
1951年東京都生まれ。飯倉のレストラン「キャンティー」2階にあったアトリエ「ベビー ドール」で修業後、日本洋服専門学校でテイラーメイドの基本を学び、「MEN’S BIGI(メ ンズ・ビギ)」で菊池武夫氏に師事。同社を退社後、独立し「Yin & Yang(イン&ヤン )」ブランドを設立。エレガンスモードテイストのイージーメード展開を追求し、クラシ ックなテーラリングにほどよいトレンドを入れた、大人のためのスーツを得意としている 。新宿高島屋オム・メゾン(紳士服)5階「スタイルオーダー」売場のスペシャルライン モデル『KATSUSHIGE MURAOKA PLUS7(カツシゲムラオカ プラス7)』を監修してい る。

新宿髙島屋5階「スタイルオーダー」。オーセンティックな雰囲気で、自分だけの一着が楽しめる。

 







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